ガーディナーの挑戦・再び~五旬節(BWV127、159)その3
しつこいようですが、何度でもくりかえします。
五旬節のカンタータ、BWV127、159は、バッハのカンタータの最高峰と言える、名作中の名作です。
受難曲を聴いて、少しでも心を動かされたことがある方は、かならずこの2曲も聴いてみてください。
と、いうわけで、おしまいに、演奏について。
* この記事は、内容が続いてますので、
できたら、まず、その1、およびその2をお読みになってください。
この2大名曲のうち、
特に、「緻密でありながら壮大な壁画」とも言うべき内容を持つBWV127の場合、演奏も、当然一筋縄にはいきません。
しかし、CDの数自体が少ないにもかかわらず、この曲には、
以前から、レオンハルト盤、コープマン盤、というすばらしい演奏がありました。
レオンハルト盤は、あいかわらず、他をよせつけないような、超然とした演奏。
その厳しくも美しいたたずまいには、思わずエリを正さずにはいられません。
それに対して、コープマン盤は、まぶしいほど明るく美しい演奏。
雪解けの高原の香りが実際に感じられるような、清々しさ。
いつものリュートの伴奏も夢見るようで、思わず陶然としてしまいます。
こんなに深刻な音楽なのに、これではあまりに能天気ではないか、
という意見が聞こえてきそうですが、
前回書いたとおり、
当日の聖句に、この旅のゆきつく先を知っているのは主イエスキリストだけであり、
弟子たちは、
「何も理解していなかった」とあります。
表面上、旅はきわめて平明なのです。
だからわたしは、コープマンの、とびきり明るく、美しい演奏が好きです。
しかも、ちょっと聴くと、能天気なようでいながら、その割に象徴等の一つ一つがていねいに表現されているので、曲が明るいだけ、その意味が胸に迫ってきます。
そして、ちょうど去年の今頃、この2枚の名盤に、
もう1枚、たいへんな名盤が加わりました。
ガーディナーのSDG巡礼シリーズ。
教会暦に合わせるようにリリースされた1枚です。
このCD、単に名演だ、というだけでなく、実は、前回くわしく書いた、この曲のコラール・カンタータとしてのしくみが、手に取るようにわかる、
という意味でも貴重なので、ご紹介します。
このCD、かけたとたん、いきなりのけぞりました。
冒頭の、本来ストリングスで奏される「神の子羊」を、
なんと、実際に歌っています!
はじめ、コラールのことばかり気にしていたので、幻聴でも聞こえたのかとおもいましたが、たしかに歌っています。
よっぽどこのコラールを、強調したかったんでしょう。
しかも、ものすごく効果的に歌われています。
本来、「神の子羊」のはじめのフレーズは、弦によって奏されて、最後の音が長く引き伸ばされますが、
合唱も、そのとおりに、いつまでもいつまでも、ほとんど極限と思われるまで、引き伸ばされて、やがて力つきたかのように器楽の中に溶け込みます。
歌唱自体は、静かで何気ないものですが、すさまじいばかりの祈りの心です。
しかも曲は、あのマタイでおなじみの「神の子羊」。
もうこれだけで、わたしは涙ぐんでしまいました。
(やはりわたしたちにとって、マタイは「特別」なのですね)
いずれにしても、これであとは、通奏低音の「血潮したたる」さえ確認できれば、この曲が、3つのコラールによってどのように構成されているか、(あくまでも大枠の骨子にすぎませんが)容易に把握できるので、
「コラール・カンタータ」の神髄を体感するには格好の材料だ、というわけなのです。
(このカンタータ自体のコラールは、金管で補強されているため、「神の子羊」と区別できます)
ちなみに、通常のバージョンもぜひ聴きたかったな、と思ったところ、これが、最後におまけでついているのです。(本来は、本編の歌唱バージョンがおまけなのでしょうが)
ガーディナーがいつもこのようにかくれたコラール部分の歌唱を行っているのか、あるいは実はこのようなバージョンがあるのか、わたしはよく知りませんが、
