バッハの源流への旅・その12~巡礼の歌・モンセラートの朱い本

 この記事は、こちらの↓道標で、位置を確認しながら、お読みになってください。


中世音楽・旅の道標





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 アルフォンソ10世。

 世界史の上では、レコンキスタの嵐が吹き荒れるイベリア半島・カスティーリャ王国において、特に実績の無い平凡な王、というか、偉大な父に対してダメダメだった王としての扱いしか受けていないようですが、
 音楽ファンの間では、いくら感謝しても感謝しきれない偉大なる王として、その名は永遠に語り継がれていくにちがいありません。


 「中世音楽・旅の道標」(前編)で書いたように、12~3世紀の南欧は、それぞれの聖地への巡礼であふれ、その巡礼たちが媒体となって、独自の巡礼歌が発達していました。


 カンティガ

 聖歌や民謡がもとになった親しみやすいメロディ。
 聖母マリアへの讃歌や、マリアの奇跡の物語や伝説を歌った歌。
 さまざまな信仰が渾然一体となり、あやしげな内容のものも少なくありません。
 現代ではもはや想像さえできないような不思議な楽器の伴奏で歌われたそれらの歌は、
 レコンキスタ前のイスラムの影響もどっぷりと受けて、
 とてもクラシック音楽の源流とは思えない、まるでどこか異郷の民族音楽そのもののような、
 強烈な個性を持った音楽です。


 わたしは民族音楽が大好きで、演奏会やいろいろな国のフェスティバルなどがあると、なるべく聴きにいくようにしていますが、
 カンティガを聴かせて、中近東あたりの歌だよ、と言えば、誰もが疑わず、
 これが、今の西洋クラシック音楽の、源流の音楽の一つだとは、夢にも思わないことでしょう。


 本来、教会の外で歌われたこのような音楽が、現代にまで伝わることはありえないのですが、
 なぜか、アルフォンソ10世は、これらの巡礼歌、カンティガの体系的な編纂を決意。
 400編を超える!カンティガのネウマ譜集成=聖母マリアのためのカンティガ集、
 を、わたしたちのために残してくれました。

 これによって、わたしたちは、12、3世紀イベリア半島で歌われていた幻の歌を、実際に耳にすることができるのです。
 しかも、これには、何と、上記のような楽器の演奏風景を含む、貴重な細密画までがついています。
 ですから、伴奏楽器の選択なども、ふつうだったらまったく推定するしかないのですが、
 カンティガの場合は、ある程度の裏づけをもって行なうことが可能で、これによって、当時演奏されていたままにより近い演奏を聴くことができる、というわけなのです。

 正に、奇跡のような、最も貴重な中世の写本、といえるでしょう。



 こちらのサイトで、美しいネウマ譜や楽しい楽器の細密画の数々を見ることができます。
Facsimiles をクリックすると、ネウマ譜、Illuminations をクリックすると、細密画)
 どうぞ、ヴィジュアル的に、カンティガの雰囲気を味わってください。



▽ カンティガのCD。これは、泣く子も黙るサヴァールの決定盤。
  でも、カンティガは曲数も多く、
  アーティストによって楽器、演奏の雰囲気等、まるで異なるので、
  何枚CDを持っていても、その分楽しめます。

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 さて、以上のように、聖母マリアのためのカンティガ集は、音楽史上極めて重要な意味を持ち、かつとても魅力的な写本なわけですが、
 実は、もう一つ、この時代の音楽を、現在に生き生きと伝えてくれるかけがえのない写本があります。


 それが、

 モンセラートの朱い本

 と、呼ばれる、
 バルセロナ近郊の聖地、モンセラート修道院に伝えられた写本です。

 この写本が編纂されたのは、14世紀末。
 時代もだいぶ後になりますし、曲数も10曲(現存するもの)と、極端に少ないですが、
 この10曲は、実にバラエティに富んでいて、この種の音楽の最高に美しい部分だけを抜き出したかのような、珠玉の10曲。


 そもそも、扉に書かれた言葉がふるっています。

  巡礼者は、とかく歌ったり踊ったりしがちなもの。
  あまりハメをはずさないように、この曲集をつくりました。
  これらの歌だったら、歌ってもかまいません。
  ただし、なるべく、めいわくにならないように、静かに。
                        (以上、大意)                           

