新旧饗宴!(けっして競演でなく)~最近聴いたCD・ブルックナー編【棕櫚の日曜日】

 待ちに待ったプロ野球&大リーグ開幕。
 一方、フィギュアスケートは、長い長いシーズンをしめくくる頂上決戦、世界選手権。
 春のスポーツシーズン、いきなりクライマックス!


 世界フィギュアスケート選手権大会は、すでにペアSPが終わっており、高橋成美&マーヴィン・トランペアがここに来て今季最高の演技を見せ、好発進を飾ったとのこと。成美選手の元気なガッツポーズが目に浮かぶ。
 今年は、ロシアやカナダの国内大会も含め、世界中の戦いを丁寧にJスポ等で観戦してきたので、出場選手たちが、それぞれどのような思いを背負ってここまで勝ち進んできたのか、とてもよくわかっているつもりです。
 もはや、誰に勝ってほしい、とか、誰を応援する、とかは2の次。優勝争いにかかわるような有力選手だけでなく、世界中の個性あふれる選手たちが、無事ベストの演技をして、それがきちっと評価されることを祈るのみ。
 その点、当日放送は地上波だけしかないのが痛恨事だが、これも最低限をきちっと放送してくれることを祈るのみ。
 いきなり今日は女子SP。
 すべてのフィギュアスケート選手の晴れ舞台を、心静かに見守りたい。



 さて、スポーツも春たけなわですが、折しも今度の日曜日、4月1日は、棕櫚の日曜日、そのまま受難週に突入します。
 カンタータは初期のBWV182
 受胎告知日の名作、あのBWV1も、棕櫚の日曜日のためのカンタータでもあります。

 4月、春、BWV番号1番を冠したカンタータが、新しい季節の始まりを告げます。



 と、いうわけで、レントももうすぐ終わりですが、例によって、感想を書きたいCDがまだ山ほど残っているのに、ほとんど書けていない・・・・。

 続けてどんどん行きます。

 まずは、またまたブルックナーから。



 交響曲第6番 飯森範親指揮、山形響


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 あえて第1稿にチャレンジした前回の第3番の場合と異なり、第6番くらいになってくると、すでに錚々たる歴史的な名演がそろっている。
 クラシックを聴きかじっていると、どうしてもそうしたお気に入りの演奏や、それらを聴いているうちに培われた自分自身の「理想の演奏」と比較したくなってしまうが、そのような聴き方をしている限り、この演奏の真の価値を見失ってしまうことになる。

 このシリーズは少人数の限られた条件で録音されている。
 大編成のオケの音とはちがうかもしれないけど、そんなことははじめからあたりまえで、だからどうのこうのとケチをつけたら、何のために音楽を聴いているのかわからない。自分の理想の演奏が大切だったら頭の中で鳴らしていればいい。
 音楽は個性のちがう人間通しのコミュニケーション、その原点をわたしは大切にしたい。

 過去の名演と呼ばれるものや、自分の理想の演奏との比較ではなく、純粋にそこに響く音楽と対峙する。
 演奏家の至芸だけではなく、その向こうにある作曲家の心と向き合う。どんなに聴きなれた曲でも、なるべくなら、初めて聴く音楽であるかのような気持ちで。
 そのようにして初めて見えてくるものがある。
 ちょっとおおげさな言い方かもしれないけど、そのような、「無心の境地」みたいな心で接して初めて、音楽は、新たな冒険と発見に満ちたエンターティンメントとなり、一期一会の、わくわくするような心と心の出会いとなる。

 事実、ここでは、魅力いっぱいの「蔵王サウンド」が、山響だけの新鮮なブルックナーを奏でている。
 このCDのたすきには、
 「蔵王山系の澄みきった息吹のハーモニー」
 とある。
 そもそもCDのたすきというのは、いいかげんなことが書いてある場合がほとんどだが、このCDの場合、この言葉がズバリ演奏の核心をついている。
 スキーのメッカとしての蔵王ではなく、初夏や秋の蔵王に親しんだことがある方なら、わかっていただけるだろう。
 あの風の清々しさ、緑の鮮烈さ、そしてそれらすべてをひっくるめた、おもいっきり雄大なんだけど、何だか優しい感じ、「日本の故郷」とでもいうべき懐かしい感じ。

