続・最近聴いたCDから~今月のブルックナー、シベリウス

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 前回に続いて、最近聴いたCDのご紹介。
 今回は、ブルックナー&シベリウスを中心に。



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 ブルックナー No.3(初稿)

        ノリントン、シュトゥットガルト放送響


 ノリントンに関しては、これまでCDを聴いたり、TVで見たりした限り、あまりにも徹底してピリオド奏法にこだわりすぎて、ちょっと本末転倒の感も否めないな、というのが率直な感想でした。
(このブルックナー3番の初稿の録音もあったのですが、同様の印象でした)
 
 したがってそれほど積極的に聴こうとしていたわけではなかったのですが、現在最も脂が乗り切っているノリントンが、わたしが最も愛する第3番初稿を再録音した、とあってはほっとくわけにもいかず、早速聴いてみることにしました。

 結果は、
 聴いてみて、ほんとうによかった。
 実にクリアで清々しい響き。すみきった水の流れのような演奏。大満足です。
 この前ご紹介したグッテンベルク盤も、同じように清らかな水を連想させる演奏でしたが、あちらが大河+大瀑布だとしたら、今度のノリントン新盤は、曲が曲だけに、さながら高原の小川のせせらぎ、といったところか。

 特に、美しかったのは、第2楽章。
 あの2楽章、高原のさわやかな大気が細やかに打ち震えるかのようなテーマの数々が、こんなにもデリケートに響いたことはないかもしれません。

 メリハリや強弱を強調することから生じる独特の推進力、疾走感もおもしろい。

 これはやはり、ロマン派爛熟の時代に突然出現した、ルネッサンス、バロックのあだ花、ブルックナーが、ものすごーくピリオド奏法と相性がいいことの証か。

 ノリントンのブルックナー、他の曲も聴いてみなければ。

 

 シベリウス クレルヴォ交響曲

        セーゲルスタム、ヘルシンキ・フィルほか


 セーゲルスタムの新しい全集(ヘルシンキ・フィル、オンディーヌ・レーベル)については、これまでしつこいくらい絶賛してきましたが、今回、その完結編として、クレルヴォ交響曲がリリースされました。
 クレルヴォ、何度か聴いたことはあるものの、それほどなじみがあるわけではなかったので、よい機会だと思い、じっくりと聴いてみました。

 豪華絢爛な音楽絵巻のような大曲。
 1番よりも前の作品なので、当然荒削りな点は否めませんが、シベリウスならではの美しい響きやワクワクするような展開も、すでに随所に見られます。ちょっと大げさ?の感もあるが。
 全体的には、土俗的とも言える民族主義全開の、ある意味最も「フィンランド」を感じさせる響きに貫かれた音楽と言えるのでは。
 シベリウスさん、あなた、もともとはそういう人だったんだ、という感じか。

 演奏ももちろん、見事の一言。
 最近のセーゲルスタムの第一の特徴である、張り詰めたような美しさや透明感に満ち溢れているのはもちろん、曲が曲だけに、昔とった杵柄の大迫力表現の炸裂も、たまに顔をのぞかせる。

 ただ・・・・。
 いかんせん、輸入盤を聴いたので、この長ーい曲が、いったい何を歌ったものなのか、ほとんどわからない。(笑)
 そこで、あれこれ、調べ始めたのですが、調べれば調べるほど、このクレルヴォが、一筋縄ではいかない物語であり、音楽である、ということがわかってきました。

 というわけで、以前ちらっと書いたシューマンの「楽園とペリ」と合わせて、この曲についても、いつかジックリと書いてみたいものだ、と、思っております。

 このような、声楽付きの大曲は、他にもおもしろい曲がたくさんあります。

 「グレの歌」だとか、我らがブルックナーの「ヘルゴラント」だとか。
 いつか、みんな、書いてみたい・・・・。(と思うことは思うのだけれど)



