夏空の彼方へ続くプレリュードとフーガ・きちんと曲目解説~三位一体節後第9日曜(BWV105、94他)

 今日、8月5日は、三位一体節後第9日曜日。

 カンタータは、
 第1年巻、BWV105
 第2年巻、コラールカンタータのBWV94
 後期のBWV168

 BWV105BWV94、どちらも、夏のカンタータを代表する名品ですが、
 特にBWV105は、来週のBWV46とともに、第1年巻の最高峰に位置する作品、
 全カンタータの中でも、名実ともに、10指に入る名作中の名作、と言っても、過言ではありません。

 そこで、今日もまた、きちんと曲目解説、ということで、
 ライナーノート風に、この名作と向き合ってみることにしましょう。
 少しでも、作品鑑賞のお役に立てれば、幸いです。



▽ もう何度目でしょう。またのせてしまおう。
  カンディンスキーの「空色」

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 BWV105 「主よ、裁きにかけないでください」


 この日の福音章句は、不正な財産管理人の例え話。
 わたしには、なぜ聖書で、この管理人の不正な行動を肯定しているのか、よくわかりませんが、
 バッハは、このよくわからない話を、罪の赦し、という大きなテーマにふくらませて、
 この極めて真摯な、堂々たるカンタータをつくりあげました。


 さて、さきほど書いたように、このカンタータは、第1年巻の作品。
 第2年巻・コラール・カンタータ年巻のすばらしさについては、これまで何度書いてきましたが、もちろん第1年巻も、決して負けてはいません。
 第1年巻の特徴としては、
 コラール・カンタータにいたる試行錯誤のくりかえしから、曲の様式が非常にバラエティに富んでいること、
 直接のパロディをはじめ、ケーテンの花園の残照が随所に見られること、
 などがあげられます。
 むしろ、日常的に聴く分には、第1年巻の方が断然楽しいくらい。

 ケーテン時代の音楽といって、真っ先に思い浮かぶのは、まずはコンチェルトなどの管弦楽曲。
 第1年巻の中にちりばめられた、コンチェルト等についてのすばらしさについては、もうこれ以上はくりかえしません。

 でも、ケーテン時代の音楽では、鍵盤楽曲、無伴奏、室内楽曲、等の器楽曲も、決して忘れてはなりません。
 その筆頭としてあげられるのは、やはり、平均律第1巻でしょう。

 平均律第1巻、いまさら言うまでも無く、どの曲も魅力的です。
 中でも、嬰ハ短調、変ホ(嬰ニ)短調、ヘ短調、ロ短調など、短調のプレリュードとフーガは、
 これ以上はもう考えられない、というような、驚くほどの完成度を誇る大傑作だと思いますが、
 そこからなんと、さらにまた一歩踏み出して、このプレリュードとフーガという型式の可能性をより深く追求し、試行錯誤をくりかえした末に、
 ついに、他に並ぶものが無いほど高みに到達した作品、
 まるで雄大な夏空の彼方に突き抜けたかのような作品、
 それが、BWV105の第1曲に他なりません。
(このあと、さらに、バッハが、平均律第2巻という、前人未到の次元へと進んでいくのは、みなさんご存知のとおりですが)


 <冒頭合唱・プレリュードとフーガ>

 はじめのアダージョのプレリュード部分から、
 掛留を用いた不協和音、ためいき音型、など、バッハの得意技が炸裂。
 「裁きにかけないでください」という痛切な祈りが、ひろがっていき、やがて地上すべてを覆いつくすかのようです。

 そして、ついに、二つのテーマによる大フーガが湧き起こります。
 「命あるものの中に、正しい者はいないのです」 

 ルネッサンス志向の徹底した古様式をとっていますが、歌詞にある、命=生命力を表す生き生きとしたテーマによって、同時に近代的な印象を受けるのは、バッハならでは。
 これに、ひたすら頭をたれる下降テーマがかぶさり、
 この相反するふたつのテーマの葛藤が、すさまじいフーガの精神的世界をくりひろげます。

 そうです。
 これは、
 音楽のフーガであると同時に、言葉のフーガ。 
 音楽の対位法であるとともに、言葉の対位法。

 これこそが、バッハの宗教曲の真髄です!