 まったく、当時の巡礼の様子がそのまま目に浮かぶかのような言葉であり、
 そして、音楽なのです。

 それにしても、何という魅力的な世界でしょう。

 荒涼とした、不思議な形の岩の多い平原。
 地平線の彼方にそびえる岩山、そのはるか上方に、天上の都のように浮かんでいる寺院。
 抜けるような青空の下、奇妙な楽器を手に、歌い踊りながら道を行く巡礼者たち。
 やがて、日も暮れて、ポツポツと灯る野営の灯り。
 満点の星空。
 なおも風に乗って流れる音楽。

 現代からはかけはなれた遠い遠い世界ですが、
 どこか郷愁をさそう不思議な世界。


 モンセラート修道院は、ナポレオン戦争の時に破壊されてしまいました。
 しかし、なんたら、という公爵が、たまたまこの写本を持ち出していたため、この写本は奇跡的に焼失をまぬがれ、その後、修道院再建の際に、遺族から返還されました。
 これらの音楽が聴けるのも、また、歴史の偶然の積み重ねの結果なのです。

 この、モンセラートの朱い本、

 以前書いた、ブルゴーニュ・シャンソンの「シャンソニエ・コルディフォルム」(ハート型シャンソン集)とともに、わたしの最も愛する写本です。

(実は、もう一つ、大好きな写本があります。それについては、またあらためて。今度は、大航海時代!)



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 「聖母マリアのカンティガ集」は、あまりにも膨大なため、いまだ全曲CDは無いはずですが、
 「モンセラートの朱い本」については、ちょうどCD1枚分なため、以前から、よいCDがたくさんあります。
 中でも、わたしは、
 アンサンブル・ジル・バンショワの関連グループ、アラ・フランチェスカ、
(ちょっと古い例えですが、モーニング娘。の「ミニモ二。」みたいなものですね)
 のCDを愛聴しています。
 まったく奇をてらうことない、どこまでもまっすぐな歌と演奏。
 はるか遠い巡礼の様子が、正に目前に浮かぶような名演。

 もちろん、抜粋盤ですが、同グループによるカンティガ集も、最高。(冒頭のジャケット)


 カンティガ集については、最近、日本のグループ、アントネッロによるすばらしいCDも出ました。 



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この記事へのコメント

2007年09月20日 22:29
ブログ1周年おめでとうございます。
素敵な記事がいっぱいで魅せられます。
バッハのこと、有名な曲以外は恥ずかしいくらい聴いていません。
少し勉強したいなあと思うこの頃です。

アルフォンソ10世と音楽とのかかわり、興味深く読ませていただきました。
そしてモンセラート修道院の写本のお話、初めて知りました。当時の巡礼者が巡礼歌を歌いながら、あの奇怪な岩の上のモンセラート修道院へ登っていくのも想像されてこれまた興味深いことです。
最近スペインの簡単な歴史を見たところですが、この王様の意外なことを知って嬉しいです。有難うございました。
2007年09月21日 22:33
 tonaさん、ごていねいに、ありがとうございます。うれしいです。

 わたしは世界史はよくわかりませんが、このアルフォンソ10世、レコンキスタを大前進させた先代王(フェルナンド3世)に対抗すべく、文化面に力を入れたようです。
 もしかしたら、戦争の嫌いな、平和と文化を愛する人だったのかな、と、好意的に考えたこともあったのですが、実は征服欲は人一倍あったのに、たまたま失敗続きだったみたいですね。
 でも、その結果として、このような奇跡的な曲集が残されたのだから、ほんとうに、おもしろい。

