山形からブルックナーへ、愛をこめて。3番第1稿「ワーグナー」の真の姿を見よ!【顕現節後第4日曜日】

  注!!1月31日は、顕現節後第4日曜日でなく、復活節前第9日曜日でした。
 今年は顕現節後第4日曜日はありません。

 せっかく顕現節後第4日曜日のカンタータに関するコメントをいただいたので、記事等はそのままにしておきますが、お気をつけください。

 なお、復活節前第9日曜日に関しては、次の新しい記事に記載しました。

 


 今度の日曜日、1月31日は、顕現節後第4日曜日、

 カンタータは、
 第1年巻のBWV81
 最後期のBWV14
 の2曲です。

 過去記事はこちらこちら


 BWV14、改めて聴きましたが、すごいですね。
 これはもう、レオンハルトの全集盤があれば十分。



  *    *    *    *    *    * 



 ご紹介していないCDがたまってしまったので、ちょこちょこCDのことを書いていこうと思います。

 まずは、ブルックナー。
 これは、今週リリースされたばかりですが、真っ先にご紹介しなければ。



 このブログを始めてから、毎年、年末年始になると、必ず決まってすばらしいブルックナーのCDがリリースされ、それらのCDの感想等については、多少興奮気味に記事に書いてきました。
 果たして今年はどんなCDとの出会いが・・・・、
 と、思っていたところ、
 今年も来ました!!
 しかも、特別スペシャルなのが!!(興奮で言葉がだぶってます)



 ブルックナー 交響曲第3番・第1稿(1873年版)

        飯森範親指揮、山形交響楽団

        (山響自主制作レーベル 「YSOライブ」シリーズ)



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 山形は、同じ東北の岩手とともに、わたしにとっては特別なところです。
 学生時代、とても仲がよかった知人の実家があり、何かというとわたしも遊びに行って、すっかりお世話になっていました。
 山形には、楽しく美しい思い出しかありません。

 そんな山形から、新年早々、すばらしい贈り物が届きました。



 ブルックナー3番の第1稿、そして、その考えうる最高の名盤、シモーネ・ヤング盤への思いについては、これまでしつこいくらいに書いてきました。

 その圧倒的な演奏ゆえに、ヤング盤があれば十分、というか、もうヤング盤を超えるCDはもう当分出ないだろう、、と、心の中では決めつけておりましたが、
 こんなに早く、そのヤング盤に限りなく迫る、と言ってもよいCDがリリースされてしまいました。
 しかも、まったく思いもかけず、日本の山形から。
 これまで考えたことがないような、まったく異なるタイプの。

 これというのも、わたしがブルックナーの書いた最高の音楽のひとつと信じて疑わない第3番の第1稿が、第9番のフィナーレなどとともに、ブルックナーの重要なレパートリーの一つとして、しっかり定着してきた結果に他ならず、涙がでるほどうれしくなります。



 この演奏の最大の特色は、ブルックナー演奏において考えうる最小編成(10型の弦編成)、60人に満たないオケによる演奏、ということ。
 実は、これは、わざわざそうしたのではなく、人数が少ない、という地方オケゆえの、やむを得ぬ事情から。

 苦渋の選択。
 制約が多い中でなんとかブルックナーを演奏したい、という情熱が、これまで誰も成し得なかった、室内楽的といっていいまでに精緻極まりない演奏の実現、という奇跡につながりました。
 まさにケガの功名。


 この場合、曲が他ならぬ第3番第1稿だ、というのが、ミソ。

 第3番第1稿「ワーグナー」。
 最近この副題ははずされてることが多いですが、この第1稿には、あえて「ワーグナー」というタイトルをつけてしまいます。
 心からのあこがれだったワーグナーに、自信を持って捧げた音楽。
 ブルックナーが、自分の信じる表現のために、自分自身の楽想や技法のすべてを、こんなにも思うがままに、自由奔放に投入した例は無いでしょう。

 その結果、この曲は、ブルックナーの曲の中でも、最も複雑でややこしい対位法やリズムの氾濫したものとなっています。
 初演の歴史的失敗の一番の原因。

 交響曲作家として、意気揚揚と、大いなる自信を持って出発した矢先の、屈辱の歴史的大失敗。
 ブルックナーにほとんど立ち直ることができないくらいのダメージを与えたのが、今では、「ブルックナーのオーケストラ」としてまっ先にあげられる、他ならぬウィーン・フィルだった、というのは、何という皮肉でしょうか。

