風立ちぬ。鋼の如きやさしさ、再び~ティーレマンのブル8+ハイティンクの「夏風」【三位一体節後16】

 今年前半の愛聴く盤ご紹介。まだだらだら続けてますが、今週はブルックナーCDの補遺。
 補遺ながら、今年のベストCDの大本命盤、登場。



 まずは、カンタータのお知らせから。


 今度の日曜日は、三位一体節後第16日曜日。

 カンタータは、

 初期のBWV161をはじめ、
 第1年巻、BWV95
 第2年巻、BWV8
 後期のBWV27

 の4曲です。


 バッハは、マリアがらみの祝日と同様に、この祭日になると、常に異常なまでに気合いを入れて、カンタータを書きました。
 従って、そのすべてが、実に驚くべき名曲。


 ぜひ過去記事をご参照の上、お聴きになってみてください。

 大名作として名高いBWV8については、力及ばずまだ何も書いていませんが、
 BWV95BWV27に関しては、けっこうくわしい記事を書いています。

 過去記事はこちら。↓


 <三位一体節後第16日曜>

    三位一体節後第16日曜(BWV8、95他)
    三位一体節後第16日曜(BWV27他)
    三位一体節後第16日曜(BWV95他)
      * コメント部分
    きちんと曲目解説~マタイへ続く道・バッハ氏の日常生活の視点から(BWV27)



 さて、9月に入っても相変わらず暑い日が続いてましたが・・・・、
 昨日、今日と、東京などはけっこうすずしく、というか、肌寒いくらいで、まったく物には順序というものがあるだろ、と突っ込みたくなりますが、(誰に?)
 ようやく、ほんとにようやく、ところどころに秋の気配が見え始めた今日この頃。

 ちょうど今くらいの季節、
 夏の終わりから、秋の始まりにかけて、透きとおった風が吹き始める頃に、
 ブルックナーの音楽は、とてもよく合います。

 わたしが生まれて初めて、生のブルックナーを聴いたのも、ちょうど今くらいの季節。

 東北地方への長い旅を終えたばかりの頃で、
 音楽を聴いているうちに、秋の気配がただよい始めた小岩井農場の風景なんかが、眼前に鮮やかに甦り、
 最後のコーダでは、音楽が東京カテドラルの巨大な天井を突き破り、仰ぎ見る空間いっぱいに、青く澄みわたった秋空が広がったかのように感じられ、こんな音楽がこの世にあるのか、などと思ったものです。

 わたしがブルックナーを聴くと、宇宙空間などよりも、まずは何よりも青空、それから野山をわたる風、そよぐ草花などを思い浮かべるのは、この原体験のせいかもしれない。

 そして、ちょうど秋が始まろうとしている、今、この季節に、
 ブルックナーの最高の音楽の、最高の演奏について、記事を書くことができるのを、
 とってもうれしく思います。

 

 ブルックナー 交響曲第8番

        ティーレマン指揮、シュターツカペレ・ドレスデン



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 ずうっと楽しみにしていて、夏が始まる頃、とうとう聴くことができた。
 それからというもの、この夏ずっと聴いてきた。

 一段も二段も次元が異なる、としか言いようの無い、たいへんな名演だと思う。
 ライブ録音だが、もし生で聴いていたら、途中で気を失って、最後まで聴けなかったかもしれない。
 
 オケがこれまでのミュンヘン・フィルからシュターツカペレ・ドレスデンに変わったこともあり、
 響きが硬質になり、リズムもさらに強靭になった。
 クライマックスには、すさまじい音の塊が怒涛のように押し寄せてきて、そのビートは大地をえぐるかのようだ。
 だけど・・・・、
 決して威圧的でもないし、冷たくもない。
 常に温かなやさしさを感じる。それも、とてつもなく大きく、強いやさしさ。
 以前、ワルターの田園やヴェルナーの104番のところで書いたような。
 これはたいへんなことだと思う。

