コラール・カンタータについて その1 + 三位一体節後第16日曜(BWV8、95他)~オジェー
おとといお知らせしたばかりで、たいへんあわただしいですが、
今日(10月1日)は、三位一体節後第16日曜日。
またまた、名作、BWV8(コラール・カンタータ、第2年巻)が登場します。
その他、
初期のBWV161、
ライプツィヒ1年目(第1年巻)のBWV95、
後年のBWV27です。
今日の該当福音章句は、有名な「ナインの若者のよみがえり」の物語。
死の時を刻み続けるフルートが印象深いBWV8の冒頭合唱、
コラールをふたつ盛り込んだBWV95の冒頭合唱、など、
この世のものとも思えぬ美しい響きが特徴的なこの日のカンタータですが、
歌詞を見ると、実は、ここでは、死へのあこがれが、徹底して追及されているのです。
無条件なまでの、死に対する甘美な憧憬のようなものが、このような天上的とも言える響きにつながったものと思われます。
死の先にある復活へのあこがれ、ということなのでしょうか。
いずれにしても、わたしたち一般の日本人からすると、なかなか理解しにくい部分ではあるのですが、音楽の美しさは、人種や宗教を超えて共通なのにちがいありません。
無心で耳を傾けると、圧倒的な存在感で胸に迫ってきます。
* * *
さて、名作BWV8については、また別の機会にあらためてゆっくりご紹介するとして、
ここでは、BWV95について、ちょっとお話します。
BWV95は、4曲ものコラールで全曲が構成された、意欲的な実験作。
ソプラノが歌う第3曲も、ちょっと聴くとアリアのようですが、オーボエのオブリガートに装飾されたコラールなのです。
バッハのカンタータの中には、このように美しく編曲されたコラール楽章がたくさんあります。
ご存知のように、代表的なものは、最晩年バッハ自身の手によって、シュープラーコラール集に編纂されましたが、その他にも、このような曲がたくさんあるのですね。
CDは、リリング盤、アーリーン・オジェーが歌ったものが最高です。
前述のように、ここでのオジェーはただコラールを歌っているだけなのですが、
とびっきりの美声と豊かな表現力によって、アリアに負けず劣らず心に訴えてくるものがあります。
リリングのカンタータ全集は、以前聴いたときに地味な印象だったので、ずっとほっておいたのですが、いろいろな方にすすめられて聴いてみたところ、聴く演奏、聴く演奏、みんなすばらしいので、びっくり。
当然、現代楽器による演奏になりますが、当時のドイツ最高のメンバーが集結したという器楽奏者や歌手の競演、それをしっかりと包みこむリリングの信頼感あふれる指揮ぶりは、聴けば聴くほど味わいが増します。
とにかく、何といっても、このオジェーを筆頭に、歌手がすばらしい!
この全集は、オジェーの歌が心ゆくまで楽しめる、というだけでも、かけがえのない価値があります。
カンタータは、やはり、歌です。
* * *
ところで、BWV8は、上に書いたとおり、コラール・カンタータの代表作です。
一方、BWV95にも、コラールが4曲も使われているわけですが、それなのに、こちらは、厳密にはコラール・カンタータではありません。
BWV8は、冒頭合唱と終曲に、ノイマンのコラールが使われ、その間の曲の歌詞も、すべて同じコラールから派生したものです。
このように、歌詞はもちろん、場合によっては音楽のすみずみにいたるまで、当日のテーマに関連したたった1曲のコラールを素材にして、そのコラールを徹底して掘り下げ、発展させることによって全曲が構成されているカンタータを、特にコラール・カンタータと呼んでいるのです。
BWV95は、コラールを4曲も使用してるがゆえに、コラール・カンタータではありません。
内容的にも、音楽的にも、1曲のコラールに基づくかどうか、が、ポイントなのですね。
従って、ほとんどのカンタータにはコラールが使われていますが、すべてがコラール・カンタータというわけではないのです。
今回は、語句説明だけしておきましたが、