 さて、それから、ブルックナーとシベリウスの、最近やたら聴くようになった、お気に入りの全集(選集)です。



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 ブルックナー 交響曲選集 ヴァント、ミュンヘン・フィル


 ヴァントは、以前、すごく楽しみにしてた実演があまりにもしょぼかったのと、(少し若かったころの、朝比奈さんと分担してやったハンブルクのオケのものです)
 最晩年のベルリンフィルライブが、(わたしは)まったく楽くなかったので、
 ちょっと苦手でしたが、
 やはり最晩年のこのミュンヘンフィルとのシリーズは、どれもこれもみんなすばらしい。
 仰ぎ見るように大きくて、いついかなる時も感じられる「静かでやさしい微笑み」がたまらない。 

 やはりこの人はただものでなかった。
 こんなことなら、もっともっと大切に聴いておけばよかった。

 前述のベルリンフィルのライブも、ちょっと見直して(聴きなおして)みなければ、と思っています。
 あれだけ大騒ぎされ、大絶賛されたのに、このごろはどうも風向きがあやしく、CDショップでも、何百円かで叩き売りされている。
 これは何だかおかしい。自分の耳できちんと確かめなければ。

 あの巨大な人工物の塊のような演奏の中に、ブルックナーの、ヴァントの微笑みを見つけるぞ。



 シベリウス 交響曲全集 エールリンク、ストックホルム・フィル


 エールリンクのシベリウスの全集は、以前から気になってはいたものの、いくら何でも古いかな、と思って保留にしてたのですが、S君さんからコメントをいただき、中古店を駆け回ってようやくゲットしました。
 確かに録音は古いものの、最新のあまたのすばらしい全集にも決して負けない、というか、それらの全集のルーツとも言えるようなすばらしい内容。
 1950年代初期の時点でこのような全集が存在していたとは、実に感慨深いものがあります。

 それにしても、録音が古いのに、この清々しさは、どういうことでしょ。本当に響きが美しい。
 S君さんが以前「濃厚」とおっしゃってましたので、ある程度覚悟してましたが、響き自体はみしろ透明といっていいような気がします。
 シベリウス独特の浮遊感も、もちろん、全開。シベリウス演奏史上最大とも言える浮遊感さえ、何度か登場。
 そして、あらゆる表現が決然としていて、まったく迷いが無い。「濃厚、荒っぽい」とおっしゃったのは、なるほど、このあたりのことか。確かにすごい。
 録音がよければ、もしかしたら、ベスト全集かも。

 この人、亡くなったのが2005年とのことですが、最近の録音はないのか。
 聴いてみたいな。
 長生きしたのに古い録音しかないなんて。シベリウス本人みたいな人だ。

 さあ、次は、いよ いよ、カヤヌスか?



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 新譜情報も追加。



 なかなか入手しずらかった、サカリ(オラモさんでなく、ペトリ・サカリさん)の、シベリウス全集(Naxos)も、安価で最リリースされます。
 サカリさんは、この全集のアイスランド響とともに、今週来日予定とのこと。
 アイスランド響、ううん、すずしそうだ。というか、すずしすぎ?