 この前の、4番&7番のDVDの感想にも同じようなことを書いたけど、これは、ティーレマンが、ブルクナーの書いたフレーズのすべてを大切に大切に扱い、一つ一つの楽器を、とてもていねいに演奏させていることによるのだろう。

 室内楽的とも言える静かな部分では、生の楽器の音、奏者の心を込めた息遣いまでがストレートに心に伝わってきてゾクゾクするし、
 どんなに迫力ある最強奏の時でも、ブルックナーが背後にしのばせた美しい対旋律やフレーズの数々が鮮やかに浮き上がって聴こえて、スケールの大きな音楽が、さらに豊かに、大らかにふくれあがる。

 また、ここぞというクライマックスでは、これまでの録音だと、高らかに斉唱される金管の陰に隠れてなかなか聴こえにくかった弦などのフレーズが、ギュルンギュルンとうなるように、力の限り奏されているのがはっきりと聞こえて、まるで、大きな波が押し寄せてくるかのようで、この場合は迫力をさらに高めている。

 長い曲にもかかわらず、渾身の演奏に引き込まれて、あっという間に、フィナーレになってしまうが、
 このフィナーレの展開部こそが、この演奏の最大の聴きどころだろう。
 言うまでも無くここは8番の中でも最も魅力的な部分でもあり、ティーレマンも良く心得ている。

 各楽器の音は、もはや歌=肉声のようになっている。
 心からの歌を歌い交わす楽器たち。
 それらの歌が対位法的にからみあい、次々と移り変わる、思わず涙がこぼれてしまいそうなくらい美しい響き。
 あたかもさまざまな色に明滅する光のようだ。
 いつまでもいつまでも、この響きの中に、この光の中に、身をまかせていたくなる。

 しかし、すべての物事には終わりがやってくる。

 圧倒的なテンションを保ったまま、コーダへ。
 8番くらいの名曲になると、始めから全部が、く~、たまらん、という感涙ポイントみたいなもので、とってつけたようなコーダなんかは別になくてもいい、というような乱暴なことを書いたばかりだが、
 この演奏の場合は、まるでちがう。
 これまでのすべてをまるごと受け止めて、決然としめくくる、すさまじいコーダ。
 ブルックナーがここに何を書いたのかが、すべて伝わってくる、あのヨッフムの第5番のコーダとも肩をならべるような、見事な演奏。
 ようく聴くと、テンポはかなり動いており、強奏の前の一呼吸、タメも大きい。つまり、このコーダのすごさは、おそらく考え抜かれたテンポ設定の勝利なのだろうが、もちろん、そんなことは微塵も感じさせない、壮麗な音の奔流。

 万感を込めて、まるで慈しむかのように、最後の音を長くのばすのと、
 長い長い静寂の後、静かに始まった拍手が、やがて歓声(絶叫)と足踏み?をも飲み込んで、津波のようにふくれあがってゆくのは、いつもの通り。 


 ブルックナーの8番を初めて聴いたとき、おそらく多くの方が、「交響曲」というものの偉大さ、美しさに触れ、胸を高鳴らせたのではないでしょうか。
 このCDをかけようとする時、これから始まる音楽のことを思って、胸がワクワクとはずみます。もう何度聴いたかわからないというのに。
 そんないつしか忘れていたドキドキする感じを、あらためて思い出させてくれる、とっておきの一枚。
 とにかく、その一言につきる。


 なお、最後に、この演奏、これまで聴きなれた演奏とはあきらかに異なる解釈の部分が続出するのを、お断りしておきたいと思います。
 最近は新たな研究に基づくさまざまな新しい版がどんどんでているので、そのような版による差違なのかもしれませんが、わたしは最近の版については細かく押さえてないので、よくわかりません。
 というか、このような演奏を前にしたら、そんなことはどうでもよくなる。

 はじめは、ちょっと違和感を感じますが、聴けば聴くほど音楽に説得力が増しているような気がしてくるので、もしかしたら、ティーレマンが独自に考え抜いた上でのことなのかもしれません。

