ロマンティック・バッハ~オルゲルビュッヒラインとインヴェンション + 三位一体節後第2日曜日

画像




 海が好きだ。
 どこまでもどこまでも青く輝きわたる海。


画像



 だが海はめまぐるしく表情を変える。


画像



 雨や霧に煙る海。黄昏時の海。
 灰色の暗い海は、何もかもを飲み込んでしまうかのように、せりあがって見える。


画像


画像



 ふだんとちがうそんな海を目の前にすると、
 決まって遠い昔のことを思い出す。
 忘れてしまっていたものたちが、次々とよみがえる。
 寄せては返す記憶の波に、ほんとうにこのまま飲み込まれてしまうのではないか、と思う。

 そして、そんな時、地響きのような海鳴りに混じって、どこからか、ある音楽が聴こえてくる。

 懐かしい家で、愛するものたちに囲まれて暮らす日常。
 ささやかだけれど、満ち足りた日常。
 でも、ここがどこなのか、自分がどこにいるのか、ほんとうは、何となくわかっている。
 時間と空間の果てるところ。
 宇宙の彼岸の、海だけの惑星。
 その大海原の真っ只中に、ぽつんとたったひとつだけ、まるで点のように浮かぶ、小さな小さな島。
 ・・・・そんな連想にとらわれてしまう。



画像


画像




 こどもの頃、冨田勲の「ソラリスの海」というレコードを聴いた。
 これが、バッハの原体験だったのかもしれない。

 これは、言うまでも無く、古いソヴィエト映画、「惑星ソラリス」へのオマージュで、

 オルゲルビュッヒラインのコラール、
 「我なんじに呼ばわる、主イエスキリストよ」 BWV639 と、

 3声のインヴェンション・ハ短調 BWV788とを、

 コラージュのように組み合わせた曲。

 この曲のことが忘れられずに、後年、「惑星ソラリス」を観た。
 宇宙の孤独と、人間のはかなさとを思い知らされるラストシーンで、
 BWV639がこれ以上無いくらい、効果的に使われていて、
 音楽と映像の美しさに魂を奪われた。
 
(映画に登場するのは、BWV639だけだった。
 スタニスワフ・レムの原作には、音楽自体登場しない。)


 それからというもの、BWV639(およびBWV788)を聴くと、
 「ソラリスの海」を、そして映画のテーマである「思い出」や「記憶」といったキーワードを連想し、さらにはさまざまな思い出そのものが、次々とよみがえるようになった。
 逆に、灰色の海を見ると、さまざまな思い出とともに、BWV639、788などが聴こえてくるようになった。



画像


 * 写真はすべて、西表島の海
   (例によって、古い思い出の写真をスキャンしたものです)



 オルゲルビュッヒライン。
 トッカータなどでその名をとどろかせていた、「史上並ぶものの無いオルガン弾き」の作品にしては、1曲1曲は短く、シンプルかもしれないけれど、
 カンタータと同じく、教会暦順に並べられた、ていねいなていねいなコラール編曲。
 その後、自分の全生涯を捧げることになるコラール。
 あまり指摘されることは無いけれど、バッハがその生涯で初めて挑戦した、大規模な曲集。
 誇らしげに記された表紙の言葉・・・・。

 ここでは、初歩のオルガニストに、ありとあらゆるやり方でコラールを展開する手引きが与えられ、
 また、ここにおさめられた各曲においては、足鍵盤(バス)等の声部が、まったくオブリガート的に、重要な役割を与えられているので、それらの技法を身につけるための手引きが与えられる。
 いと高き神にのみ栄光が、
 また、隣人には、これによって学習する機会があらんことを。


 まだ20歳代のバッハの青春の曲集。

 本来、敬虔で地味であるはずのコラール前奏曲だが、
 不思議なことに、その中の1曲が、実に多くの大芸術家たちの心を鷲づかみにしてきた。
 リパッティ然り。タルコフスキー然り。

 コラールそのものは、他愛もない旋律に過ぎない。
 ただ、それに流れるような装飾が施され、、
 まるで親密に歌い交わすかのような対旋律が、
 そしてそれらを揺ぎ無く支えるBCが付け加えられた瞬間、
 そこにロマンが立ち上る。
 このロマンは、バッハ自身の心から生じたものに他ならない。

 彼らは、このコラール前奏曲のロマン性を直感的に看破し、
 それを胸に抱きつつ、
 戦争に、政治に、病気に、
 それぞれの生に立ち向かった。


 教会音楽。対位法音楽。
 いかめしいイメージのバッハの音楽だけれど、
 実際はこのように、コラールや練習曲にさえ、時としてほとばしらんばかりのロマン性が宿っている。

 次々と現れる最先端の古楽演奏は、きらめくばかりに魅力的で、普段親しむのは、どうしてもそのような演奏ばかり。
 少し前のロマン的な演奏は、
 必ず、「今では時代遅れの観は否めないが」などということわりつきで語られる。