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

2008年09月10日 00:16
ヴァント最晩年のブルックナーには明らかな傾向が有るようです。
ベルリンフィルとの演奏はみな音色が明る過ぎ、オケ奏者のブルックナーの音楽に対する共感の不足を感じてしまいます。ですので私も好みません。
北ドイツ放送との演奏は響きが渋く暗いですが、和音のひとつひとつをとっても実に共感深いです。ヴァントの手兵はやはりこのオケだったということを改めて感じます。
一方ミュンヘンフィルはクナッパーツブッシュ~ケンペ~チェリビダッケというブルックナーを得意としたマエストロにずっと恵まれてきたお陰で元からオケの体に音楽が染みついているのでしょう。ヴァントが教え込まなくても良い演奏をしている気がします。ヨッフムの79年の第9番の大名演などを聴くと益々その感を強くします。ミュンヘンフィルはウイーンフィルと並ぶブルックナーオーケストラだと思います。
2008年09月10日 21:29
 ヴァント&北ドイツ放送響の演奏もいいですね。
 おっしゃるとおり響きがとても渋くて地味ですが、わたしにはあまり暗いというイメージが無く、鄙びた日向の香りみたいなものが感じられる気がします。
 ミュンヘンフィルは、最近のティーレマンの演奏などを聴いても、伝統が健在なのがわかってうれしいですね。
 ちなみに、クナッパーツブッシュのブルックナーで、わたしが最も好きなのは、北ドイツ放送響との3番と、ミュンヘンフィルとの8番(どちらも晩年のライブ盤)です。
2008年09月11日 22:57
クナッパーツブッシュの3番は北ドイツも良いですが、1964年のミュンヘンフィルとのラストライブが壮絶かつ絶品です。但し音の劣悪なCDしか有りませんのでなんとか正規録音盤が出ないものかと期待しています。8番は私は録音の良いスタジオ盤の方を好んでいます。あとはミュンヘンとの5番はウイーンフィルとのスタジオ盤とは全然異なる演奏なのでどちらも大好きです。4番にも最晩年のウイーンフィルとのライブ盤が有りますがやはり音は劣悪です。演奏は彼岸とも言えるような素晴らしさです。これも正規盤が出ないものでしょうか。
2008年09月12日 00:53
 クナッパーツブッシュのライブは、晩年のものなどは、一つ一つが正に一度きりの、かけがえのないものなので、音質が悪くても、どうしても聴きたくなってしまったものです。
 おかげさまで、夢中になって聴いていた、昔のことを思い出しました。
 音質が悪いのは想像力で補うしかないので、だいぶ想像力が養われたかもしれません。(笑)
 この頃は、突然びっくりするような録音が発掘されることもあるので、気長に期待していましょう。
かげっち
2008年09月14日 18:29
北ドイツ放送響の響き、聴く人の趣味に合うかどうかは別として、ブルックナー自身が望んだ音色ではないかもしれないと思います(私個人としては好きなオケですが)。もっと色彩豊かな音色を望んでいたんじゃないか、というのが私の想像です。

クレルヴォ交響曲は確かに荒削りで、描写的すぎるというか、冗長に感じる部分がありますね。物語を知るには、昔は岩波文庫から出ているランスリョット編の「カレワラ」しか文献がなかったのですが、最近は他にも入手できるものがありそうです。春風社「カレワラ物語」、大学書林「カレワラの歌1・2」
かげっち
2008年09月14日 18:37
追記
1)「色彩豊か」と書いたのは、明るい音色という意味ではなく、色の種類が豊富な、という意味です。正確に言えば、細かい音色の差異を演奏し分ける、ということです。

2)シベリウスはスウェーデン語を母語として育った(フィンランドでは公用語に違いないが、人口としては少数派、社会経済的地位は高い人々と言われます)という自分の育ちに一種のコンプレックスを感じていたようです。自分は本物のフィンランド人と言ってよいのか、と。その思いが強かった若い時代の民族的作品には、その分だけ気負いがあるのかも。齢を経るほどに、推敲を重ねて凝縮した作品を発表する傾向が強まったのは、彼の完全癖(鬱病に至るほどの)のゆえもあるでしょうが。
2008年09月15日 01:56
北ドイツ放送響は本当に素晴らしい楽団で私も大好きです。ですが確かにかげっちさんの言われるように、ブルックナーの音としては少々モノトーン的なのは確かでしょう。ヴァント最後の日本公演で生の音を聴きましたがやはりそういうイメージでした。やはりウイーンフィルが一番。ドイツでもオーストリアに一番近いミュンヘンの楽団(ミュンヘンフィル、バイエルン放送響)の音に適正を感じます。

