ちょっと早い七夕スペシャル、ヨハネ受難曲 「コラールの王冠」の帰還【三位一体節後第4日曜日】

 今週は、BWV177を聞きました。

 1732年、後期を代表する「テキスト・カンタータ」の名品。

 リリング全集盤。


 冒頭大合唱、何と言う雄大さ、おおらかさ、あふれるロマン。
 心地よいリズムを刻むオーボエ群やbcをバックに、Vnの旋律がゆるやかに飛翔し、そこに合唱下3声部が
 見事に重なる。
 のびやかで自由な旋律と極限的な対位法が共存しているバッハ晩年の奇跡。
 そして、さらに、そのすべての上で、高らかに歌われるソプラノのコラール。

 それにしても、リリング全集の器楽ソロはすばらしい。
 ここでのVnもため息が出るほど。

 その後は、ただもう、アリアの花園で憩う。
 アルト、ソプラノ、テノールと、
 バッハ後期ならではのアリアが、3曲も連なるぜいたく。

 どれもすてきだが、特にオジェーの歌う、真ん中のソプラノアリア。

 まったく何でもないようなのどかさ。
 でも、実は、他には絶対にありえない、かけがえのないぬくもり。

 最後のコラールを聴きながら、バッハを聴く至福をかみしめましょう。


 コラールは、あのBWV639で知られる「我なんじに呼ばわる、主イエスキリストよ」

 このカンタータは、テキスト・カンタータなので、全曲にわたって、詞も音楽も何もかも、純粋にこのコラールだけを展開させたもの。
 この曲は、ほんとうにこのようなロマン的な編曲にぴったりなのだ。


 初期の清らかでひたむきな編曲がBWV639なら、
 このBWV177全曲は、後期の豊潤な大編曲。
 どちらも、バッハならではのロマンに貫かれている。



   ☆    ☆    ☆



 さて、上記BWV639のコラールは、チェロのたこすけさんも録音なさっていますが、
(ちなみにこれは、たこすけさんが多重録音へのチャレンジを開始したばかりの頃、オルゲルビュッヒラインでは初めての曲だったと思います。なつかしい)
 そのたこすけさんが、今度は、「ヨハネ受難曲」終結コラールのすばらしい演奏をアップなさりました。

 * たこすけさんは、最近BWV639も、約1年半ぶりに、
   再録音なさりました。こちら
   (7月28日追記)


 せっかくなので、今回は、珍しく受難曲について。
 「ヨハネ受難曲」の終結コラールに関する、ちょっとドラマティックに脚色したストーリーを。



 「ヨハネ受難曲」 BWV245 ~ 最終コラール(第40曲)

  「ああ、主よ、あなたのやさしき天使に命じて」




 ご存知、「ヨハネ受難曲」をしめくくる、バッハの最高のコラール編曲の一つ、
 バッハの数限りないコラールの中の王冠とでも言うべき至高の1曲。

 「マタイ」のあの雄大な子守唄などと比べると、
 単なるコラールというのは、大受難曲の終曲としていかにも簡素すぎるのでは?
 と思われる方もいらっしゃると思いますが、

 ・・・・とんでもないっっ

 極限的なまでにシンプルな旋律、編曲でありながら、
 まさに一点のくもりも無い青空のように、晴れやかで力強い、
 演奏者、聴衆、あらゆる人のための「歌」。

 一瞬のスキもないほどのすさまじい緊張感に貫かれたヨハネ受難曲を聴きとおし、
 あの悲しくもやさしい子守唄の後で、このコラールが歌われる効果は、例えようもありませんが、
 単独でも、その輝きは圧倒的。


 早速、大バッハ渾身の編曲を聴いてみましょう。

 たこすけさんの演奏も、すべての声部にあふれんばかりの思いが込められていて、
 原曲のすさまじさがとてもよく伝わってくるすばらしい演奏だと思います。



 こちら



 それにしても、チェロ一本でよくここまでやるものだ、と、感心してしまいます。
 はじめ、たこすけさんがチェロによる多重録音を開始なさった時、低音楽器のチェロでは、やはり曲目は相当限定されるんだろうな、と思っていたのですが、
 たこすけさん、果敢に次々と挑戦をくりかえして、今ではソプラノが、朗々とごく自然に歌うようになっています。
 この曲なんか、ソプラノ、相当高いぞ。