 しかし、心に焼き付いて離れない演奏は、なぜか、そんな時代遅れな、
 ロマンの色濃い演奏。

 フルトヴェングラーリヒター、そして、グレン・グールド


 そして、昨年、
 勇気ある若者が、堂々と、ロマンあふれるバッハを、現代に響かせてくれた。

 マルティン・シュタットフェルト。

 虹のようにきらめくピアノの音、ひとつひとつに、静かに燃えるようなロマンをたたえた、
 インヴェンションやコラール。


 バッハは、その生涯の最後の瞬間まで、そのオルガン演奏に、装飾を、即興を加えないことは無かった、と言われる。

 楽譜に書かれたコラールでさえ、すでに、装飾で彩られている。

 おそらく史上初めて、バッハのロマン性の途方もなさに気づいたフェリックス・メンデルスゾーンは、
 バッハのコラール装飾を、
 「金色に輝く葉飾り」と呼び、
 「すべての希望が奪い去られても、このコラールがあれば生きてゆける」と語った。

 この人物が、「マタイ」を世界によみがえらせてくれた。


 シュタットフェルトのインヴェンション、コラール。

 まるで、「ソラリスの海」に浮かぶ小島のように、確かなものなど何も無い現代だけれど、
 「金色の葉飾り」は、今も輝き続けている。



  *    *    *



 いつもお世話になっているPapalinさんの、
 オルゲルビュッヒライン(BWV639)のすばらしい演奏にインスパイアされて、
 わたしもちょっとロマン風に書いてみました。

 何と、リコーダー多重録音による演奏です。
 ここにも、確かに、「金色の葉飾り」が輝いています。

 こちらからどうぞ。


 上記シュタットフェルトのCDには、BWV639、BWV788両曲とも収録されてます。
 こちらでシュタットフェルトのCDの試聴ができます。
 BWV639等はできませんが、デヴューアルバムのゴールドベルク等が聴くことができます。
 これも、美とロマンに満ちた名演。



 さて、今日は、三位一体節後第2日曜日。

 カンタータは、
 第1年巻のBWV76、
 コラール・カンタータ年巻(第2年巻)のBWV2
 です。

 概要は、先週の記事、およびおまけページをごらんください。



 さて、東京は梅雨入りしたようです。
 その日、ぱらぱらっと、形ばかりの雨が降った後は、真夏のような日が続いていて、
 暑くてたまりませんが、
 みなさん、お体には十分気をつけてください。



 最後になりましたが、
 先週、新バッハ全集の最終巻の編纂が、一応終了した、というニュースが飛び込んできました。
 何はともあれ、50年以上におよぶ大事業も、これで一区切り。
 とにかく、進めれば進めるほど新たな疑問や問題が発生する、という状況だったようです。
 まだまだ解決しなければならない課題は山積みで、
 これからがたいへんだとは思いますが、
 かかわってこられたたくさんの方々には、心から感謝と敬意を表したいと思います。



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

画像





この記事へのコメント

2007年06月20日 14:54
Noraさん、こんにちは。

太古からの記憶が静かに眠っているような海を前にしていると泣きたくなるような懐かしさを覚えることがあります。
また時には、何とも言いがたい怖れにも似た感情に震えることも。

「海の記憶」は今も生きていて、現在の私たちの記憶とシンクロするのでしょうか。ソラリスの海もまたこの地球の海に繋がっている気がいたします。

バッハのBWV639、いつしかこの海のイメージで聞くことが多くなってしまいました。
寄せては返す波のような旋律。
私の体内にある記憶の海に、そのメロディーはいつまでも慰めるように穏やかに響いています。

オルゲルビュッヒライン(BWV639)のすばらしい記事にインスパイアされて、わたしもちょっとロマン風に書いてみました。(笑)
2007年06月20日 14:57
Noraさんのお写真、どれも素敵ですね。
中でも私が好きなのは、「天使の階段」の写真とその次の光射す海の写真です。どちらの写真にも静かなドラマを感じます。
2007年06月21日 09:48
 aostaさん。おはようございます。
 aostaさんのブログみたいにしたかったのですが、ぜんぜんダメでした。(笑)
 そもそも、aostaさんのブログの文章は、ロマン派ではないですね。
 無駄がなく、静かで、内容がそのまま伝わってくる。
 修行して、また挑戦させていただきます。 
2007年06月21日 10:33
 aostaさん、いつも優しい言葉をいただき、とてもうれしいです。
 西表島もだいぶ変わってきているようです。
 写真のビーチは誰でも気軽に入れるお気に入りのビーチだったのですが、リゾートホテルができたような話も聞きました。
 でも、海や空は、昔のままなのでしょうね。

 「天使の階段」というのは美しい言葉ですね。
 カッコ書きで書いてらっしゃいますが、そもそも、詩か何か、出典があるのかな。
2007年06月21日 19:32
天使の階段とは、太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ間や端から光が漏れて何筋もの線状の光が地上へ降り注いでいるように見える事を言うようです。
旧約聖書の故事から「ヤコブの梯子」と呼ばれることも・・・

ヤコブが夢の中で見た天使が昇り降りしている梯子、天使の階段というところでしょうか。


2007年06月22日 15:13
 そう!「ヤコブの梯子」という言い方もありました!
 すっかり忘れてました。これもまた、美しい言葉ですね。
 確か、そんな曲も、あったような、無かったような・・・・。

 どうやら、「天使の階段」というのは、一般気象現象用語として定着してるんですね。なんて、「ロマン風」、なんでしょ。
 わたしは、単に、「大チンダル」って言ってました。(笑)

 ところで、この写真をのせたのは、
 賢治の、
 「そらいっぱいの 光でできたパイプオルガン」のイメージからです。
 オルガン曲の記事なので。
 なんだか芸がないですね。

この記事へのトラックバック

過去ログ

テーマ別記事