クレルヴォ交響曲は若書きゆえの荒さや単調さも有りますが、私は大好きです。好きな作曲家の場合は未熟さをまだまだ残す作品でも、やはり愛してしまいます。私の場合は他にもドヴォルザークの交響曲第1番とかチャイコフスキーの第1番とかがそうです。
かげっち
2008年09月15日 21:29
Dvorakの1番とか、冬の日の幻想とか、ハル殿も相当好きですね~(私に言われる筋合いはないでしょうが ^^;)若書きの曲から晩年に至るまで一貫した風合いがあって、好きな者にとってはそれがよいのですよね。私も冬の日の2楽章なんか大好きです。Sibeliusの場合、クレルヴォは交響曲と称しながらも自由なスタイルにより思うままに書いたのに対し、むしろ1,2番は伝統的な4楽章形式のソナタに回帰していて(作品への社会的評価を意識したのかも)個人的にはチャイコフスキーの影響を感じます。
かげっち
2008年09月15日 21:43
ミュンヘンフィルにいたことのある茂木大輔氏(N響オーボエ奏者)の随筆でも、ミュンヘンフィルはBPOほどではないにせよ相当コスモポリタンなオケである(そういう奏者が集まっている)のに対し、北ドイツ響は(技術的には高いが)テイストとしてはローカルオケとされています。そのローカリティにマッチしているのがブラームスのような曲なのでしょう。ヴァントの得意レパートリーもそれとよく一致しているように思います。
ブルックナーについて私は、正直言ってなぜこれほど長い曲を書かなければならないのかと思うのですが、オルガンのストップを少しずつ変えるように音色をコントロールして演奏してみせるためには、あれだけの長さが必要だともいえるでしょう。そのためには、オケの響きにオルガン的な豊潤さがほしいですよね。
対比としては、ビールとワインの味わいでしょう。
2008年09月15日 22:28
ブルックナーの曲は確かに長いですが、マーラーも長いですしワグナーもいくらオペラとしても長いです。でもファンはその長さゆえに聞き通すことに心地よい疲労感を感じて満足するのでしょうね。これは山登りやマラソンの喜びに通じる点が有るかも知れません。歩いている、走っている、聞いている、その瞬間瞬間を楽しめないととてもゴールまで辿り着けないですものね。
2008年09月16日 20:59
 かげっちさん、こんばんは。
 ずっとでかけていたため、お返事ができず大変失礼いたしました。
 いつもながらいろいろと貴重な情報を教えていただき、ありがとうございます。

 特に、シベリウスがスェーデン語を母語として育ったというのは初めて知りました。
 クレルヴォの話は、知れば知るほど、どう受け止めていいものか、困ってしまいますね。 
 シベリウスの音楽にもっと親しむためには、やはりカレワラを読まねば、と思って、これまでに何度かチャレンジしましたが、未だにところどころ飛ばし読みする程度です。
2008年09月16日 21:16
 ハルくんさん、こんばんは。
 お返事がおくれてしまい、申し訳ありません。