  ☆    ☆    ☆



 「ヨハネ受難曲」、
 作曲は、1924年春、コラール・カンタータ年巻開始前夜です。
 したがって、このコラールが作曲されたのも、当然この時。

 バッハがライプツィヒにやってきて、初めて迎える春、受難週。
 バッハは、それこそ全身全霊を込めて、ヨハネ受難曲の作曲に立ち向かったことでしょう。

 (そのおかげで、この後の第1年巻の復活節のカンタータは、ケーテン等の世俗カンタータのパロディばかり。
 わたしが最も愛する、BWV134BWV66などの、すばらしい「ケーテン・カンタータ」が埋もれずに残されたわけですが、
 それはまた別の話)

 その結果、史上初めて姿を現した、仰ぎ見んばかりに巨大な、まるで壮大な壁画のようにモニュメンタルな受難曲。
 コラール・カンタータ年巻への挑戦を心に決めていたバッハが、その最後にコラールを置いたのは、当然のことでした。

 当時の演奏者、そしてライプツィヒの人々たちは、いったいどれほど深い感動を持って、このコラールを歌ったことでしょう!
 これこそが、バッハが選んだ道、バッハが目指した音楽だったのです。


 ところが・・・・、

 その後、何度か「ヨハネ受難曲」は演奏されましたが、
 長い間、ヨハネ受難曲の最後に、このコラールが演奏されることはありませんでした。

 さまざまな紆余曲折を経て、「ヨハネ」がその本来の姿を取り戻し、このコラ-ルが、「ヨハネ」の最後に高らかに歌われるには、実に、バッハが亡くなるその前年、ヨハネ最後の演奏まで待たねばなりませんでした。


 初演の1年後、1725年の春、偉大なるコラール・カンタータ年巻の作曲を一通り成し遂げたバッハは、そのしめくくりとして、
 「ヨハネ」を大改訂して、演奏、(第2稿。これにはさらに、「続編」イースター・オラトリオが続きます)
 この第2稿において、バッハは何を思ったか、せっかくの最終コラールを、既存のカンタータの終結コラールに差し替えてしまいます。(BWV23終曲。もちろんこれも十分すばらしい作品ではありますが)

 このときの改訂は正に大改訂と呼ぶにふさわしいもので、
 冒頭の自由合唱は、現在の「マタイ」第1部終曲として知られる大コラール合唱曲に差し替えられ、
(ヴァイマール受難曲のパロディ?)
 その他、いくつかのアリアの入れ替え、追加、マタイ福音書からの引用なども行われ、
 今わたしたちが親しんでいるのとは、かなりちがった姿になりました。

 コラールで始まり、コラールで終わる、ということでは、コラール・カンタータ年巻のしめくくりにふさわしいと言え、
 また同時に、まだ存在しない「マタイ受難曲」を予告するようなものとも言えます。
 バッハはすでに、「偉大なるマタイ」へ向けて、ゆっくりとした歩みを開始していたのでしょう。


 その後バッハは、ご存知じのように「マタイ受難曲」に向かって突っ走り、
 1727年の春に、このあまりにも巨大な受難曲が誕生。

 そのほとぼりがさめた1732年春になって、ようやく「ヨハネ」演奏の機会がめぐってきます。
 
 この時はもう「マタイ受難曲」が存在しているわけですから、
 バッハは、第2稿から、「マタイ」的な部分を徹底して排除し、原則的に第1稿の姿に戻す改訂を行いました。(第3稿)
 ただ、この第3稿のエンディングは、「マタイ」と同じように、第39曲の子守唄で終わる、というものでした。
 まだ、「マタイ」の呪縛から、解かれていなかったか。


 この後の「ヨハネ」演奏の機会は、すでに晩年にさしかかった1939年、
 トマスカントルでありながら、心は早くも何物からも解き放たれて勝手に「自由な作曲家」となり、対位法追求とともに、自作編纂に明け暮れていたバッハは、これを機に、だいぶ混乱をきたしている「ヨハネ」もしっかりとまとめておこうと思ったらしく、丁寧な総譜の浄書を開始します。

