バッハの源流への旅・その10-2~さらに中世へ・セクエンツィアの名盤でたどる今後の旅の道標(後編)

 今後の中世音楽への旅の道標となる、駆け足中世音楽史。
 (3分でわかる?中世音楽の流れ)
  
 中途半端なままになっていて、申し訳ありませんでした。
 その続き、後半を、おしまいまで一息に書いてしまいましょう。

 初めての方は、まず、前半をごらんになってください。



 さて、12世紀初頭。
 フランス南部の聖地で産声をあげた初期ポリフォニーは、巡礼の道を逆行して、さまざまな音楽と互いに影響を与え合いつつ、パリへと流れ込んだわけですが、
 ゴシック文明華やかなりし、花の都、パリで、それらを受け止め、発展させたのが、
 史上初めての大作曲家、(もちろん、わたしたちが知る限り、ということ)
 レオティヌス、(レオナン)
 ペロティヌス、(ペロタン)
 を始めとする、後に、ノートルダム楽派と呼ばれることになる音楽家たちでした。

 具体的には、
 一つの声部が長く長く聖歌を歌うのに重ねて、他の声部が細かく陶酔的なリズムを刻んでゆく、オルガヌム
 声部が美しくからみあいながら、綿々といつまでも続くコンドゥクトゥス、(行列歌)
 などの形式が整えられ、
 単純だったポリフォニーは、一息に極限的なところにまでふくれあがりました。
 同時に、複雑化する音楽に対応し得る記譜法も確立し、この新しい様式は、爆発的にひろまっていきます。
 まるでノートルダム寺院等、ゴシックの大寺院を彷彿とさせるような、建築的な構造を持ったこれらの音楽は、その後の西洋音楽に、はかりしれない影響をあたえることになります。

 このようにして、現在、西洋芸術音楽、クラシック音楽と呼ばれる、グローバルなジャンルの根幹部分が誕生したわけです。


 その後は、非常に複雑で、かんたんに書くのは、なかなか難しい。
 ヨーロッパ全土の各地域において、分裂・細分化と融合、拡散と集約が、はてしなくくりかえされます。


 その過程で、
 13世紀ごろになると、
 オルガヌム等のポリフォニー技法が、教会を離れ、宮廷歌人等のトルヴェールをはじめとする世俗音楽へと、つまり一般の宮廷や学生の間へと浸透していきます。
 代表的作曲家:アダン・ド・ラ・アル
(くわしくは書きませんが、ここで言うトルヴェールは、前編で書いたトルバドゥールとは、時代、地域が微妙に異なるので御注意。まあ、どちらも世俗音楽です。)
 また、逆に、モテトゥス等の教会音楽にも、トルヴェール等世俗音楽の自由な気質が取り入れられ、より親しみやすいものになっていきます。
 代表的写本等:ラス・ウェルガス写本モンペリエ写本


 さて、そんな中、14世紀初頭に、
 まるで彗星のように、一人の天才が出現します。
 フィリップ・ド・ヴィトリ
 フランス王家の聖職者でもあったヴィトリは、トルヴェールの伝統とポリフォニー技法の完全な統合をなしとげ、
 宗教曲、世俗曲の両面で、時代を先取りするような美しい傑作の数々を生み出します。
 そして、アイソリズムを始めとする自らの音楽技法を体系的に整理し、
 それまでのすべての音楽、旧音楽=「アルス・アンティカ」に対して、
 自身の音楽は、新しい音楽=「アルス・ノヴァ」である、と、高らかに宣言します。

 ルネッサンスの息吹です。


 その後、
 ヴィトリの直弟子、全集魔の、ギョーム・ド・マショー
 トレチェント(イタリア世俗歌曲)の天才、ランディーニなどに、その精神は引き継がれ、
 フランス、イタリアで、華やかな音楽文化が花開きます。

 教会内部の純正ポリフォニー音楽も、一時期、あまりにもディープでマニアックな方向に傾倒しすぎて、現実離れした「技法のための音楽」になりつつありましたが、
(極限的ポリフォニー=アルス・スブティリオール
 これはこれでおもしろいのですが)
 チコニア等の登場によって、見事軌道修正され、豊かな実を結び始めました。

 まさに、音楽界にも、ついに、一足おそいルネッサンスの春が訪れたかのようでした。


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 が・・・・。
 これだけでは、終わらなかったのです!