 チャイコフスキーの1番、昔よく聴きましたが、いかにもロシア風な雰囲気が大好きでした。でも、ドヴォルザークの1番などはまったく聴いたことがないので、ぜひ聴いてみたいと思います。
 そう言えば、今年のラ・フォル・ジュルネで、シュ-ベルトの2番というのを初めて聴きました。その時に記事に書きましたけど、なかなかさわやかでよい曲でしたが、シューベルトと言われなければわからない感じでした。(長いところはすでにシューベルトでしたが)
 それに対して、このあたりの人たちは、さすがに初期から個性がはっきりとしてるのでしょうね。
2008年09月16日 22:34
こんばんは。ドヴォルザークの1番は正直お勧めしたものかどうか迷うところです。一般的には昔の1番(現在の5番)以降が鑑賞に耐える作品と思いますので。ですが1番から4番の中では彼の交響曲の出発点を知ると言う意味でも、また若いときならではの良さが有るので私は一番好きです。
2008年09月17日 18:54
 ハルくんさん、ありがとうございます。
 わたしは完成度とかほとんど気にしませんので、ますます聴いてみたくなりました。
 さまざまな作曲家の知られざる「1番」を聴く、なんてのもおもしろいかもしれませんね。
2008年09月17日 23:04
こんばんは。「1番」聴き通しなんてのも面白そうです。
そういえば、知られた曲も含めて「史上最高の第1交響曲は?」と前に考えたことが有ります。その時の結論はブラームスかマーラーのどちらかでしたが、候補曲にはベルリオーズの幻想(1番とすれば)も入りました。
2008年09月18日 20:58
 ハルくんさん、こんばんは。
 わたしはそれほど多くの曲を知ってるわけではありませんが、やはり好きなのはブルックナーの1番でしょうか。
 冒頭のリズムを聞くと、ブルックナーが重い腰をあげて、ようやく交響曲の長い長い旅に出発したことが感じられて、うきうきしてきます。

 史上最高の1番と言ったら、わたしとしては何と言っても、カンタータ第1番をあげなければなりません。交響曲じゃないですし、最初の作品でもないですが。(笑)
かげっち
2008年09月21日 21:43
ドヴォルザークの場合、現在で言う5番以降だけが生前に出版されたのでしたね。奇しくもシューベルトもまた、5番以降が主に演奏されていますね。
ブルックナーは1番より前に2曲ばかり書いていませんでしたっけ?
余談ですがビゼーは発表している交響曲が1曲だけのはずなのに、交響曲第1番とわざわざ呼ばれているのが面白いです。自分で命名したのかな。似た例でドビュッシーのクラリネット曲に「第1ラプソディー」というのがあります(1曲しか書かれていない)、これは自分で命名したようですが。
2008年09月22日 12:14
 有名な0番は、最近では1番より後、という見方が有力のようです。
 少なくとも、現在聴ける形になったのは、1番初稿完成よりも後のことです。
 いずれにしても、わたしの場合、なぜか昔から、1番の冒頭の方に、よりブルックナーの意気込みみたいなものを感じていました。

 ドビュッシーは、バロックへのあこがれが強かったせいか、セットで曲を書くことがあったようですね。晩年のいろいろな楽器のためのソナタも、途中まで(全6曲のうち、3曲)しか書けなかった、というのを聞いたことがあります。このラプソディについてはよくわかりませんが、あまり関係ないかな。
S君
2008年10月14日 22:33
>最晩年のベルリンフィルライブが、(わたしは)まったく楽くなかったので、ちょっと苦手でしたが、

あれほど世評の高いヴァント/BPOのブルックナーですが、僕もはっきりいって違和感を感じていました。何とか理解しようと思ったのですがダメでした。しかし、最近、このコンビで晩年のシューベルト9番を聴いて素晴らしさに震撼し、聴き直そうと思っています。