これはもう、いきなり出だしから、ただのCDではなかった、ということです。
バッハのカンタータでは、冒頭合唱や終結コラール以外でも、コラールは頻繁に登場します。
そもそもBWV159のアルトアリアがそうですし、後年シュープラーコラール集に編纂されたものや、掲示板でも話題になった106や158の例などがすぐに思い浮かびますが、
これらはすべて、はっきりとコラールとわかるかたちで(逆に強調されて)登場し、器楽指定の場合であっても、実際に歌われることもよくあります。
これに対し、BWV127冒頭合唱における
「神の子羊」や「血潮したたる」の例は、根本的に性格が異なっています。
メインのコラールは別にあり、
上記2つの受難コラールは、あくまでも曲を構成する素材として使用されていて、注意して聴かないとわからないようになっています。
なぜなら、何度も言うように、この旅が受難へ続く旅であるにもかかわらず、弟子たちは受難の意味を、理解していなかったからです。
これによって、「天気雨のときの明るさ」と表現された、そのまま深い悲しみに通じるような明るさが表出されているわけです。
さて、このCDで、ガーディナーは、そんな「神の子羊」を、実際に歌わせているのですが、
これについては、BWV159のアリアにおいては明確に登場する受難コラールと対比した、ということもあるでしょう。
しかし、それ以上に、(これも以前かきましたが)「神の子羊」が、旅の途中の盲人の叫びをもあらわしていることを考えると、
昔も今も、この世の中には「主よ、憐れみたまえ」と救いを求める祈りがあふれているのだ、ということを表現するために、ガーディナーは、このコラールを、どうしても強調したかったのではないか、という気がするのです。
ところが、このコラールを歌うことは、一応オリジナル主義者のガーディナーとしては、やはり冒険と言って良いでしょう。迷いもあったと思います。
でも、それ以上に、ガーディナーは、
演奏自体の感動の方を選んだ。
BWV80のところでも書きましたが、この人は何よりも、ほんとうに、表現命、人なのです。
この人が、もともとそうだったのか、わたしは知りません。
ただ、2000年の記念すべき年に、バッハのカンタータ全曲演奏という大目標を決然とかかげ、世界中の教会を巡礼た時のガーディナーは、少なくとも、音楽を、感動を、優先していた。
このCDには、何よりもそのことが「記録」されています。
さらに、このCD、そのように壮絶な表現をめざしたライブの割には、
全体の演奏の精度も、奇跡的なレヴェルを保っています。
BWV159の方は、本来のライブならではの即興性が最大限に生かされ、
文句なしにすばらしい。
カップリングされている曲も、5旬節の他の名作カンタータ、BWV23、23の他、
4旬節の間の特別な名作、BWV54、BWV1と、これ以上ないほど魅力的。
バッハのカンタータで、もし1枚だけ、と言われた場合、
真っ先に指を折る1組です。
さて、このガーディナー盤のリリースが、ちょうど1年前。
今年も、ちょうど暦に合わせるように、バッハ・コレギウム・ジャパン盤(輸入盤)が、CDショップの店頭に並び始めました。(他に、名作BWV1、126収録)
BCJのコラール・カンタータ年巻も、そろそろ完結でしょうか。
まだ未聴ですが、BCJのコラール・カンタータはどれも良い演奏なので、
期待しています。
五旬節のカンタータ、BWV127、159は、バッハのカンタータの最高峰と言える、名作中の名作です。
受難曲を聴いて、少しでも心を動かされたことがある方は、かならずこの2曲も聴いてみてください。
と、いうわけで、おしまいに、演奏について。
* この記事は、内容が続いてますので、
できたら、まず、その1、およびその2をお読みになってください。
この2大名曲のうち、
特に、「緻密でありながら壮大な壁画」とも言うべき内容を持つBWV127の場合、演奏も、当然一筋縄にはいきません。
しかし、CDの数自体が少ないにもかかわらず、この曲には、