 最終稿の圧倒的な完成度と引き替えに、ブルックナーは、ほとんどその後の全生涯をかけて、愛すべき楽想たち、対位法旋律やリズムを、涙を飲んで切りとり、直し続けました。


 この演奏においては、
 少人数ゆえに、
 そして何よりも、その一人一人が、ブルックナーの失われた楽想の一つ一つを、大切に大切に心をこめてていねいに演奏しているがゆえに、
 ブルックナーが当初考えた通りの対位法やリズムのすべてが、実に鮮やかに、見事に表出されています。

 ライブ録音ではなく、大成功だったライブ直後のスタジオ・セッション録音だというのも、気合いの表れ、成功の理由のひとつでしょう。

 かつてマイナスだったことのことごとくが、ここでは、今やとてつもない魅力となって聴くものの心に飛び込んできます。

 ブルックナーの生き生きとした覇気、若々しさ(というには、ちょっと年とってるんだけど)と、対位法やリズムのややこしさとが、見事に共存している、というか、両者が不可分の関係にある、ということ。
 この曲は、そんな奇跡的なバランスの上に成り立っているんだと、改めて気づかせてくれました。

 ブルックナー、これを聴いたら、泣くんじゃないだろうか。
 できれば、聴かせたかった!

 
 聴きなれた大オーケストラによる演奏と比べると、オケに厚みはなく、
 多くのブルックナー・ファンの方が演奏に求めるであろう、「アルプスや宇宙を思わせるような壮大さ」、
 にはことかくかもしれません。

 ここにあるのは、
 壮大なアルプスや、ましてや宇宙や彼岸などではない、
 東北・山形は蔵王などの身近な山々の風景。

 しかし、山形の山々の風景、と言っても、ヨーロッパのアルプスと比べて決してしょぼいわけではない。

 どこまでも清浄な緑のこずえを渡る風、
 夏草や花々の香り、
 川遊びのきらめく水しぶき、
 芋煮会に村祭り、
 冬の樹氷やダイヤモンドダスト、
 そして、満天の星空。
 そんな、あたりまえだけど、実はかけがえのない、大切な故郷に通じるような、どこまでもなつかしい風景です。

 これまでにも書いたかもしれませんが、だいたいわたしは、日常、音楽を聴くにあたって、そんなに毎回毎回、大宇宙やら彼岸やらをのぞいてみたいとは思いません。
 音楽は、本来、もっと楽しいもの、身近なものでいいのでは。

 (ちなみに、このアルバムのジャケットの美しい山並みは、ブルックナーのジャケ写によくあるアルプスなどではなく、山形の母なる山々、蔵王刈田岳付近からながめた山々の連なりだそうです)


 それに、そもそもこの演奏、物理的な壮大さは無くても、呼吸がものすごく深い。
 音楽的な大きさ、豊かさは途方もない。

 飯森範親さんのブルックナーは、初めて聴きましたが、この方、たいへんなブルックナー指揮者では?
 これまで聴いてきた、錚々たる往年のブルックナー指揮者につながるような、彫りの深いビート、というか、常に余裕のある息づかいが感じられます。

 従って、この演奏、そんな呼吸の深さ、大きさと、小編成ならではの楽器のからみあいの美しさとが、見事に共存している、ということになります。



 最後に、具体的な聴きどころ。


 まず始めに、これは全般的に言えることですが、
 少数で音量も少ない木管などの楽器と弦とのからみは、この編成によって初めてその美しさ、楽しさが明らかにされるところが多いように思います。
 弦の上で、かろやかにさえずる木管、逆にしっとりと溶け合う弦と木管。
 これまでははっきりとは聴き取れなかった、魅力的な対旋律やフレーズが続出。
 ブルックナーには、まだまだ、こんなに魅力的な部分が残されていたのだ、と驚かれることでしょう。