まずシューベルトからいきます。この曲、僕は苦手でした。「天国的な長さ」と言われますが、演奏者はその言葉に無意識に幻惑されて、やや弛緩しかけた演奏が多いのではないでしょうか。大河のような緩やかさは、それはそれで良いのですが、もうちょっと推進力の強い演奏があっても良いのでは、と…。しかしこの感想、実はヴァントを聴いてから思ったことでした。
S君
2008年10月14日 22:34
まず第一楽章。序奏からして、今まで聴いたことのないような重厚な対位法が聴こえてきて驚きました。主部に入ってからの推進力の素晴らしさにゾクゾク…。この曲のミソであるテンポのギアチェンジも誠に自然で説得力が高い。しかし真に驚いたのは第二楽章でした!いつものメランコリックな逍遥ではなくて、何か憑かれたような行進曲なのです。森のけものたちが憑かれたように切羽詰った行進を始め、そのうち前のめりになったようにテンポを速め、どこかに向かって突き進む。それはどこか?…地獄なのです。第二楽章後半の最後あたりにゾッとするような口を開いた深淵があり、その破局に向かって突き進む狂ったような行進。そして突然の不協和音!…ところがここからがヴァントの凄い所、そこから天国的な浄化の音楽が始まるのです。
S君
2008年10月14日 22:34
まあ、実際驚きました。そして、これはヴァントのブルックナーを聞きなおさねば、と思って図書館から借りてきたのが北ドイツ放送との晩年の6番。これにもびっくりした。どこにびっくりしたかというと…。
かげっち
2008年10月15日 12:30
そうそう、ヴァントのシューベルトは良いです(最近は「未完成」が7番で長いやつが8番とされています)。シューベルトの交響曲はモーツァルトでもベートーヴェンでもなくハイドンの系譜なので、2楽章は速く奏するべきだと、昔教わりました(この点ではサヴァリッシュのこの楽章も快感!)。ブルックナーの交響曲にも実は通じる部分があると私は感じるので、緩徐楽章を早めに取るのが好みです。曲が長いだけに、たるい演奏にならないようにするのは大変でしょう。でもブルックナーの魅力はシューベルトのような歌唱性ではないですね。
S君
2008年10月15日 16:03
>そうそう、ヴァントのシューベルトは良いです

やはりそうでしたか。ヴァントのシューベルト、9番でなく8番(笑)は本当に目からウロコでした。サヴァリッシュも聴いてみたいですねー。サヴァリッシュといえば、これから僕がヴァントで書くつもりのブルックナー6番に関して言えば、サヴァリッシュの演奏もとても良かったと思います。爽やかで豊かな自然が息づいています。
S君
2008年10月15日 16:03
さてヴァントです。最初、北ドイツ放送響とのブルックナー6番(1996年録音)を聴いた時、「らしくない」のに驚きました。これがブルックナーだと思うような響きがしないのです。音楽はひたすら完璧なほど美しく整い、力感と盛り上がりにも欠けていないのですが、心の内側が燃えてこない…。北ドイツ放送響は本当に巧いオケです。朝比奈さんもドイツで一番巧いと言っていましたが、個人の力量はプロ中のプロ級ですね。ただし、特に弦に感ずることは、音色が涼しげで爽やか、悪く言えば、冷たく色気に欠ける、ということです。
S君
2008年10月15日 16:03
しかし、これはヴァントの方針だと思うのです。管もそうですが、徹底的にニュートラルな音楽が求められている。その無地のキャンバスの上に、ヴァントはとことん考え抜いた精緻で完璧な、これしかないという音楽を構築する。それは、音楽が今誕生し燃え上がりながら大円団に向かうといったフルヴェン・タイプとは正反対のもので、当然ながら、僕の理想の一つであるヨッフムとも、ヴァントは正反対です。ヴァントは一期一会とか一回性といったあやふやなものを憎むがごとき情熱をもって、彼の理想とする所のブルックナーという壮麗な大建築を職人のような細心さと執念の元に構築する。
S君
2008年10月15日 16:04
ヴァントは自分の音楽に多大の自負心を抱いていたそうです。自分ほど高いレベルで振れる指揮者はいないのだと、しかし、そんな自分の評価が不当に低いことに不満をももらしていました。宇野さんはそんなヴァントを評して「高級すぎるのだ」と言いました。そんなヴァントの音楽を、僕のように「燃えたい」と思って聴くものではないと気が付きました。Noraさんの言葉がヴァント理解の鍵でした。「あの巨大な人工物の塊のような演奏の中に、ブルックナーの、ヴァントの微笑みを見つけるぞ」。僕はついにヴァント/NDRのブルックナー6番、第二楽章にヴァントの微笑みを見つけたような気がするのです。(BPOについてはまたいつか…長文多謝)
2008年10月15日 23:02
 かげっちさん、
 シューベルトの第8番(長い方のやつ)、わたしは大好きなので、快速調のヴァントの演奏、ぜひ聴いて見たいと思います。ヴァントの晩年のライブには、ミュンヘン・フィルとの演奏もあるようなので、聴きくらべてみたいとも思います。

