ミサ曲・かけがえのないアルバム、原曲集中のミステリー~三位一体節後第10日曜(BWV46、102他)

 今日は、三位一体節後第10日曜日。
 カンタータはまたまた名曲ばかり。


 ついに、あのロ短調ミサの原曲を含む名カンタータが登場です。

 BWV46 「みとめて、見つめなさい、この悲しみを」

 この曲については、これまでも何度も書いてきましたね。
 エレミア哀歌を歌詞とするこの曲は、先週のBWV105と並ぶ第1年巻の最高峰です。
 ロ短調ミサのクイ・トリスではフルートになっている楽器が、ここではリコーダー、
 より素朴でひたむきな感じが魅力。


 また、後期作、
 BWV102 「主よ、汝の目は」
 もすばらしい。
 そのほとんどの楽章が、ルター派ミサ曲(小ミサ曲)に転用された、名曲中の名曲です。
 つまり、バッハの大のお気に入り。さすがにそれだけのことはある作品。


 (もう1曲、第2年巻・コラールカンタータのBWV101ももちろんよいですが、これはまた今度)



 ところで、カンタータの記事を、続けてごらんになってくださっている方は、この頃、やたら、ミサ曲等の原曲カンタータが多いことにお気づきでしょう。
 
 事実、作曲年代にかかわらず、ちょうど今の季節(夏)のカンタータに、それらが集中しているのは、まぎれもない事実です。


 <参考>

* 今日、三位一体後第10日曜を中心とする前後数週間のカンタータで、
  ミサの原曲を含むもの

 BWV187(三位一体後第7日曜)・・・・BWV235
 BWV136(三位一体後第8日曜)・・・・BWV234
 BWV102(三位一体後第10日曜)・・・BWV233、235
 BWV 46(三位一体後第10日曜)・・・BWV232(ロ短調!)
 BWV179(三位一体後第11日曜)・・・BWV234、236
 BWV 17(三位一体後第14日曜)・・・BWV236
 BWV138(三位一体後第15日曜)・・・BWV236

(ミサ曲のパロディ関係については、こちらの資料を用意しました。どうぞご参照ください)


 今日は、その理由について、思いついたことを少しだけ書いてみたいと思います。

 線で結ぶと十字架になる、とか、そういうんじゃないです。念のため。
 もちろん、そういうのも考えましたが。真ん中にロ短調があるし。
 でも、これから書くのは、もっと単純な、思いつきみたいなものです。



  *    *    *



 これまでしつこいくらいくりかえしてきましたが、カンタータは季節の音楽です。
 なんだ、またかい、という声が聞こえてきそうですが、
 教会暦の中に置かれた、復活祭(春)、聖霊降臨祭(初夏)、クリスマス、といったイヴェントごとに、それぞれの季節にぴったりの音楽が用意されていて、季節の移り変わりとともにそれらを聴いていくことは、何物にも変えられない楽しみなのです。

 ところが、夏になってしまうと、特に大きなイヴェントがなくなります。
 例の、三位一体節後第〇日曜、というのが続くわけです。

 季節的にも、ただ暑いだけの日が続き、さすがに今頃になると、南の島好きのわたしでも、もういいかげんにすずしくなってほしいものだ、と思ってしまいます。

 もちろん、先週のBWV105のように、真夏にふさわしい名曲もありますが、
 基本的には、カンタータも、季節とはそれほど関係の無いものが多くなります。
 内容的にも、聖書の物語よりも、毎日の日常生活に密着したような、地味だけど真摯な、ある意味普遍性のあるものが多くなります。

 わたし自身、ふだんから暦どおりにカンタータを聴きましょう、と、しつこく言っているくせに、正直に言うと、今頃のカンタータに関しては、それほどこだわらず、適当に聴くことが多いのです。


 それで、これはどういうことか、と考えてみたのですが、結局、たどりついた答えは、
 今の季節のカンタータは、いつ聴いてもいいような、普遍的な名作が多い、ということ。
 (もちろん、すべての曲がそうなのですが、特に、という意味です。)

 そして、さらに、ここで気がついたのが、
 結局、バッハも、ミサ曲を編纂するにあたり、あえて季節感の希薄なカンタータを選択したのではないか、ということです。

 復活祭やクリスマス等の曲は、もちろんたいへんな名作ばかりですが、季節感にあふれているからこその名作です。
 いつでも演奏できるようなミサ曲をつくるのに、そうした曲ではやはり具合が悪かったのではないか、と・・・・。