 そのようなこともひっくるめての、超オススメ盤。



 余談になりますが、

 先日、バイロイト音楽祭の生放送、ティーレマン指揮の

 「ワルキューレ」全曲

 を見ました。


 すさまじい演奏だった。
 わたしは高いお金を出して実際劇場に行ってるわけではないので、演出がどうのこうのとか、歌手がメタボとかあまりにも年齢がおかしいとか、とりあえずそんなことは、どうでもいい。
(言ってるけど)
 往年の大指揮者を彷彿とさせる、いつ果てるともない音の大きなうねり、まるで風圧を感じさせるように迫ってくる音響のかたまり。
 そんなとてつもないスケールの大きさは、ティーレマンにとってはもはやあたりまえのようなこと。
 それだけでも感涙ものなのに、さらに驚くべきなのは、それらの音のすべてが、迫力満点なのと同時に繊細なまでにクリアで、美しい、ということ。
 これは、録画(というか、録音)の技術がすごいせいかもしれないけれど。

 ワーグナーの音楽は、こんなにも美しく繊細な側面をも併せ持っていたのか。
 ワーグナーの音楽に対するイメージを、根本的に変えなくてはならないような、そんな次元の演奏だと思う。

 ティーレマン、もう何年も続けてバイロイトに出ていて、総決算の意味もあったと思われる。
 その間にここまでの高みに到達した、ということだろう。


 来年いよいよ、この聖地バイロイトに、ヘンゲルブロック兄さんがのこのこ登場する予定。
 この後だと、いきなりハードルが高くて、圧倒的にやりにくいだろうけど、何とか持ち前の勢いとど根性で、世界をあっと言わせてほしい。いずれにしても、楽しみ。

 あと、バイロイトの常連として、あたりまえのように登場し、
 ヴォータンの奥さんを見事に演じきっていた、藤村実穂子さん、すごすぎ。
 この方の海外での実績は、もしかしたら、イチローみたいな感じ?


 それにしても、この「ワルキューレ」、なんていい作品なんだろう。
 第1幕など、観見始めたら最後、音楽の渦に巻き込まれ、おしまいまで一気に観てしまったし、
 最後の親子の別れのシーンなど、不覚にもほろっとしてしまった。
 この前見た、歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」の二段目、「道明寺」の最後の別れのシーンと、相通じるものがある。(そうか??)



 * 追記

 この後、またまたNHKで(今度は一般放送)、ティーレマン、ウィーンフィルのライブ映像も見た。
 ベートーヴェンのシンフォニー

 第4番などは、クライバーの洗礼を思いっきり受けたわたしなどからすると、ちょっと重い感じがしたが、それでも、大迫力の、天馬空を行く、というか、突進系好演。
 田園など、ファンタジーあふれる、とても美しい演奏だった。
 ウィーンフィルのつわものたちが、顔を真っ赤にして、力の限り演奏しているのが印象的だった。
 それにしても、この人、ベートーヴェンのシンフォニーなどでも、思いっきり見栄を切るんだな。



 これらを聴かずに、名盤は語れない、
 「現代」の名盤の宝庫、

  老舗オケ自主制作レーベル 


 今回とりあげたティーレマンの8番は、メジャーレーベルからのリリースではなく、シュターツカペレ・ドレスデンの自主制作レーベルからのリリースです。

 音楽業界の不振が続いていますが、その中にあって、高いレベルのCDをリリースし続けているのが、さまざまなオケの自主制作シリーズ。

 それぞれのシリーズにおいて事情は異なるのでしょうけれど、いずれにしても、一番のベースにあるのは、「自分たちの演奏した最良の演奏を何とか世に出したい」という気持ちに他ならず、そのあたりがクオリティの秘密なのだと思います。

 中には、このティーレマンの8番のように、歴史的名盤と言っても過言ではないものまで含まれているのに、国内盤がリリースされない、というだけで、メジャー雑誌等ではあまり紹介されず、話題にもならないのが残念。