 宇宙が鳴動するかのような大フーガの後は、
 心をまっ白にして、ありのままの自分で神の前に出る決心を歌う、
 第2曲・レチタティーボ(アルト)
 そして、この後、バッハのカンタータの中でも、最高に美しい瞬間が訪れます。


 <第3曲・ソプラノアリア>

 何もかも投げ捨てて、すべてをまかせたれど、
 それでもなお、畏れに震えおののく心を歌ったこのアリアの、何と言う美しさ!

 まちがいなく、バッハの最も美しいアリアの一つです。


 ソプラノ、オーボエ、ヴィオラの親密なトリオ。
 トリオが歌い交わすのは、バッハが、ここぞ、という時によく使う、お得意の夢見るような旋律。

 これに、普通は通奏低音がつくのですが、ここでこのトリオを支えるのは、2声のヴァイオリンだけです。
 つまり、典型的な、バセットヒェン。

 しかも、このヴァイオリンが奏するのは、かすかなかすかなさざなみのような音型のみ。
 まるで、それ自体が、心の震えそのもののようです。

 夢見るようにさすらうメロディーに、静かな震え、おののきが、どこまでもどこまでも、ぴったりと寄り添うようについてゆく。

 なんというはかなさ、いじらしさ、
 主人公を思わず抱きしめてあげたくなってしまうほど。
 わたしが抱きしめたところでどうなるものでもありませんが。


 そして、また、奇跡は突然おこります。


 <第4曲・レチタティーボ(バス)>
 
 天から、まぶしくきらめく弦の調べが降り注いできます。
 なんという清々しさ、さわやかさ!(こればっかりだな)

 光の弦楽をまとって、救いがもたらされたことを告げるバスの力強くもやさしい歌声。
 このレチタティーボも、まちがいなく、最も美しいレチタティーボの一つです。

 通奏低音も、音楽言語、ムジカポエティカの技法の限りをつくして、
 雄弁に、歌詞にあらわれるあらゆる事象を表現します。


 <第5曲・テノールアリア>

 その後に続くこのテノールアリアは、無条件に明るく楽しい、真夏の行進曲、
 というべきものです。
 すべてがなしとげられた後の晴れやかさ。

 真夏の空に、高らかに響き渡る、ホルン(ティンク)の調べ、
 冒頭合唱で、祈りの絶唱を支えていたホルンが、ここでは、なんと朗らかなのでしょう。
 ソロヴァイオリンが、現世のあらゆる美しいものを表現して超絶技法のきらめく装飾音をくりかえしますが、それさえやがて夏空の中にとけていきます。

 まるで、入道雲がもくもくとわきあがる、真っ青な夏空の下を、どこまでもどこまでも、進んでいくような爽快な気分。
 すっかり子どもにかえって。
 白い帽子をかぶり、虫取りあみと、虫かごを持って・・・・?


 <第6曲・コラール>

 最後に、全曲の結論として、コラールが歌われますが、
 これも、いつものような、単なる4声編曲だけではありません。

 コラールが始まると、思わず、はっとなります。
 いままでの爽快な気分に、影がさします。
 コラールを伴奏する器楽が、あきらかに、あの、「心の震え」音型を刻んでいるのです。
 しかし、ご安心ください。
 一節一節進むごとに、器楽のリズムは、ゆるやかに安定していきます。
 そして、コラールのおしまいには、長く長く引き伸ばされた、決して揺らぐことの無い絶対的な平安の和音にいたるのです。

 つまり、これまでたどってきたドラマを、このコラールの中でもう一度ふりかえって、
 全曲を閉じる、ということ。
 短いながらも、実に効果的な終曲です。



▽ 遠い夏休み
  波照間の海に続く道。海の向こうは、西表島。

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 これを書くに当たって、今回は、ちゃんと聴いてみました。(笑)