 当時、大陸を離れたイギリスでは、まったく独自の、ある意味、現代にそのまま通じるような美しい響きを持ったポリフォニー音楽が発達していて、
 それらは、ジョン・ダンスタブルらに引き継がれ、絶頂期を迎えていました。


 そして、15世紀初頭、
 その異端の天才、ダンスタブルの洗礼を全身にあびた、
 一人の音楽家が、はるばるアルプスを越えて、
 ヨーッロッパ中央楽壇に登場しました。

 「北方から来た巨人」。
 彼こそが、
 ギョーム・デュファイに他なりません。

 フランス音楽、イタリア音楽、イギリス音楽、
 そして、宗教音楽から世俗音楽まで、
 それまでの音楽のさまざまな要素の奇跡の統合が、この「北方から来た巨人」の手によって、なしとげられます。
 そして、それ以降、それまで誰も聴いたことがなかったかのような、新しい音楽が、ヨーロッパ中で奏でられるようになります。


 これによって真のルネッサンスの扉が開け放たれ、
 西洋音楽は、極めて特徴的な、グローバルでコスモポリタンな側面を獲得。
 その後、大いなる発展をとげることになるのは、みなさん、御存知のとおり。


 ・・・・と、いうわけで、この章、おしまい。

 100年単位をほんの数行づつでかたずけるすさまじい内容になってしまった。
 くれぐれも、音楽のテストなどの参考にはなさらないように。


▽ ヨーロッパ音楽のその後の流れに決定的な影響をあたえた、
  美しいイギリス・ポリフォニー。
  カノン 「夏は来たりぬ」

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 さて、このあたりになると、音楽もかなり特徴的になってきて、それぞれの分野を得意とする演奏グループによる、インパクトの強い演奏がたくさんあり、
 幅広く美しい演奏を聴かせてくれるセクエンツィアのCDには、どうしても、印象的なものが少なくなってしまうようです。


 ただ、今日御紹介した音楽の中の、
 唯一無二のたいへんな名演と言ってよい、セツエンツィアのCDが、
 一枚存在します。

 これは、単にその曲の代表盤、というだけではなく、
 あの、アンサンブル・ジル・バンショワのシャンソン集と並ぶような、
 ルネッサンス黎明期の音楽の魅力をいっぱいにたたえた、歴史的名盤だと思います。

 フィリップ・ド・ヴィトリ 「モテトゥス&シャンソン集」 セクエンツィア (DHM)

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 この音楽を聴かせて、誰が14世紀の音楽だと思うでしょう! 
 どの曲もみな、あふれる泉のように清冽で美しい音楽であり、演奏です。
 例えデュファイでも、よほど調子がよくないと、このような音楽は書けなかった。

 全集魔マショーが、異様なまでの執念で自作を後世に残したため、ヴィトリはマショーの影に隠れがちですが、
 もし、彼の作品がきちんと残されていたなら、音楽史はまったく変わったものになっていたかもしれません。

 このCDも、実は長らく入手困難な貴重盤でしたが、
 一昨年くらいに、DHMの超廉価盤シリーズがリリースされた折、なんとその中に入っていました。
 わたしはうれしくて、つい何枚か買ってしまい、後で人にプレゼントしましたが、思いっきり困った顔をされたことは、言うまでもありませんね。


 なお、前回の記事で、
 セクエンツィアのカンティガのCDは知らない、というようなことを書いてしまいましたが、案の定、わたしが聴いたことがないだけで、ちゃんとありました。
 一応聴いてみましたが、今のカンティガのCDからすると、けっこうソフトなやさしい演奏でした。



▽ 特別フロク:ヴィトリのモテトゥスも収録された、フォヴェール物語のすばらしい写本。
  (拡大してご覧ください)

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 さて、この「源流の旅」、今後は、ここで御紹介した中世音楽の道標をたよりに、
 気の向いた時に気の向いたところを訪れていきたいと思います。
 どうぞ、よろしくおつきあいください。



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