 その他、細かい聴きどころをいちいちあげていったら、それこそキリが無いので、
 主なところを少しだけ。

 ブルックナーの音楽には、ブルックナー・ファン感涙の必聴ポイント、というのがいくつもあるのですが、
(一般の方が聴くと、これの何がいいんじゃ、ということが多い)
 この演奏、そういうところは、すべてきちんと押さえていて、ほんとうにすごい。
 100パーセント期待に応えてくれる、というか、こちらの予想をはるかに超える表現を見せてくれる。
 くぅ~っ、たまらん、という瞬間の連続。


 例えば、やはり最大の聴き所である第2楽章を例にとると、

 最終稿ではごっそりけずりとられてしまった、夢見るように美しい弦の対旋律をまといながら、木管がしみじみと歌う、冒頭テーマの2度目の再現部分。
 第1稿ならではの聴きどころのひとつですが、それが、かつてここまで清浄に奏されたことがあったでしょうか。
 まるで、一瞬で野を吹き抜ける透きとおった風のように、さわやか。
 そして、第1稿最大のクライマックス、天満空をゆくタンホイザーの部分。
 ここでは、ここぞとばかりに、直球勝負。
 弦が、リズミカルで美しい対旋律を、弓もちぎれろとばかりに力の限りに奏でる上で、金管が、天にもとどけと壮大な咆哮を繰り広げます。
 ここに関しては、とても、60人そこそこで演奏しているとは思えないほどの圧倒的なスケール感。

 わたしが大好きなダンス音楽、中間部のクリスマスの歌、(同様のものでは、フィナーレのポルカも)
 こんなに、楽しく、そして実際に踊るかのようにリズミカルな演奏は、これまで聴いたことがない。


 しかし、何と言っても、この演奏一番のクライマックスは、フィナーレのコーダ。

 ともすればとってつけたようになってしまうことが多い各楽章のテーマ回想が、こんなにも、美しく、懐かしく、そして名残惜しく演奏されたことはなかった。
  
 そして、それらの思い出を振り切るかのように、深い深い呼吸で音が次々と積み上げられ、ついに、最後のコーダ、
 息を飲む瞬間・・・・。

 60人に満たない少人数で、力の限り奏されるコーダは、なんと、意表をついた、信じられない快速調。

 唐突なようですが、わたしが、ジャズ、クラシックを通じて最高のピアニストと信じて疑わないバド・パウエルの全盛期の演奏を聴いていると、「虹の流星」としか言いようのないフレーズが続出します。

 大空を真っ二つに切り裂いて飛翔するかのような、アドリブのフレーズ。
 あまりの快速調、超絶技巧ゆえに、それはあっという間に流れ、消え去ってしまいますが、よく聴くと、そこには、万感の思い、無限のニュアンスが込められており、その一瞬の間に、あたかも、たくさんの色彩の光が明滅するかのようです。   

 虹の光をまき散らしながら、一瞬で空を駆け抜ける流星。

 音楽の種類も何もかも、まったく異なりますが、このコーダを聴いて、真っ先に、天才バドが思い浮かんだ。

 こんなことを普通の大オーケストラでやったら、すべてのきらめきは一つに重なって、塗りつぶされてしまったでしょう。
 少人数だからこそ、の、いちかばちかの大勝負、
 
 見事成功!

 ほんとうに、キラキラキラキラして、ちょっとすごいです。



 冒頭、ちょっとふれたように、わたしは学生時代のとても大切なひと時を山形ですごしました。
 当時からブルックナーを心から愛していたわたしは、当然、その旅の途中でも、もうすでにインバルによって録音されていた3番の第1稿を、幾度となく聴きました。

 その時、山形の美しい自然のきらめきとともに、わたしの心に焼きついた特別な第3番第1稿が、そのまま、CDから聴こえてきたような気がします。

 このCDの演奏は、2009年8月。
 あの美しい夏の山形に、こんなにすてきな音楽が響いたかと思うと、それだけでゾクゾクする。

 

 と、いうわけで、いつもながら、(いつも以上に)思いっきり個人的なCDの感想でした。



 先日の記事で書いたカザルスホールの例を出すまでもなく、昨今の厳しい経済状況によって、オーケストラや音楽ホールをはじめとする音楽業界も深刻なダメージを受けています。
 そんな中、山形交響楽団は、より運営が厳しいはずの地方オケでありながら、さまざまなアイディアと、それを実現する熱意と実行力で、不況も吹き飛ばすかのような精力的な活動を続けていることで知られています。