 ところが、この時の演奏は、教会当局の検閲によって、中止になってしまいます。
 すでに演奏されている作品だというのに理不尽なことですが、バッハと市当局、教会当局との不仲を象徴するような出来事と言えます。
 たしかに、「ヨハネ」の場合、わたしたちが最も美しいと思うようなアリアなどの歌詞に、現代のわたしたちからすると、ちょっと過激とも思える部分が含まれてはいるのですが。
 バッハは、腹をたてたか、やる気をなくしたか、おそらくその両方だと思いますが、せっかくの浄書も途中で放り出してしまいます。


 そして・・・・。

 理不尽とも言える検閲を細かい改訂によってしのぎ、
 「ヨハネ」が再びライプツィヒの地に響いたのは、
 バッハが亡くなる1年前、1749年の春のことでした。(第4稿)
 最後は、もちろん、「ああ、主よ、あなたのやさしき天使に命じて」。

 ついにこのコラールが、ライプツィヒ市民によって、高らかに歌われました。
 初演以来、実に四半世紀ぶり。


 以上のように、
 「ヨハネ」には、大改訂から細かい楽器等の変更にいたるまで、実にさまざまな楽譜が存在し、常にどれが決定稿なのか、ということが議論されますが、
 コラール・カンタータ完成から「マタイ」にいたる過程で、とりつかれるようにして行った第2稿の改訂以降は、
 バッハは、市当局との戦いから細かい変更を繰り返しながらも、常に一貫して、初稿の姿へと戻そうとしていたことがわかります。

 そして、それは、亡くなる寸前になって、ようやく成し遂げられた。 

  
 つまり、この生涯最後の演奏が無ければ、
 わたしたちが一般に聴くヨハネは、このコラールで終わる形ではなかったかもしれないわけです。

 あぶない、あぶない。


 まあ、第2稿で、このコラールをボツにしてしまったのは、他ならぬバッハ自身です。
 ディランやジョン、その他偉大なジャズ・ジャイアンツなど、いわゆる天才と呼ばれる皆さんは、
 わたしなど凡人がなんてすばらしい、と思うようなテイクを平気でボツにして、
 これは?と首をかしげるようなのを最終テイクにしたりしますが、
 それと同じか?

 ちょっとちがうか。



 参考:「《ヨハネ受難曲》BWV245の4稿とその成立史 -資料から読み取れるもの-」 小林義武


 * ヨハネ受難曲には、複数の稿が存在することは、当然以前から知られていましたが。
   それらの稿がはたしていつ成立したものなのか、に関しては、
   小林先生をはじめとする研究者の、気の遠くなるような、「考古学的・犯罪捜査学的」研究の結果、
   科学的に明らかにされました。

   ここに書いたような、ややロマン的に偏ったストーリーなども、
   その研究の結果、想像することができるようになったわけです。



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この記事へのコメント

かげっち
2009年07月05日 18:50
バッハはテキストをよく読み込んで作曲していたので、ヨハネをどう読んでいたのか秘密を知りたいと思っています。四つの福音書のうちヨハネ以外の三つは書き方が似ていますが、ヨハネだけはイエスをめぐる物語の描写にとどまらず、書き手ヨハネ自身の独白(礼拝説教にも等しい)が長く続く部分が何箇所もあります。だから、マタイの場合のようなオラトリオ的な形式はふさわしくないと私は思うのですが、ではバッハ自身はそういうヨハネ福音書の特質をどうとらえていたのか?

バッハってほんとにどんな人だったんでしょうね。天国に行けたら直接聞けるかな(笑)話は変わりますが、なけなしのボーナスをはたいて、鈴木秀美氏の「無伴奏チェロ組曲」(東京書籍)という講解を買いました。後輩が、レクチュアを文章化するライターを務めました。なかなか読み応えあります。
Nacky
2009年07月06日 00:23
就寝前に大変良いものを聴かせていただきました。
この世のものとは思えない美しすぎる音楽(コラール)。
この1曲は、冒頭合唱から終曲合唱までの39曲と
同じだけの重さをもっていると、私は勝手に思っています。
2009年07月06日 23:27
Noraさん、いつもありがとうございます。
そして、またまた興味深い記事をまとめていただきありがとうございます。

>・・・・とんでもないっっ!