 ☆ シュターツカペレ・ドレスデンのシリーズ

 ハイティンクの6番は、ハイティンクのすごさを再認識させてくれた一枚。

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 ☆ ロイヤルコンセルトヘボウOのシリーズ

 ハイティンクのブルックナー8番は、今回ご紹介したティーレマン盤と肩を並べる演奏だと思う。
 質実剛健なティーレマンに対し、限りなくおおらか&やわらか。

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 ☆ シカゴ響のシリーズ

 ここでのハイティンクのブルックナーやマーラーもすごい。
 ド迫力のシカゴ響の機能性はそのままに、さらにふっくらと大きく広がったようなイメージ。

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 シカゴ響シリーズ最新盤は、「英雄の生涯」&「夏風の中で」。(写真まん中)
 「英雄の生涯」は、わたしのような大のシュトラウス好きには、涙がちょちょぎれる大名演だが、かんじんの曲自体、曲そのものが、いくらなんでもちょっとおおげさで恥ずかしい、というか、そんなに堂々と、無条件でオススメできるような代物でない気もする。
 わたしは大大大好きだけど。

 それよりも、カップリングのウェーベルンが、曲、演奏とも、文句無しもオススメ。

 ちょこっと書いておきましょう。



 A.ウェーベルン 「夏草の中で」

    ハイティンク&シカゴ響


 この曲を聴いても、ウェーベルンだと思う人はあまりいないと思うし、作品番号もつけられていませんが、
 若きウェーベルンの青春の記録、まごうことなき傑作です。

 木陰のそよ風から、空をわたる悠々たる大風まで。
 表題どおり、さまざまな風が次々と駆け抜けてゆくような、正に夏にピッタリの一曲でした。

 この人、次々と押し寄せる現代音楽の奔流にもまれながら、自身もめまぐるしく作曲手法を変え、時折はそのいずこへ向かうともしれぬ激流の先頭に立ち、20世紀前半を駆け抜けましたが、
 この人のすごいところは、表現主義的な無調音楽でも、点描音楽でも、12音音楽でも、例えどんな手法で何を書いても、独特の抒情性というか、リリシズムが貫かれているところ。
 それは、晩年になって、シューベルトの舞曲やベルクのVnコンチェルトを指揮した、あの夢のように美しい録音の数々に通じるものです。

 ウェーベルンが、もし、古典派やロマン派の時代に生きていたら、現代でもけっこう人気の作曲家になっていたのではないでしょうか。

 そんな「もしも」の夢をちょっとだけ垣間見せてくれるのがこの曲。

 先日、Nackyさんより、「夏に聴きたいクラシック」に関するコメントをいただきましたが、わたしの場合は、やはり、この曲と、マーラーの初期シンフォニーあたりでしょうか。

 これまで、シャイーとブレーズのすばらしいCDがありましたが、そこに、ハイティンクの、圧倒的な超名盤が加わりました。


 そもそも、ウェーベルンも大好きなのです。

 「音楽の捧げ物」の核心?に迫るすっごい編曲があるし、
 最後の作品が、二曲の「カンタータ」だし、
 他人とは思えない?? 



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

2010年09月17日 14:01
よまさせて頂きました。 有難うございます。 藤村さんウイーン国立歌劇場で聴きました。 ワルキューレだったとおもいます。 ウイーンでは大スターですが、素晴らしかったです。 テイーレマンの8番聴いてみたいです。  
2010年09月18日 20:23
 タロッペいたばしさん、コメントありがとうございます。
 藤村さん、大スターとのことですが、さもあらん、です。
 わたしはオペラ歌手のことはまったく知らないのですが、
 藤村さんは、見た目も歌も品格にあふれていて、どちらかというと、メタボ系の方が多い中で、外見上もすごくかっこよく、役になりきっていて、心から感心してしまいました。
 バイロイトで、こんな大事な役を普通にこなしてるなんて、
 日本でももっと話題になっていいような気もするんですが・・・・。