 そう言えば、他の原曲についても、例の参事会員がらみのカンタータや、世俗カンタータなど、季節感の希薄な曲が多いのです。

 やはりわたし自身は、どちらかというと、季節感にあふれたカンタータの方に惹かれてしまいます。
 これまで、わたしの好きなカンタータが、ほとんどミサ曲に利用されていないので、実は密かに不満に思ってましたが、考えてみると、そのような特徴的なカンタータを利用して、今のミサ曲の完成度、統一感が出せたかどうか。

 ミサ曲は、単なる寄せ集めでない、バッハの偉大な作品だ、ということは、すでに選曲の時点からはっきりしていた、ということでしょうか。


 以上、書いてきたことは、あくまでもわたしの勝手な想像にすぎません。
 その信憑性については、はなはだあやしい、と言わざるをえませんが、
 ただ、いずれにしても、
 三位一体節後第10日曜のためのカンタータ、BWV46が、
 長い長い推移の果てに、どんな季節に聴いても、またどんな時代に聴いても、わたしたちの心に響きわたる、人類の宝とも言うべき普遍的な大傑作、ロ短調ミサ・グロリアの中核に昇華した、
 と、いうことは、まぎれもない事実なのです。


 ただし、その一方で、ちょっと例外的な点もあります。
 これは、あるコメントにお答えするおまけページにも書いたことですが、
 「アリアの花園」とも言われる、ロ短調ミサ・グロリアの後半に並ぶ4曲のアリアに限っては、逆に意識的に季節感あふれるものにしているような気がします。
 しかも、4つの曲に、4つの季節がそれぞれあてがわれているような・・・・。
 編成も、それぞれまったく異なり、バッハが普段カンタータで使用したオブリガート楽器がすべて登場します。
 やはり、これはどう考えても、バッハの総決算ということなんでしょうけれど、それはまた別の話。



 *   *   *



 以上、ミサ曲について書いてきましたが、
 そもそも、ミサ曲は、バッハの自作編纂の努力の結果に他なりません。

 バッハは、情熱を傾けて、カンタータを作曲し続けましたが、
 いくら傑作であろうと、カンタータはあくまでも、限定された時期・地域のための機会音楽にすぎません。

 晩年になって、バッハは、自分が心血を注いだカンタータの自信作を、何とか後世に託そうと、
 ミサ曲等の編纂を行うようになったわけです。
 
 この試みが、やがて、あのミサ曲ロ短調へとつながっていくのは、みなさんご存知のとおりです。

 (このあたりの経緯は、これまでも何度もくりかえし書いてきました。
  ぜひ、こちらの記事ほかをごらんになってください)
 

 そして、これらの、バッハが晩年に行った、自作編纂を目的としたパロディは、晩年のバッハだけが獲得し得た超絶的技法を、それこそ命がけで投入した、「大いなる再創造」と言うべきものです。
 当然、歌詞がちがいますが、音楽もたいていまったく異なります。
 基本的には、あらゆる余分なものをはぶき、必要なものだけを際立たせる、という感じでしょうか。つまり、ただひたすら、極限まで磨きぬき、純化させる。
 ロ短調ミサにその傾向は顕著ですが、ルター派ミサ曲からしてすでに、そのことはあてはまります。

 ミサ曲と原曲とを比較すると、ほんとうに息をのみます。
「結局は寄せ集めじゃないか」と言う人の気が知れません。
(平均律第2巻や上記シュープラーコラール集を始めとする各コラール集も、これに含めていいと思います。)

 みなさん、ぜひ、この機会に、原曲カンタータとミサ曲を聴き比べて、バッハが晩年に到達した、神業とも言える作曲技法を、心ゆくまで楽しみましょう。
 それは、何物にもかえがたい、ぜいたくなぜいたくな楽しみです。


