NHK クラシック音楽館の感想・4月~6月【三位一体節後第9日曜日】

 今度の日曜日(7月28日)は、三位一体節後第9日曜日。


 カンタータは、

 第1年巻のBWV105
 第2年巻のBWV94
 後期のBWV168

 の3曲です。


 BWV105、真夏の大名曲の登場。名演奏。

 過去記事をご参照の上、↓ぜひお聴きになってみてください。


 <三位一体節後第9日曜>

    夏空の彼方へ続くプレリュードとフーガ・きちんと曲目解説(BWV105、94他)
    真夏の幻影、あるいは「夏の夜のオペラ」(BWV45、168)



 今年も、ツール・ド・フランスの暑い夏が終わってしまった。

 初っ端の第1ステージを皮切りにステージ優勝を重ね、最後にはシャンゼリゼでカヴェンディッシュの指定席までもぎ取って、スプリンターとしてマイヨ・ヴェールのサガン以上に印象的だったキッテル、
 コンタドールがまったくついていけないマイヨ・ジョーヌのフルームに、常にぴったりとくらいついていき、ついにアルプス山岳の最終ステージで、フルームを置き去りにして鮮やかに先頭でゴールを駆け抜け、マイヨ・ア・ポワ・ルージュ(おまけにマイヨ・ブランと総合2位も!)をもぎとった、まるで山を登るために生まれてきたような、コロンビアのクインターナ、
 そもそもフルーム自体が昨年はアシストだった(最強のアシストではあったけど)わけだし、新しい力の鮮烈な台頭を感じさせる、すばらしい21日間の戦いでした。

 新城幸也選手も個人総合99位で無事完走。4年連続完走となりました。
 海外の実況では、ほんの一部しかクローズアップされませんでしたが、(ただ、わずかでもクローズアップされるのがすごい!)
 日本チャンピオンの真っ赤な日の丸ジャージが元気に走っているのは、いつも画面に映っていて、わたしたちに元気をくれました。

 
 一方、野球の方は、いよいよ後半戦スタート、

 我がファイターズは、ソフトバンク、オリックスとほとんど並び、下位からの仕切り直しですが、上位チームともそれほど差がついているわけではない。
 前半戦の最後は、よい感じになってきていたし、新たな気分でがんばろう!
 だいじょうぶ、ソフトバンクと差をつけられないようにしていけば、最後はソフトバンクとの決戦、ということになるような気がする。

 (・・・・と、いいつつ、今週末には、いきなりソフトバンクとの3連戦。
 ほんとは、ここでソフトバンクを叩きのめして、一気に上位に近づきたいところ。)


 さて、かくいうわたしは、この夏真っ盛りに、早くもフィギュアスケートモード。

 今週は、毎年恒例、真夏、というか、1年最大のお楽しみ、THE ICEが開催。
 浅田真央選手、いよいよ始動です。

 今年は五輪年ということで日程が短縮され、愛知公演が平日になったため、わたしが行くのは土日の大阪公演。
 同じく真夏のお楽しみ、新宿エイサー祭りとバッティングしてしまいましたが、しかたない。池袋で一足早くめんそーれフェスタを堪能したので、あきらめます。
(さらに言えば、川合良一さんの交響楽団魁の定期ともバッティング。体が3つほしい??)



 今日は、TVで観た演奏会の感想メモ。



 4月の番組改編で、N響をはじめとするオーケストラ等の演奏会ライブをプログラム通りにきちんと放送してくれていた、BSプレミアの「特選オーケストラライブ」が終わってしまってがっくりしていたら、地上波Eテレで、「クラシック音楽館」としてリニューアルされ、放送が始まったので、ほっとした。(日曜夜9時)

 これまでもたまに、特に心に残った放送については感想を書いてきたが、これを機会に、印象深かった放送を、記録していくことにしたい。
 毎月アップしていこうと思っていたが、たまってしまったので、まるっと3か月分。



 ☆ N響1764回定期


 シェーンベルク 「浄夜」、ブラームス ピアノ協奏曲第2番

  グリモー(P)、ジンマン指揮


 とにかく「浄夜」がすばらしかった。
 グリモーのブラームスを楽しみに見始めたのだが、はじめのプログラムで、一気に心を奪われてしまった。

 ジンマンが後期ロマン派の音楽の美しさをいかにひきだすかについては、この前のR.シュトラウスの記事で書いたばかりだが、正にそれを証明するような圧倒的な演奏であり、絢爛たるロマン派の音楽が最後に行き着いた極地が、他ならぬシェーンベルグであることを、ジンマンとN響のストリングスが、全身で体感させてくれた。

 もちろん、ジンマンのこと、演奏そのものはまったくロマンチックではなく、思わせぶりで陶酔的な感情移入はほとんど見られない。
 しかし、ジンマンとN響のストリングスが、真摯に作曲家の書いた音そのものを現実の音にするだけで、本来音楽が持っている陶酔性、官能性が、ストレートにあふれ出てくる。

 これこそが、芸としての演奏でない、再現芸術の一つのあるべき姿なのだろう。とにかく、ここまで、ジンマンは到達した。


 メインのグリモーのブラームスも、もちろん聴きごたえがあった。

 この協奏曲、よく言われるように「ドイツ的で渋い」、ブラームスらしい側面よりも、むしろ、終楽章などに見られるような、その後のラフマニノフ、さらにはジャズまでをも予見させるようなモダン性が、わたしには魅力なのだが、そのあたりがものすごく生き生きと表出されていた。