以前から、レオンハルト盤、コープマン盤、というすばらしい演奏がありました。
レオンハルト盤は、あいかわらず、他をよせつけないような、超然とした演奏。
その厳しくも美しいたたずまいには、思わずエリを正さずにはいられません。
それに対して、コープマン盤は、まぶしいほど明るく美しい演奏。
雪解けの高原の香りが実際に感じられるような、清々しさ。
いつものリュートの伴奏も夢見るようで、思わず陶然としてしまいます。
こんなに深刻な音楽なのに、これではあまりに能天気ではないか、
という意見が聞こえてきそうですが、
前回書いたとおり、
当日の聖句に、この旅のゆきつく先を知っているのは主イエスキリストだけであり、
弟子たちは、
「何も理解していなかった」とあります。
表面上、旅はきわめて平明なのです。
だからわたしは、コープマンの、とびきり明るく、美しい演奏が好きです。
しかも、ちょっと聴くと、能天気なようでいながら、その割に象徴等の一つ一つがていねいに表現されているので、曲が明るいだけ、その意味が胸に迫ってきます。
そして、ちょうど去年の今頃、この2枚の名盤に、
もう1枚、たいへんな名盤が加わりました。
ガーディナーのSDG巡礼シリーズ。
教会暦に合わせるようにリリースされた1枚です。
このCD、単に名演だ、というだけでなく、実は、前回くわしく書いた、この曲のコラール・カンタータとしてのしくみが、手に取るようにわかる、
という意味でも貴重なので、ご紹介します。
このCD、かけたとたん、いきなりのけぞりました。
冒頭の、本来ストリングスで奏される「神の子羊」を、
なんと、実際に歌っています!
はじめ、コラールのことばかり気にしていたので、幻聴でも聞こえたのかとおもいましたが、たしかに歌っています。
よっぽどこのコラールを、強調したかったんでしょう。
しかも、ものすごく効果的に歌われています。
本来、「神の子羊」のはじめのフレーズは、弦によって奏されて、最後の音が長く引き伸ばされますが、
合唱も、そのとおりに、いつまでもいつまでも、ほとんど極限と思われるまで、引き伸ばされて、やがて力つきたかのように器楽の中に溶け込みます。
歌唱自体は、静かで何気ないものですが、すさまじいばかりの祈りの心です。
しかも曲は、あのマタイでおなじみの「神の子羊」。
もうこれだけで、わたしは涙ぐんでしまいました。
(やはりわたしたちにとって、マタイは「特別」なのですね)
いずれにしても、これであとは、通奏低音の「血潮したたる」さえ確認できれば、この曲が、3つのコラールによってどのように構成されているか、(あくまでも大枠の骨子にすぎませんが)容易に把握できるので、
「コラール・カンタータ」の神髄を体感するには格好の材料だ、というわけなのです。
(このカンタータ自体のコラールは、金管で補強されているため、「神の子羊」と区別できます)
ちなみに、通常のバージョンもぜひ聴きたかったな、と思ったところ、これが、最後におまけでついているのです。(本来は、本編の歌唱バージョンがおまけなのでしょうが)
ガーディナーがいつもこのようにかくれたコラール部分の歌唱を行っているのか、あるいは実はこのようなバージョンがあるのか、わたしはよく知りませんが、
これはもう、いきなり出だしから、ただのCDではなかった、ということです。
バッハのカンタータでは、冒頭合唱や終結コラール以外でも、コラールは頻繁に登場します。
そもそもBWV159のアルトアリアがそうですし、後年シュープラーコラール集に編纂されたものや、掲示板でも話題になった106や158の例などがすぐに思い浮かびますが、
これらはすべて、はっきりとコラールとわかるかたちで(逆に強調されて)登場し、器楽指定の場合であっても、実際に歌われることもよくあります。
これに対し、BWV127冒頭合唱における
「神の子羊」や「血潮したたる」の例は、根本的に性格が異なっています。
メインのコラールは別にあり、
上記2つの受難コラールは、あくまでも曲を構成する素材として使用されていて、注意して聴かないとわからないようになっています。