 大編成の一流オーケストラには絶対にできない、小編成の一人一人がていねいに演奏することによって初めて可能となる、唯一無二の「蔵王サウンド」は、すでに、新たなブルックナーを奏でるのにふさわしい「響き」になりつつある。



 交響曲第3番第1稿 ブロムシュテッド指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスO


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 山響と言えば、前回ご紹介した第3番初稿を忘れることはできない。このとてつもない音楽を、見事に描ききった超名演が、わたしと山響との出会だった。
 そして、第3番初稿に、今回またたいへんな名演が加わった。
 3番のCDと言えば、この頃は、多くの人が初稿を録音するようになってきて、とてもうれしい限りだが、これも当然のことと言っていいのではないか。
 ブルックナーの、冒険と革新の精神に満ちあふれた、この実験的大作の魅力に一度でも触れてしまうと、その魅力にとりつかれ、もう2度と離れることはできない。
 ブルックナーはこんなに「新しい」作曲家だったのだ。
 晩年に書きなおされた第3稿のフィナーレの深遠さも捨てきれない、という見方もあると思うが、そんなに深遠さを味わいたかったら、第9番でも聴いていればいい。

 そして、この初稿にトライするほとんどのアーティストが、見事な名演をなしとげている。
 しかも、一つとして同じような、いわゆる「ブルックナーらしい」演奏、ブルックナーはこうあるべき、とこれまで一部の人が力説してきたような型どおりの演奏は無い。
 みんな、この曲が大好きになって、心から大切に、自分の信じるイメージ通りに演奏するのだ。
 そして、それを聴いてゆくのは、とても楽しい精神の冒険だ。

 このブロムシュテットの演奏も、唯一無二としか言いようのない、たいへんな名演。
 まず、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスOの従来のイメージとはまるで異なる、あっと驚くような、どこまでも透きとおった清冽な響きに圧倒される。
 まるでさわやかなしぶきをあげて流れる清流のような弦や木管、
 晴れ渡った空の太陽の光のような、輝かしい金管。
 その美しくも鮮烈な響きによって、始めから終りまで、一瞬たりとも気をゆるめることなく、やりたいことをやりつくした、文字通り息もつかせぬような、実に緊迫感あふれるブルックナー。
 このようなブルックナーもいい。これもまた、3番初稿にふさわしい。

 ブロムシュテットさんと言えば、いつもニコニコ笑いながら、のどかな音楽を奏でるおじいさん、というようなイメージがあったが、いつのまにかこんなたいへんな演奏家になったのだろう。



 交響曲第7番 朝比奈隆指揮、大阪フィル

  オランダ・フローニンゲンライブ(大フィル欧州演奏旅行におけるもう一つの第7) 


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 朝比奈さんのブルックナーについては、実演ならではの「一期一会の魅力」、ということを書いたばかりだが、
 このライブ録音の場合は、2週間前の有名な聖フローリアンライブと、ほとんど同じ演奏を貫いている、というところが逆に面白く、そのことがかえって一期一会の感動につながっている。
 聖フローリアンは、ブルックナーゆかりの、実際にブルックナーが眠っている大聖堂における、あらゆる意味で「特別な」演奏。
 今回のオランダ・フローニンゲンライブは、この演奏旅行最後のしめくくりのブルックナーとは言え、普通のホールでの演奏。
 いろいろな点で明らかに状況がちがっているだろうに、演奏自体はだいたい同じ。
 朝比奈さん、頑固なまでに同じ表現をつらぬいている。
 7番の表現に関しては、よほど確固とした信念があったのか、あるいは、ノヴァークさんにもお墨付きをいただいた聖フローリアンで獲得した表現を大切にしたかったのか。
 ただ、演奏自体が似ていても、今回のライブは音が飛びぬけてよく、残響深い教会での録音に比べてはるかに音が生々しい。
 聖フローリアンではぼんやりとしている部分が、ああ、こういう表現だったのか、とわかる。(聖フローリアンの高音質の録音も眠っているようなので、そちらも気になるところだが)
 こちらの演奏の方が、即興的な部分が多いように聞こえるかもしれないが、これは音がくっきりと聞こえるせいもあるだろう。いちいち細かく比べてないけど。
 画期的で、実り多かった欧州遠征旅行の最後の演奏ということで、当然聖フローリアンとはまたちがった気合も入っており、余裕が感じられるところもある。
 このCD、朝比奈さんの生の息遣いが聴こえてくるようで、ファンにはたまらない1枚。