 このCDも、Exton レーベルからのリリースになっていますが、冒頭のデータに書いたとおり、ローム・ミュージック・ファンデーション助成による、山形SOの自主制作CDです。
 すでに4番、5番がリリース済みとのこと。
 この編成で、5番のフーガなどがどうなっているのか、大いに興味深いところ。
 全集をめざしているのかどうかはわかりませんが、心から、応援していきたいと思います。



 このシリーズをはじめ、
 これまでも何度か触れてきた、内藤彰さん指揮、東京ニューシティー管弦楽団の「世界初演」シリーズなど、
 (記事、こちらこちらこちら
 幸福なことに、日本においては、いくつかのすばらしいブルックナーのシリーズが進行中です。

 また、海外に目をむけても、ネゼ=セガンボッシュ、そしてヤングらの魅力的な全集が進行中。

 尊敬する朝比奈大先生、それから往年の大巨匠たちのブルックナーは、確かにすごかったと思います。
 それらの演奏にどっぷりと浸かってきた方々の中には、このような新しい演奏は生ぬるい、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 だけど、結局は、単なる好き好きなのだから、どちらがよい、と比較し、優劣をつけることは、あまり意味が無い、というか、そもそもおかしなことのように思えます。
 新旧どちらのアーティストにも、いいところ、悪いところがありますし、一人のアーティストに限定しても、演奏は絶えず変化するものです。さらに一つの演奏の中にも、いいところと悪いところがある。
 従って、今後もわたしは、「今この瞬間に響いている音楽」を尊重し、わたしたちと同時代を生きている演奏家のよいところ、すごいところに、なるべく目を向けていきたいと思っています。



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「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

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宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

かげっち
2010年01月29日 12:44
こんにちは。
いやはや、これだけ入れ込んだ評をうかがうと聴きたくなりますね。小オーケストラならではの明晰な響き、というのはわかる気がします。同時に、私は30年くらい前の山形響しか知らないので、失礼ながらこのオケもそこまで成長したんだな~、という感慨を覚えます。

>日常、音楽を聴くにあたって、そんなに毎回毎回、大宇宙やら彼岸やらをのぞいてみたいとは思いません

ブルックナーファンがよく口にするコメントとはひと味ちがいますね、なるほど。こういう評論を音楽誌でももっと読みたいものです。
2010年01月30日 16:21
81番を聴いています。
第3曲、波か海の描写か、弦のフレーズが単純にかっこよくて繰り返し聴いてしまいます(笑)。

このひとつ前のジョスカンの記事でも改めて痛感したことですが、
Noraさんの文章を読んでいると、無性に聴きたくなります。
なぜなのでしょう(笑)。

ヨーヨーマのドキュメンタリー番組のなかで、よく一緒に共演しているピアニストのエマニュエル・アックスが「ヨーヨーマが7人いたら音楽界は天国です」というコメントをしているのですが、おなじようなことをよく思います(笑)。
2010年01月31日 17:31
 かげっちさん、
 本文に書いたように、山形発の3番第1稿のCDということで、多少なりともひいき目で見ている部分はあるかもしれません。
 そういう意味でも、わたしが書いてるのは、「評」などではなく、単にわたし個人の感想です。(これについては、いつも、そうです)

 また、30年前の山形響をわたしは知りませんし、オーケストラの運営状況は、むしろ現在の方が厳しいかもしれないので、成長したかどうか、ということについては簡単には言い切れない部分があると思います。
 ただ、現在の山形響の演奏にわたしが感動した、ということは、まちがいない事実ですので、機会があったら、ぜひお聴きになってみてください。
2010年01月31日 17:47
 たこすけさん、いつもカンタータについてのコメント、ありがとうございます。カンタータのブログなのに、わたし自身がほとんどカンタータのことを書かないので、ほんとうに助かります。(笑)

 わたしも、BWV14の後で、BWV81を聴いてみましたが、この曲も、ほんとうに聴き応えがありますね。
 バッハお得意の、受難曲を思わせる悠然とした「まどろみのリズム」(この場合、ゆりかごでなくて船の揺れなわけですね)の後、ドラマチックな音楽が続き、最後まで一気に聴きとおしてしまいました。
 このような曲を聴くと、バッハがオペラを書かなかったのがやはりちょっと残念に感じてしまいます。
 たこすけさんがお気に入りの第3曲など、ヘンデルそのものです。
 この曲が好き、ということは、たぶん、ヘンデルのオペラはたまらないと思いますよ。
かげっち
2010年02月01日 21:58
「てらいのない個人的な感想」が音楽評論の基本だと思いますよ!