 ティーレマンのブルックナー、いいですよ。
 田園の記事拝見しました。これもよかったですね!
2010年09月19日 11:19
いつもお世話になってます。 CD買おうと思ってみたら賛否両論。 ブルクナーは録音では無理とのコメントありました。 サンクト・フローリアンで5番聴きました。 ウエルスナー・メスト、クリーブランド。 教会のなかで残響が多く天井の上から後ろからとか音が聴こえてきたり、いい演奏でした。 拙宅の機械じゃ確かにこれは無理ですが、Noraさんが言われるならやはり注文しようかな。 8番はシューリヒト、ショルテーもってます。 カラヤンもあるかも。 皆ウイーン・フィルなのはウインナ・チューバの音を聴くためです。 ウイーンの先生はこちらでは評判の悪いショルテーのテンポがいいと言ってました。 ドレスデンのチューバはオーストラリアの方でベルリンの先生かもしれません。 ならフランスの学生がウインナ・チューバを習っているかもしれません。  

テイーレマンは別格みたいですね。 国立歌劇場では藤村さんグッズを売っていたので覚えています。  
2010年09月25日 22:54
> ブルクナーは録音では無理とのコメントありました。
 サンクト・フローリアンで5番聴きました。

 これは何でもそうかもしれませんが、確かに、生ライブ、実演の感動にまさるものはありませんね。
 特にブルックナーの場合など、音楽にどっぷりと身をまかせるのが醍醐味の一つだと思いますのでなおさらです。
 ザンクト・フローリアンは、残響が多いのですか。
 わたしの場合は、日本の教会ですが、東京カテドラルでブルックナーを聴きました。やはり、残響の多い荘厳な響きで、細部が聴きにくいところもありましたが、それを補ってあまりある美しさでした。
 やはり、教会で聴くブルックナーは格別だと思います。
 いつか、ザンクト・フローリアンでブルックナーを聴いてみたいものだ、とは思いますが、夢のまた夢です。

 まあ、とりあえずは、CDなどを聴くのが一番てっとり早いわけですが、生演奏とはまたちがった良さがあります。
 幸い、ザンクト・フローリアンのライブ盤もずいぶんリリースされています。
2010年09月27日 16:16
ウイーンから引き上げる前に仕事の都合がつき、毎年9月にやるブルックナー・フェステバルの演奏会に行けました。 敷地内にある演奏会場でやるのかなーと思っていたら、教会の祭壇にオケが配置して演奏。 残響のことを考えて金管楽器はかなり後方でした。 チューバは入団したばかりの杉山さんで楽屋で挨拶しました。 座席は普段ミサに使うのに加えて通路にも設置されました。 ブルックナー好きの方達が集まっているような感じでした。 ウエスナ―・メストの故郷でもあり、とてもいい演奏でした。 DVDにもなっています。 
2010年10月04日 00:55
 タロッペいたばしさん、ありがとうございます。
 ザンクト・フローリアンでの演奏の具体的な様子が、とてもよくわかりました。
 やはりブルックナーを愛する音楽家にとっては、ザンクト・フローリアンでの演奏は、特別気合が入るんでしょうね。
2010年10月06日 11:19
DVDを持っています。 それによると、地元 Wels 出身のウェルザー・メストによればこの公演でクリーブランドのアメリカ人メンバーもブルックナーが分かったと言うことです。 なおウエルザー・メストは子供のころから教会に出入りしていたとのこと。 
2010年10月08日 14:14
 タロッペいたばしさん、
 わたしは音楽には国境や宗教の壁は無いと思っていますが、ブルックナーのように特殊な音楽になるとそうもいかないところがあるようです。
 でも、ザンクト・フローリアンのように特別な場所で気持ちが一つになると、やはり、国や宗教などは関係なくなるのでしょうね。
2010年10月12日 10:10
ブルックナーはアンスフェルデン村のカトリック教会育ち。 私坊主の倅で子供のころからお寺に出入り。 壁はあるのでしょうがいいものはいいですね。 
2010年10月28日 12:32
> いいものはいい

 おっしゃるとおりですね。
 演奏する側は、なかなか難しい点もあるかもしれませんが、
 せめて聴く側は、常にそういう姿勢でいたいものです。

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