 交響曲第8番 クナッパーツブッシュ指揮、ウィーンフィル (’61)


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 以前からよく知られた録音の正規リリース。
 モノラルながら、音質がものすごく良くなって、当時の優秀なモノラルスタジオ録音とほとんど変わらないような音で、この世紀の名演を楽しむことができるのは何よりもうれしい。
 これまでは、例えば、ウィーンフィルならではの弦の音にしても、どこか古色蒼然とした懐かしい色合いを帯びていたのが、実にみずみずしい、時にはむせかえるほどの、濃厚で力強いロマンを歌いあげる生きた音楽として、ストレートに心に突き刺さってくる。
 クナッパーツブッシュは、すでに最晩年にさしかかったと言ってもいい1961年時点においても、こんなにも陶然とした音楽を奏でていたのだ。

 21世紀になってグラモフォンからリリースされたリマスター盤によって、有名なミュンヘンフィルとのウェストミンスタースタジオ録音盤も、ものすごくダイナミックレンジの広い、ある意味ゴージャスな演奏であることが明らかになって、わたしたちを愕然とさせたし、
 さらに有名な、その直前の同オケとの歴史的ライブ盤も、ドリームライフのリマスター盤によって、スタジオ盤のゴージャスさ、雄大さはそのままに、瞬間瞬間のすさまじい即興にあふれた生命力の塊のような演奏であることを思い知らされた。
 そして、今回のこの演奏。

 これらの演奏の中で、(CDから想像する限り)最も実演を聴きたいと思うのは、文句無しに、ミュンヘンフィルとのライブだが、以上の3種類の演奏をじっくりと聴いて初めて、晩年のクナッパーツブッシュの第8の真実の姿が浮かび上がるような気がする。
 そしてその「真実の姿」は、やはりとてつもなく圧倒的で感動的であるが、これまで常套句のように言われてきた「素朴で枯れた」ものとはまったく異なるものであることを、これらの甦った録音たちは教えてくれる。

 CDやレコード、特に過去の名盤と言われるものは、かくもたよりないものなのだ。
 このことからも、一部の録音だけでその演奏家の良し悪しを決めつけてしまうことが、どれだけ独りよがりで危険なことなのか、またあらためて痛感させられた。 



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この記事へのコメント

たこすけ
2012年04月02日 00:36
こんばんわ。
ブルックナーは全く聴いたことがないのですが、いずれ聴く時が来たらNoraにはお助けをお借りしたいと思っています。メーワク野郎ですいませんm(__)m。

> 音楽は個性のちがう人間通しのコミュニケーション、その原点をわたしは大切にしたい。
> 過去の名演と呼ばれるものや、自分の理想の演奏との比較ではなく、純粋にそこに響く音楽と対峙する。
> 演奏家の至芸だけではなく、その向こうにある作曲家の心と向き合う。どんなに聴きなれた曲でも、なるべくなら、初めて聴く音楽であるかのような気持ちで。
> そのようにして初めて見えてくるものがある。
> ちょっとおおげさな言い方かもしれないけど、そのような、「無心の境地」みたいな心で接して初めて、音楽は、新たな冒険と発見に満ちたエンターティンメントとなり、一期一会の、わくわくするような心と心の出会いとなる。