> でもブルックナーの魅力はシューベルトのような歌唱性ではないですね。

 わたしはやたらハナ歌で歌ったりしますが。(笑)
2008年10月15日 23:18
 S君さん、いつもていねいな感想を書いてくださり、ありがとうございます。
 「微笑みを見つけるぞ」とは言ったものの、ヴァント/ベルリン・フィルのブルックナーは、やはりなかなか取っ付きにくいですね。とても手強い、厳しい音楽です。どうしても、ミュンヘン盤に走ってしまいます。

 さて、わたしはと言うと、今、もう一人の「精緻で完璧な、これしかないという音楽を構築」した、チェリビダッケにチャレンジしています。
 S君さんがおっしゃるように、視点をちょっと変えると、視野ががらんと開けるものですね。
 ブルックナーに関する収穫としては、もう一つ、なんと言っても、ヘレヴェッヘのミサです。これにはぶっとびました。今年のベスト・ワン決定です。(ほんとか?)
 これらについてはさらにじっくり聴き込んで、次のCDの記事に書きたいと思います。
2008年10月16日 00:33
こんばんは。
またまたブルックナーで盛り上がっていますね。
ヴァント/NDRのブルックナー6番は実に「ヴァントらしい」演奏ですね。
手兵のNDRを振ったときがやはり一番ヴァントらしく名職人ぶりを発揮すると思います。ところがヴァントファンでさえもより高く評価するのがミュンヘンフィルとの一連の演奏なのですから少々気の毒です。
このNDRの6番は名演だと思いますが、むしろ同じ職人タイプならスクロバチェフスキー/ザールブリュッケンの方が好みです。ヴァントのようにクソ真面目ではなくて良くも悪くももっと遊びがありますから。6番だけはスクロバチェフスキーが一番好きですね。ヨッフムの新旧盤を含めてもです。
2008年10月16日 23:34
 こんばんは。
 スクロバチェフスキもいいですねー。
 わたしは、8番の実演を聴きましたが、細部が実に丁寧で、フィナーレなど、スケールこそ大きくないかもしれませんが、心から楽しめました。
 そういう意味では6番などいいですね。前に書きましたが、0番と五重奏の弦楽オケ版の収録されたCDなども、最高だと思います。
2008年10月17日 00:09
スクロヴァチェフスキーの8番ですね。私もN響の定期で聴きましたが、非常に楽しめました。それと私は聴いていませんが最近の読響との0番も良かったようです。
総合的な実力からすれば、やはりヴァントのほうが上なのでしょうが、すでに世界で絶滅寸前のブルックナー指揮者としてとても貴重な存在だと思います。
2008年10月17日 09:21
 同じ演奏を聴いたかもしれませんね。

> すでに世界で絶滅寸前のブルックナー指揮者

 まあ、そんなことは決して無いと思いますが、そうならないように、みんなでよい演奏を探してゆきましょう。
S君
2008年10月17日 23:30
ミサ曲は僕もオケでやったことがありますが(外山さん)、よく理解できませんでした。たぶん、演奏が悪かったんでしょう(爆)。しかし大好きなヨッフムでさえこの曲はピンときません。なんかカロリーが高すぎて、ついてゆけません。ヘレヴェッヘだったらいいかもしれないですね。うん、確かに。

チェリはミュンヘンフィルとの4番が良かったですね。確かに、この人もヴァントと同じく精緻で完璧を目指す指揮者ですが、ヴァントに比べると人間的なファジーさがあるような気がします。ヴァント/北ドイツ放送饗のブルックナーはより完成されきって隙がない。まず、そのバランスの完璧さ!どの対位旋律もヴァントの慧眼から逃れることはできず、意味深く濃い陰影を付けられて鳴っている。テンポも引き締まっていてダレない。欠点といえば「完璧すぎること」か…。しかし、何度も聴くにはヴァントが良いのかもしれない、などと思うこの頃です。玄人好みかな?
S君
2008年10月17日 23:38
ところが今まで敬遠していたBPOとの演奏を聴いたのですよ。そして再度びっくり!北ドイツ放送饗との違いのなんと大きいことでしょう。