中井久夫さんという名文家(専門は精神科医)が「心躍りのしない文章は書かない」と書いておられるのを見て感心しましたが、Noraさんも同じなのではありませんか?
yocomo
2010年02月10日 18:19
初めまして!!
私は「岩手」にある合唱団で大好きな「バッハ」を歌っているものです。
こちらには時々お邪魔して興味深く読ませていただいていました。
私は1月に山響の定期公演でブラームスの「運命の歌」を歌わせてもらいました。
そのときの飯森先生の姿勢に触れ、たいへんに感銘を受けました。
音楽もですが、どんなことをしたらオケがよりよい活動をしていくことが
できるかを真剣にお考えでした。
ざんねんながらまだ、このブルックナーは聞いておりません。
演奏会のとき、ロビーで販売したのを見てはいましたので、
買ってくればよかった!と後悔しております。
早速購入してみたいと思っています。
2010年02月12日 13:39
 かげっちさん、
 いずれにしても、好きなものについて好きなように書いてるだけなので、評論ではありません。むしろ評論などにはならないようにしています。
2010年02月12日 13:41
 yocomoさん、初めまして。よろしくお願いいたします。
 東北岩手からのコメント、とてもうれしく思います。
 東北を舞台に、バッハを中心に幅広く活躍なさっていらっしゃるとのこと、すばらしいですね。
 よくバッハのカンタータはマイナーだと言われ、わたしもそうだと思い込んでいましたが、このようなブログ等を始めたことによって、実は、全国津々浦々にバッハのカンタータを定期的に演奏なさっている団体が存在する(しかもそれを聴いてらっしゃるもっと大勢の方々が存在する)ことを知って、とても心強く思っています。
 よろしかったら、また、演奏会のことなど、教えてくださるとうれしいです。

> どんなことをしたらオケがよりよい活動をしていくことができるか

 わたしもHP等を読ませていただきましたが、古きよき指揮者とオーケストラの結びつき、信頼関係みたいなものが感じられ、感動しました。
 記事に書いた3番はすばらしかったので、数字の大きな曲もぜひ聴いてみたいところです。
 当然、人数の問題等より厳しくなっていくものと思われますが、何とか続けていただけたら、と、心から願っています。
yocomo
2010年02月12日 20:52
こんばんは!!
今回は山響について書きましたが、
うちの合唱団のメインで取り組んでいるのはバッハの作品です。
先日、大きな演奏会が終わってまだその余韻の中にいるのですが、
h-moll MesseをRillingの指揮、器楽がOEKという
夢のような時間でした・・・。
こちらで、カンタータについていろいろ教えていただけたら
ありがたいと思います。
またどうぞよろしくお願いします。
2010年02月13日 23:29
 yocomoさん、こんばんは。
 リリングさんが日本各地の団体と演奏会を行なうツアーをなさってるのは聞いていましたが、東北にも行ってたのですね。
 日本の東北で、金沢のオケと東北の合唱団とリリングさんが共演してロ短調ミサを演奏する・・・・。
 まさにバッハの音楽が今や世界中で響いていることを象徴するようなすてきなことだと思います。
 生前演奏される可能性がほとんど無いにもかかわらず、亡くなる直前までこの曲をまとめ続けた、他ならぬバッハ自身が、一番びっくりして、そして喜んでいるかもしれませんね。
 それにしても、すばらしい経験をなさったようで、うらやましいです。
 スター指揮者に比べると目立たないかもしれませんが、リリングさんのバッハへの愛情と功績は、はかりしれないほど大きいと思います。
 今やたくさんのカンタータ全集が完成しつつありますが、結局、わたしが一番多く取り出して聴くカンタータ全集はリリングさんのものです。
 一番スタンダードで安心できるというのもありますが、これは記事にも書いたことですが、この全集の中には、わたしが最も愛するカンタータ、BWV134を始めとして、最高の名演が山ほど埋もれています。

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