 始めから終わりまで、まったくスキの無い、見事な流れのすばらしい作品であることを、あらためて思い知らされました。
 第3曲・ソプラノアリアなど、「お気に入りのアリア」として書こうかとも思ったのですが、とてもじゃないけど、これだけ抜き出してお茶をにごすわけにはいきませんでした。

 でも、こうして書いてみると、はやり、すばらしい、とか、美しい、とか、そんなような言葉をくりかえすだけになってしまうな。だから、「名曲」は苦手なんだ。
 いいのがあたりまえ、なのです。


 今回、わたしが聴いたのは、BCJ盤とヘレヴェッヘ盤。
 ヘレヴェッヘ盤、テノールアリアが、ホルンをオーボエが吹いている異稿ですが、これはこれでのどかでいい感じ。とぎすまされた合唱は、ダントツのすばらしさ。
 オジェーが歌っているリリング盤も聴きたかったのですが、なんと、探してもみつかりませんでした。


 みなさん、せっかくなので、必ず聴いてみてください。
 CDが無くてもだいじょうぶ。ちょっと古めかしくはありますが、すばらしい演奏を、全曲試聴させてくださっています。

 こちらへどうぞ。




  *    *    *



 さて、コラール・カンタータのBWV94もすばらしい作品です。
 実は、BWV105とどちらをとりあげるか、迷ったほどなので、
 ちょっとだけ、ふれておきましょう。
 

 作曲時、ライプツィヒにトラヴェルソの名人が滞在していたらしく、(名前は忘れた)
 全編、コンチェルト顔負けなほど、トラヴェルソが大活躍する名品です。

 きらきらときらめく冒頭合唱、
 しっとりと美しい短調アリアの数々、
 BWV93と同じ、見事な、トロープス・レチタティーボ、
(コラール部分によりそう器楽伴奏の、何という美しさ!)

 そして、すべてのもとになるコラールのメロディーは、
 これまで何度も書いてきた、わたしの好きなBWV398の旋律。

 などなど。
 聴きどころをあげればきりがないほど。


 全曲を飾るキラキラとしたトラヴェルソは、おそらくは、捨て去るべき地上の美の象徴なのでしょうけれど、ここでは、あまり細かいことはいわないで、それも含めて楽しんでしまいましょう。
 バッハも、明らかに、楽しんで作曲しています。バッハの笑顔が目に浮かぶようです。

 またの機会にぜひ聴いてみてくださいね。

 

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この記事へのコメント

Nacky
2007年08月05日 12:46
Noraさま
こんにちは。今日も本当に暑いです。
この暑い中で、熱いBWV105番のご紹介ありがとうございます。
正しく、プレリュードとフーガですね。
おまけに、数々の名盤が拝聴できるリンクもつけていただき、
朝から大変お得な気分です。
さて、7/29の記事でも小ミサ曲イ長調BWV234番に触れて
おられましたので、若干、私感を述べさせていただきます。
私は、バッハの作品で、長調の曲の中で短調に転調して展開される
パートが実に美しくて好きなのですね。
BWV238番では、終曲合唱です。
> ~Patris Amen~ そこから、器楽の間奏に入る
↑歌いながら痺れていました。
2007年08月05日 21:18
 Nackyさん。こんにちは。
 BWV105は、ほんとに真夏にぴったりの、熱い名曲ですね。
 わたしも夏は大好きなのですが、今日の暑さにはまいってしまいました。
 出かける予定だったのですが、一歩も外に出られなかった。

 バッハの転調はすばらしいですね。アリアの中間などでも必ず転調しますが、短調からまた長調に戻るところもステキです。
 ロマン派の音楽で、展開部をまるごと使ってやってるようなことを、一瞬でやってしまったりしてます。もちろん、どちらがよい、というわけではありませんけれど。

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