なぜなら、何度も言うように、この旅が受難へ続く旅であるにもかかわらず、弟子たちは受難の意味を、理解していなかったからです。
これによって、「天気雨のときの明るさ」と表現された、そのまま深い悲しみに通じるような明るさが表出されているわけです。
さて、このCDで、ガーディナーは、そんな「神の子羊」を、実際に歌わせているのですが、
これについては、BWV159のアリアにおいては明確に登場する受難コラールと対比した、ということもあるでしょう。
しかし、それ以上に、(これも以前かきましたが)「神の子羊」が、旅の途中の盲人の叫びをもあらわしていることを考えると、
昔も今も、この世の中には「主よ、憐れみたまえ」と救いを求める祈りがあふれているのだ、ということを表現するために、ガーディナーは、このコラールを、どうしても強調したかったのではないか、という気がするのです。
ところが、このコラールを歌うことは、一応オリジナル主義者のガーディナーとしては、やはり冒険と言って良いでしょう。迷いもあったと思います。
でも、それ以上に、ガーディナーは、
演奏自体の感動の方を選んだ。
BWV80のところでも書きましたが、この人は何よりも、ほんとうに、表現命、人なのです。
この人が、もともとそうだったのか、わたしは知りません。
ただ、2000年の記念すべき年に、バッハのカンタータ全曲演奏という大目標を決然とかかげ、世界中の教会を巡礼た時のガーディナーは、少なくとも、音楽を、感動を、優先していた。
このCDには、何よりもそのことが「記録」されています。
さらに、このCD、そのように壮絶な表現をめざしたライブの割には、
全体の演奏の精度も、奇跡的なレヴェルを保っています。
BWV159の方は、本来のライブならではの即興性が最大限に生かされ、
文句なしにすばらしい。
カップリングされている曲も、5旬節の他の名作カンタータ、BWV23、23の他、
4旬節の間の特別な名作、BWV54、BWV1と、これ以上ないほど魅力的。
バッハのカンタータで、もし1枚だけ、と言われた場合、
真っ先に指を折る1組です。
さて、このガーディナー盤のリリースが、ちょうど1年前。
今年も、ちょうど暦に合わせるように、バッハ・コレギウム・ジャパン盤(輸入盤)が、CDショップの店頭に並び始めました。(他に、名作BWV1、126収録)
BCJのコラール・カンタータ年巻も、そろそろ完結でしょうか。
まだ未聴ですが、BCJのコラール・カンタータはどれも良い演奏なので、
期待しています。
この記事へのコメント
これは、事務所でこっそり書いてます。
ちょうどレントだし、まあ、いいか。
カンタータは1年位前から初めて聞き出して、まだまだ「宝の前」で立ち尽くしているような気分です。
こちらのページのような解説があると大変参考になります。
今回の記事の内容など、まだまだついていけていないのですが、でも少なくとも丁寧に聴いてみようと思っています。
こういう機会が無ければ、一般的には確かにメジャーではない曲ですから、なかなか聴こうというようにならないし、聴いても聴き飛ばしてしまって、「宝」を素通りしてしまうことでしょう。
こういう記事を書いていただき、本当にありがとうございます。また、この力作、大変だったと思われますが・・・(笑)。
今後もぜひよろしくお願いします。勉強させてください。
個人的には1番が大好きなので、いつか記事にしていただければ本当に嬉しいです。
私もブログをやっているので、覗いていただければ大変嬉しいです。
正体はアマチュアのチェロ弾きです。
→ http://vc-okok.seesaa.net/
このような丁寧なコメントをいただくと、張り合いがでてきます。こちらこそよろしくお願いします。
1番、わたしも大好きです。
きらきらしていて、ほんとに「あけの明星」という感じ。
受胎告知の日(3月25日)ももうすぐ。もちろん記事にさせていただきます。
でも、このような有名曲の場合、はたして何を書いたらいいものか・・・・。