「コラール・カンタータ」については、今後順番に、ゆっくりとお話していきたいと思います。
今日(10月1日)は、三位一体節後第16日曜日。
またまた、名作、BWV8(コラール・カンタータ、第2年巻)が登場します。
その他、
初期のBWV161、
ライプツィヒ1年目(第1年巻)のBWV95、
後年のBWV27です。
今日の該当福音章句は、有名な「ナインの若者のよみがえり」の物語。
死の時を刻み続けるフルートが印象深いBWV8の冒頭合唱、
コラールをふたつ盛り込んだBWV95の冒頭合唱、など、
この世のものとも思えぬ美しい響きが特徴的なこの日のカンタータですが、
歌詞を見ると、実は、ここでは、死へのあこがれが、徹底して追及されているのです。
無条件なまでの、死に対する甘美な憧憬のようなものが、このような天上的とも言える響きにつながったものと思われます。
死の先にある復活へのあこがれ、ということなのでしょうか。
いずれにしても、わたしたち一般の日本人からすると、なかなか理解しにくい部分ではあるのですが、音楽の美しさは、人種や宗教を超えて共通なのにちがいありません。
無心で耳を傾けると、圧倒的な存在感で胸に迫ってきます。
* * *
さて、名作BWV8については、また別の機会にあらためてゆっくりご紹介するとして、
ここでは、BWV95について、ちょっとお話します。
BWV95は、4曲ものコラールで全曲が構成された、意欲的な実験作。
ソプラノが歌う第3曲も、ちょっと聴くとアリアのようですが、オーボエのオブリガートに装飾されたコラールなのです。
バッハのカンタータの中には、このように美しく編曲されたコラール楽章がたくさんあります。
ご存知のように、代表的なものは、最晩年バッハ自身の手によって、シュープラーコラール集に編纂されましたが、その他にも、このような曲がたくさんあるのですね。
CDは、リリング盤、アーリーン・オジェーが歌ったものが最高です。
前述のように、ここでのオジェーはただコラールを歌っているだけなのですが、
とびっきりの美声と豊かな表現力によって、アリアに負けず劣らず心に訴えてくるものがあります。
リリングのカンタータ全集は、以前聴いたときに地味な印象だったので、ずっとほっておいたのですが、いろいろな方にすすめられて聴いてみたところ、聴く演奏、聴く演奏、みんなすばらしいので、びっくり。
当然、現代楽器による演奏になりますが、当時のドイツ最高のメンバーが集結したという器楽奏者や歌手の競演、それをしっかりと包みこむリリングの信頼感あふれる指揮ぶりは、聴けば聴くほど味わいが増します。
とにかく、何といっても、このオジェーを筆頭に、歌手がすばらしい!
この全集は、オジェーの歌が心ゆくまで楽しめる、というだけでも、かけがえのない価値があります。
カンタータは、やはり、歌です。
* * *
ところで、BWV8は、上に書いたとおり、コラール・カンタータの代表作です。
一方、BWV95にも、コラールが4曲も使われているわけですが、それなのに、こちらは、厳密にはコラール・カンタータではありません。
BWV8は、冒頭合唱と終曲に、ノイマンのコラールが使われ、その間の曲の歌詞も、すべて同じコラールから派生したものです。
このように、歌詞はもちろん、場合によっては音楽のすみずみにいたるまで、当日のテーマに関連したたった1曲のコラールを素材にして、そのコラールを徹底して掘り下げ、発展させることによって全曲が構成されているカンタータを、特にコラール・カンタータと呼んでいるのです。
BWV95は、コラールを4曲も使用してるがゆえに、コラール・カンタータではありません。
内容的にも、音楽的にも、1曲のコラールに基づくかどうか、が、ポイントなのですね。
従って、ほとんどのカンタータにはコラールが使われていますが、すべてがコラール・カンタータというわけではないのです。
今回は、語句説明だけしておきましたが、
「コラール・カンタータ」については、今後順番に、ゆっくりとお話していきたいと思います。
この記事へのコメント