これぞまさしく「一期一会」です。僕はヴァントの頭の中にはひとつの完成されきった音楽があって、それをどのオケでも再現できる(する)のかなと思ってましたが、実際は違った。まさに動的で生きている。5番を聴いたのですが、かなり感銘を受けました。ただし終楽章の大円団は物足りなかった(方向性が違うヨッフムとは比べちゃいけないのでしょうが)素晴らしい対位法の陳列棚みたいで…。ちょっと教養が邪魔した感じかな(失礼)。とは言え、やはり凄いのは確か。他の曲ももっと聴いてみよう。
S君
2008年10月17日 23:46
ハルくんさんのおっしゃる通り、ヴァント/NDRのブルックナー6番は「ヴァントらしい」演奏なのでしょう。僕が昔好きだった筋肉質でスタイリッシュなベートーヴェンと同じ線上のより次元の高いひとつの芸術的成就だと感じます。聴けば聴くほどよさがわかるといった感じですね。

スクロヴァチェフスキも好きですねー。この人も良い意味の職人でしょうが、厳しすぎないのが良いですね。スッキリしているのにとても芳醇です。ヴァントがコクキレのスーパードライだとしたらスクロヴァチェフスキは爽やかなハイネッケンかな? …全然違う(笑)
2008年10月19日 01:58
>欠点といえば「完璧すぎること」か…。しかし、何度も聴くにはヴァントが良いのかもしれない、などと思うこの頃です。玄人好みかな?

さしずめクナッパーツブッシュの魅力は「完璧過ぎないこと」でしょうね。フルトヴェングラーのブルックナーのような人間臭さは無くても肌ざわりの温かみを感じます。職人技で器楽的に完璧性をとことん追い込んで行くヴァントのやり方とは正に正反対。人間業で無い自然発生的、原始的とも言えるあの凄み。それこそ何度聴いても飽きない底なしの魅力。生まれつきの天才を感じます。
ハルくん
2008年10月19日 02:03
追伸
そうそう、クナはビールで言えばミュンヘンの地ビールでしょうね。コクと味わいの点では比類がありませんから。(笑)
2008年10月19日 14:59
 S君さん、どうも。

> ヴァントに比べると人間的なファジーさがあるような気がします。

 そうなんですよ。意外と付け入る隙があるんです。特に晩年のミュンヘン・フィルの演奏。
 いずれにしても、チェリビダッケと、それからミサ曲のことは、来月のCDの記事に書こうと思っているので、ここではこのくらいにします。(笑)
 一言だけ、ブルックナーのミサ曲、これはたいへんな曲だ、ということがわかりました。モテットと同じくらい好きになってしまった。
2008年10月19日 15:30
 ハルくんさん、どうも。

 コメントに書いてくださった「肌ざわりの温かみ」ということが、わたしの場合も大きなウェイトをしめているような気がします。
 苦手だと思っていた、ヴァントやチェリビダッケの晩年の録音が意外と聴きやすく感じたのもそれを感じたせいかもしれません。
 ただ、この場合どちらも、ミュン・フィルなので、それが、果たして指揮者によるものなのか、オケ特有のものなのか?
 おそらく両者、しかもこの時期の両者の個性がぶつかりあった結果で、
 わたしはよく、この指揮者はこうだとか、このオケはこうだとかすぐに決め付けて、例えばヴァントやチェリビダッケにしても、自分は苦手なのだと勝手に思い込んでいたわけですが、演奏というのはそんなに単純なものではない、ということを、また改めて痛感させられました。

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