同感です。
コラールがこんなに豪華絢爛でロマンチックでよいのかとまで思ってしまいますが、だからこそとりつかれたり、恥知らずにも録音してアップしてしまったりもするわけです(笑)。
個人的には、ソプラノで苦労しましたが、一番下のバスがかっこよくて、特に後半部、よだれが出そうでした(笑)。
ちなみにこの旋律、BWV174の終曲の5曲でも使われているのですね。楽譜を見比べると、同じような音使いをしているところもあれば、はっきりした違いもあって、たとえば歌詞的にそういう違いが説明できればまた興味深いのかもしれませんね。BWV174は以前Noraさんの記事にも取り上げられていましたが、これはこれで興味深い曲ですね。第一曲からして(笑)。
2009年07月07日 02:09
 かげっちさん、こんばんは。
 わたしは聖書の内容についてはよくわかりませんが、当然、バッハ(と作詞者)は、その内容を十分踏まえた上で、作曲にあたりました。
 ただ、バッハがどの福音書を選択したかについては、教会当局とのからみもあったでしょうし、また、まずその時作曲したい音楽があって、それに合わせる形で福音書を選んだフシもあるように思います。
 バッハは生涯にわたって同水準の完成度の高い音楽を書き続けたように言われていますが、実は、作曲の嗜好はけっこうめまぐるしく変化していて、特にライプツィヒ以降は、それが明確です。

> バッハってほんとにどんな人だったんでしょうね。

 ほんとに見てみたいですね。遠くから。(笑)
2009年07月07日 02:20
 Nackyさん、こんばんは。
 Nackyさんにも喜んでいただき、うれしいです。
(わたしが弾いたんじゃないけど・笑)
 Nackyさんがおっしゃるように、このコラールあっての「ヨハネ」だと思います。
 もし、第2稿のまま、バッハが改訂をせずに伝わっていたら、「ヨハネ」はミニ「マタイ」みたいな位置づけでしかなかったでしょう。
 バッハにも当然考えがあったのでしょうけれど、バッハのような天才でも、そのようなまちがい?を起こす、というのが、おもしろいですね。
 でも、亡くなる前に、きちっと元に戻すところが、やっぱり、さすがは、わたしたちのバッハです。
2009年07月07日 02:50
 たこすけさん、こんばんは。
 こちらこそすばらしい演奏を聴かせていただいて、ありがとうございます。
 ヨハネの変遷については、ずっと書きたいと思っていました。
 ただ、非常にややこしいため、ほっておいたのですが、せっかくたこすけさんが演奏してくださったので、大好きな最終コラールを中心にちょっと書いてみました。
 実際は、ヨハネの改訂は、もっと多岐にわたって、ほとんど全生涯を通じて行われ、それはまさしく市や教会当局とバッハとの激闘の記録そのものと言っていいのですが、そのあたりのニュアンスが少しでも出ていればいいのですが。

 BWV174、いいですよね。ピカンダーの曲はほんとうにいい。
 あれも、このコラールでしたか。
 
> たとえば歌詞的にそういう違いが説明できればまた興味深いのかもしれません

 歌詞と音楽の結びつきは、必ずあると思いますよ。バッハが、単に感覚的に編曲を施すことは、ほとんどありません。
 特に単純な4声コラールは、けっこう未知の部分が多いかもしれません。
 がんばって、いろいろ探して、教えてください。
(と、突き放す・笑)
2009年07月07日 15:29
 ところで、今週のカンタータBWV177を聴いていたら、このカンタータのもとになっているのは、あのBWV639のコラールだということに気づきました。
 BWV639と言えば、たこすけさんがオルゲルビュッヒラインの多重録音を始めたきっかけみたいな曲。何だかなつかしくて思わず本文からリンクしてしまいました。お許しください。
2009年07月07日 23:26
久々に聴きなおしましたが、いやあこれは恥ずかしい(汗)。
音がつぶれて響いていないし、バスは不安定だし・・・