いわゆる”評論家”どもに聞かせてやりたい至言ですね。カットすることもできないほどの深い内容で、そのまま家の額縁に飾っておこうかと・・・(^^)
こんな、いわば当たり前の接し方がどうしてなかなかできないのか、誰が無意識的にも妨害しているのか、頭が痛くなりますねえ。

> このことからも、一部の録音だけでその演奏家の良し悪しを決めつけてしまうことが、どれだけ独りよがりで危険なことなのか、またあらためて痛感させられた。 

ちょっと違う角度からなのですが、
僕は最近メンデルスゾーンに足を突っ込んでいるのですが、メンデルスゾーンの一般的な評価で多用される言い方のもとを探ったら、なんと1850年のワーグナーの政治的な悪意をこめた”論評”に源があり、実は言い方そのものも(”ユダヤ人だから”というような言葉を外せば)ほぼそのままである、ということを知り、頭を抱えています。
たこすけ
2012年04月02日 00:37
連投で恐縮です。

【追伸】メンデルスゾーンはいくつかの曲でコラールらしきものを多用しています。自分のブログでも書いたのですが、ピアノトリオの2番のwikiの解説では「これはBWV668だ」とありましたが、ちょっと微妙に違うような。自作の可能性もありますが、もしこれがバッハの使っているもので、そのタイトル、どの曲に使っているか、などが分かれば曲の理解におそろしく深みが出てきそうで、楽しみなのです。この辺の事情について、Noraさん、もしご存知でしたら教えていただけないでしょうか。よろしくおねがいします。

【追伸2】メンデルスゾーンはあるコンサートでBWV106(!)を演奏しているようですよ。オルガンコンサートでは全曲バッハ、というものも。決してマタイ復活だけでは無いですね。もっと広く、深そうです。
2012年04月05日 03:25
 たこすけさん、どうも。
 わたしも、メンデルスゾーンは、声楽曲やオルガン曲などきちんと聴かなければ、といつも思いながらも、一部のピアノ曲以外はほとんど聴いたことがないに等しいので、基本的には、たこすけさんのおっしゃる「一般的なイメージ」しか持っていませんでした。
 わたしなどが若いころは、クラシックに興味を持っても、何もわからないことばかり。たくさんある曲や演奏の中で、どれを選んでいいのか見当もつきませんでした。
 まわりにある情報はいかにもくわしそうな人が本や雑誌で書いていることや、レコードのライナーだけ。それでも貴重な情報なので、みんな喜んでそれを読んで、強烈な印象として心にすりこまれ、狭い世界の中で、いつまでもそれが引き継がれ続けているようなような気がしてなりません。
 ブルックナーなども、その最大の被害者の一人ではないでしょうか。
 今は、インターネットなどがあって、誰でも自由に情報を選ぶことができるので、少しでも、自由な感想を書いていけたら、と思っています。
2012年04月05日 03:26
> メンデルスゾーンはいくつかの曲でコラールらしきものを多用しています。自分のブログでも書いたのですが、ピアノトリオの2番のwikiの解説では「これはBWV668だ」とありましたが

 メンデルスゾーンのコラールが出てくる曲と言えば、ルターの賛美歌が出てくる交響曲くらいしか知りませんでした。
 この曲は、興味深いですね。あまり興味深いので、記事に書くことにしました。
 ちょうど受難週で、受難曲の恩人、メンデルスゾーンのことですし。
 でも、このコラールについては、結局よくわからないと思います。
 実はわたしには、コラールはけっこう似たように聴こえる曲が多くて、タイトルとメロディが一致する曲は、ほんの一部の有名曲くらいなのです。実際に演奏しているたこすけさんの方が、ずっとよく知ってらっしゃると思います。
 と、いうわけで、いつものように単なる感想だけになりそうなので、あまり期待しないでいてください。

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