 なお、先ほどもご案内しましたが、聴き比べの際、お役に立つように、
 こちらのパロディ関係一覧を用意しました。
 どうぞご参照ください。 


 また、ちょうど先週、コメントをいただいたところですが、
 それにぴったりの、好企画のコンサートがあります。
 こちらをごらんください。



  *    *    *



▽ 将来、ミサ・トータ(ロ短調ミサ)第1部へと発展する、
  ドレスデン「小」ミサ~「感謝したてまつる」の冒頭部分。
  もとは、単なるカンタータ楽章だった。(BWV29)
  この音楽は、さらにその後に、ミサ・トータの終曲、
  つまりは、バッハの生涯最後の感謝の歌へと、昇華することになる。(詳細はこちら
  ひたすら上昇を続ける音型が、バスからソプラノへと、各声部に順番に引き継がれ、
  さらにどこまでも上昇してゆく。
  ただただ、上へ、上へ、と登ってゆく、この美しい楽譜を見よ!
  まさに何かを仰ぎ見るかのような、感謝の音楽。

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 さて、
 まだまだ暑い日が続きますが、
 これから、すずしくなるにつれて、カンタータも秋めいてきます。
 さわやかな秋風、そして、実りの秋。
 わたしは、それらのカンタータを聴くのが、今から楽しみでしかたがありません。
 しかし、その一方で、ミサ曲の原曲は、次第に減っていくのです。

 このカンタータのお知らせも、何とか1年分がつながって、
 わたしの「カンタータ年巻」が完成することになります。
 J.S.バッハは、自分の情熱と能力のすべてを注ぎ込んで、何年にもわたって、毎週、毎週、カンタータの作曲、演奏を続けました。
 そんなバッハの気持ちに少しでも近づこうと、演奏も何もできないわたしにできる唯一のことを続けてきましたが、これまで、何とか毎週かかさず、カンタータの記事を書くことができました。
 すべて、コメントをくださったり、読んでくださったみなさんのおかげです。
 ありがとうございました。

 * この記事は、一部、以前わたしが別の目的のために書いた文章をもとにしています。
   これで、わたしが書きちらかしたものも、ある程度まとまったかな。


                          2007年8月12日 ペルセウス流星群の夜に。

                                         Nora(旅の者)



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この記事へのコメント

たこすけ
2007年08月15日 23:37
暑いですねえ。お元気ですか。
最近BWV235がかなりお気に入りでよく聴いています。
特に冒頭のKYRIEが。
どことなく後半部が、モーツァルトのレクイエムで使われなかった「アーメンフーガ」になんとなく似ているような気がするのですよね。大いなる思い込み野郎かもしれませんが(笑)。
そんなことも含めて、原曲とききくらべをしてみると、これは確かに面白いですね。まだ端緒的ですが。

コンサートも興味深そう、行ってみたいですね。

話は変わりますが、デュファイのCDは「ミサ ス・ラ・ファス・エ・パル(テルツ少年合唱団、コレギウム・アウレウム合奏団員 指揮:ゲルハルト・シュミット・ガーデン)でした。いま繰り返し聴いています。
感想はとても一言ではいえません。いずれ自分のブログか、こちらにコメントで書くかもしれません。ただ一言付け加えると、衝撃的でした(笑)。

2007年08月16日 22:41
 暑いですー。お互い体には気をつけましょう。
 BWV235、いいですね。名曲です。モーツァルトのアーメン・フーガというのは、まったく知りません。(笑)でも、すごそうですね。
 このコンサートは、レクチャー付というのが何ともそそられます。実際に両方演奏される方の話が聞ける、という点が興味深いです。
2007年08月16日 22:45
 ス・ラ・ファセ・パルのテルツ少年合唱団+ソリスト盤、
 これはまた、たいへんなCDとめぐりあってしまいましたね。(笑)

 ここではあまり書かないようにしますが、まちがいなく名演だと思います。CD評等では、口をそろえて、古い、古い、と言われてるようですが、古い録音なんだから、そんなの言われなくてもわかっています。

 でも、とは言うものの、これは、数年前に初CD化された伝説の演奏で、初めて聴いた時には、それまでの常識とあまりにもかけ離れた演奏だったので、さすがのわたしも愕然としたものです。
 こちらの記事で、(→右URL欄→)ス・ラ・ファセ・パルの、最新の名演中の名演を試聴できますので、もしまだお聴きになってなかったら、参考までに、ぜひお聴きになってみてください。テルツ少年合唱団がどうすごいのかを、実感していただけるのでは。

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