> あの奇怪な岩の上のモンセラート修道院へ登っていくのも想像されて

 も、もしかして、ここにも行かれたことがおありとか・・・・!?
 でも、そう言えば、今度また、お近く?に行かれるのでしたね。
 今から、旅行記、楽しみです!
2007年09月22日 16:53
はい、モンセラート行きました。迫力ありました。
スペインはマドリッドより南を回ったのです。
10月半ばからマドリッドからスペイン北部と巡礼の道、ポルトガルへ参ります。ポルトガルの勉強が全然出来ていません。
Noraさんのようにあらゆる角度から勉強が進んでいると、充実して見学できるのですが。遊んでばかりいて、旅行記もためらっているのですが、Noraさんに楽しみですとおっしゃっていただいて、心がゆらいでおります。
2007年09月22日 23:33
 tonaさん。ありがとうございます。
 やはり、行かれたのですか!
 わたしなどからすると想像したことしかないようなところに、実際に行かれてその場に立たれた。そういうお話を聞いただけで感動してしまいます。

> スペイン北部と巡礼の道

 スペイン北部の大巡礼地、サンティアゴ・デ・コンポステラには、カリクトゥス写本というすばらしい写本があります。(世界最古のポリフォニーの一つ)
 ここは、あらゆるクラシック音楽の故郷。わたしたち音楽ファンにとっても、特別な聖地です。
巡礼路は世界遺産の美しい路だそうですが、正にその道を逆流して、ポリフォニーは、北ヨーロッパになだれ込みました。

 何よりも、そのようなところを実際にご自分の目でご覧になる、と言うこと自体、すばらしいです!旅行記のことなど気になさらず、楽しんでいらしてくださいね。
2007年09月27日 15:12
こんにちは。

「モンセラートの朱い本」。
写真でしか知らないとは言え、あの独鈷津とした異様な岩山の上に忽然と立つ修道院。
「赤」ではなく「朱」という色から来る個人的イメージも強烈で、なんだか呪われそうな(笑)気がして聴く機会を逸していました。

たまたまNAXOSで「The Black Madonna」というCDを見つけたのは、本当に偶然。そしてこの「黒い聖母」こそが、モンセラート修道院のいわば象徴であり、「朱い本」のカンティガはこの聖母に捧げられた音楽であったことを知ったのは、随分時が過ぎてからのことでした。

いい意味で裏切られた、と思います。
なんだかおどろおどろしかった先入観から、ぱあっと開放されたような感じです。といっても、未だ地霊が呼び交わすような、信仰が教会の権威のもとにがんじがらめになる前の、素朴で無邪気な真っ直ぐなエネルギーがありました。
2007年09月27日 15:24
Noraさん
晶文社から出ている「トレド風雲録」をお読みでしょうか?
時代はアルフォンソ10世より遡ったアルフォンソ8世の頃、イスラム勢力とキリスト教勢力が拮抗していた時代の物語です。
音楽とは直接関係ないのですが、スペインという国の根っこの部分を知る意味でとても面白い本でした。
お友達に貸したまま帰ってこなくなって、あきらめきれずもう一冊買って再読しました。お暇なようでしたらご一読くださいませ。
2007年09月27日 23:01
 aostaさん、 
 どの本を見ても、「朱い」という字を使ってるので、よっぽど朱色なんでしょう。(笑)もっとも、彩色されたのは、割と最近のことみたいです。
 でも、「黒い聖母」に「朱い本」、それだけで、何か物語ができそうですね。

 カンティガの場合、思いっきり効果を狙った、ドラマティックな演奏も魅力的です。むしろそうすべきだ、とも思いますが、
 モンセラートの写本に限っては、なるべくストレートな、よけいなものを排除した演奏が好きです。
 記事に書いたような曲の成立事情もありますし、(=静かに歌ってね)
 何よりもかなり後年になってからの曲集で、aostaさんがおっしゃる通り、音楽自体が、「素朴でまっすぐな」美しさに満ちているからです。
 カンティガの延長としてとらえたドロドロした演奏も多いですが、せっかくの美しさが台無しになっていることもあるようです。
2007年09月27日 23:10
 aostaさん、お礼が後になってしまいました。
 トラックバック、ありがとうございます。わたしもしましたが、もし失敗してたら、またおっしゃってください。
 こうして、カンティガなどの話ができるなんて、わたしもとてもうれしいです。(笑)

> 「トレド風雲録」

 これもおもしろそうです。URLありがとうございます。
 先日教えていただいた「聖霊の王」とともに、さっそく探してみます。
 図書館で。(笑)

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