実は、やりだしたらきりがないので手をつけなていないのですが、
自分の中では「もう一度やりなおしたい曲リスト」があって、
そのトップがこの曲だったりするのです(苦笑)。う~む・・・
Nacky
2009年07月10日 00:02
Noraさま たこすけさま
私の友人が、所属の合唱団で来年、ヨハネを歌うことに
なりました。
ご本人、もの凄く喜んでおります。
お祝にこのブログのページをご紹介(プレゼント)させて
いただきたいと思います。
ご了承のほど、よろしくお願い致します。 
2009年07月10日 02:21
 たこすけさん、こんばんは。
 BWV177を聴いていたら、懐かしいメロディが出てきたので、つい・・・・。
 BWV177の終結コラールでは、ほとんど原型のメロディが歌われますが、あのオルガン。コラール、よくこのメロディをあそこまでいじったものだ、と、感心するやらあきれるやら。
 機会があったら、ぜひお聴きになって、みてください。
2009年07月10日 02:34
 Nackyさん、こんばんは。
 ご友人がヨハネをお歌いになるとのこと、とてもうらやましいです。
 わたしは楽譜も読めなければ演奏もできないので、たこすけさんやそのご友人(さらにはNackyさん)ほど、バッハのそばに近づくことができないのが、もどかしい限りです。
 したがって、どれだけお役に立てるかはまったく自信がありませんが、わたしの文章を読んでいただき、演奏する上で万が一にも何かのたしになれば、こんなにうれしいことはありません。
 了承するも何も、心から感謝いたします。
 ご友人にも、がんばって歌ってくださるよう、お伝えください。
たこすけ
2009年07月11日 08:13
Nackyさま、こんにちわ。
ご友人のお話、うらやましいですね。僕も死ぬまでには受難曲やカンタータの演奏に加わってみたいものだと思っています。
Noraさんの記事は本当に勉強になるからいいですが、僕の録音はいつも情けないのでもうしわけないです(苦笑)。
2009年07月12日 02:52
たこすけさん、ごていねいにありがとうございます。

> 受難曲やカンタータの演奏に加わってみたい

 きっと実現しますよ。
 強く念じていればチャンスは必ずめぐってくるようです。
 演奏に加わるということでは、とりあえずは合唱なんかが一番おもしろいのかもしれませんね。
Nacky
2009年07月14日 22:42
Noraさま
こんばんは。コメント欄、お借りします。

たこすけさま
ありがとうございます。
私も、大曲という分類ではマタイ受難曲とクリスマスオラトリオを
歌っています。20年以上も前のことですが、今でもとっても幸せです。
たこすけさまにも、いつかそのような機会が訪れることを
お祈り申し上げます。
でも、楽器ができない私としては、大曲、小曲(バッハの作品に
このようなものは存在しませんが)に限らず、たこすけさまのように
楽器の音色でバッハに思いを伝えられることの方が、
遥かに羨ましいです。
友人にも喜んでいただけました。
改めてお礼申し上げます。
2009年07月16日 01:35
 Nackyさんも、ごていねいにどうもありがとうございます。
 歌も楽器もできないわたしからすれば、お二人ともうらやましいです。(笑)
2009年07月28日 23:59
こんばんわ。
こちらで以前のかなり恥ずかしい演奏を紹介していただいたことをきっかけに(笑)、
今回BWV639に再挑戦し、ついでにBWV177のコラールも録音してみました。
BWV177について少しふれたこともあり、こちらにリンクをはらせていただきました。いつもありがとうございます。
今回は特に”あやつられている”感が強かったです(笑)。
2009年07月29日 02:33
 たこすけさん、こんばんは。
 たこすけさんがバッハの命日にこだわってらしたので、わたしも、28日のうちに、BWV643にリンクさせていただこうと思っていたのですが、映画の記事を書きだしたら止まらなくなって、結局間に合いませんでした。ごめんなさい。
 明日、新しい演奏も含めてきちっとリンクさせていただきます。
 新しいBWV639、聴かせていただきましたが、素晴らしいと思いました。古い演奏も、何となく情緒的で、実はけっこう好きだったのですが、今回は、副声部の旋律やリズムが雄弁で、ものすごい迫力で迫ってきますね。

 映画の記事は、なんとか28日に間に合わすことができました。
 無伴奏チェロを美しく使っているのが印象的な映画なので、もしよかったら読んでみてください。

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