 これはいつものことだが、この人は、例えそれがどんな体曲名曲であろうと、あらゆる先入観を排除して、一から音楽に向き合おうとする。



 ☆ 東京フィル 特別演奏会


 シェーンベルク グレの歌

  尾高忠明指揮、東京フィル


 この曲は、上記「浄夜」をさらに突き進めた、正に後期ロマン派の最後の姿ともいうべき超大曲。
 めったに聴けない曲で、それだけで貴重なのだが、これがまたすばらしい演奏だった。

 大震災で中止になった楽団創立100周年記念演奏会を、2年越しに復活させた特別演奏会で、奇しくも今回は、グレの歌初演100周年その日のコンサートになったとのこと。
 オール日本人キャストだが、初演時のオリジナル編成。
 いろいろな意味でモニュメンタルな演奏だったようだ。

 この曲、大好きで、昔よくCD(レコード)を聴いたが、これまで聴いた中でも最も心に響く大演奏だった。
 尾高さんの誠実で丁寧な指揮、300人近くの人間ががそれに従って、天才シェーンベルクが書いた通りの音をきちんと響かせれば、たいへんなことになるのは当然。
 しかも、上記のとおり、モニュメンタルな側面が大きく、演奏者が熱く、そして静かに燃えているので、なおさら。
 いいものが聴けた。



 いきなり、圧倒的な演奏会が二つ続いてしまいましたが、

 今回、最も心に残ったのが、以下の2公演。

 準・メルクルさんの、またまた出ました、「サン=サーンス・シリーズ」。



 ☆ N響第1749回定期


 サン=サーンス チェロ協奏曲、ラヴェル 「ダフニスとクロエ」

  ダニエル・ミュラー・ショット(vc)、準・メルクル指揮


 ☆ N響第1750回定期


 リスト ラ・プレリュード、ピアノ協奏曲、サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン」

  ヘルベルト・シュフ(P)、準・メルクル指揮


 6月の終わりの、梅雨の晴れ間の、少し暑いがまだまだ風がさわやかな日に、窓を開け放った部屋で、2プログラムまとめて、聴いた。


 まずはチェロ協奏曲
 清冽な滝の水が、あるいはきらめく木漏れ日の光が流れ落ちてくるかのようなテーマが、全曲に渡ってさまざまに展開されてゆく間に、サン=サーンスならではのキャッチーなメロディーがふんだんに散りばめられた名曲。
 聴いていてとても満ち足りた気分になってくる。

 ミュラー・ショットさんの上品なチェロも曲調にぴったり。


 そして、「オルガン」
 こちらも盛り沢山なおもちゃ箱みたいな曲。
 外面的な側面のみがクローズアップされがちだが、
 冒頭の印象的なモチーフが、全曲にわたって登場し、曲が進むにつれ、クライマックスの賛歌風なメロディへとどんどん形を変えてゆくところ、
 また、バッハ、というか、オルガンへのオマージュだろうか、随所にコラール風の旋律やフーガ風の展開が見られるところなどなど、
 内容的にも、実に密度の濃い作品だと改めて感じた。

 以前準・メルクルさんが音楽監督をつとめていたリヨン国立オーケストラのホールには、その昔サン=サーンスも弾いたことがあるというカヴァイエ・コルの大ロマンティック・オルガンが、パリから移設されているという。
 放送の中で写真を見たが、舞台の中央に正に女王然として鎮座する、何ともカラフルで奇抜なデザイン、まるで豪華絢爛な舞台装置そのもののようなオルガンで、その響きの華麗さが、写真を見ただけで聞こえてきそうなものだった。
 準・メルクルさんは、インタビューの中で、このオルガンに接して初めて、サン=サーンスの「オルガン」の真髄に触れることができた、とおっしゃっていて、今回も、その時の経験を生かし、フランスのロマンティック・オルガン特有の、ロマン的で色彩感豊かな響きを何とか創出することができるよう、オルガニストと相当話し合ったという。
 果たしてその効果は絶大なものとなった。こんなにも色彩感豊かで鮮烈な「オルガン」は、これまで聴いたことがなかった。
 オルガンというと、どうしても、荘厳で重々しいイメージだが、この頃の、フランスロマン派、そして現代フランスにまで通じる、明るい色彩にあふれ、きらめきに満ちたオルガンの響きもよいものだ。
 もちろん、わたしは、そのようなアプローチのバッハも大好きだ。
 フィナーレの壮麗な部分ももちろんよかったが、個人的には、第1楽章後半、オルガンの静謐な響きが、やさしくオケ全体を包み込むようなところの美しさが忘れられない。

 いずれにしても、また一つ、サン=サーンスの魅力の新たなページが開かれた。


 リストを弾いた、ルーマニア出身のピアニスト、シュフさんもよかった。
 アンコールのバッハも真摯な表現。



 LFJといい、今年前半は、ほんとうにマイ・サン=サーンス・ルネッサンスだった。
 まったく、今さら、何やってんだか。

 また、フィギュアで登場する曲がたくさん聴けたのもよかった。



 ☆ N響第1751回定期


 ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲、ラフマニノフ 交響曲第2番

  ムローヴァ(vn)、ピーター・ウンジャン指揮


 最近、この曲を聴くことが多い。

 堂々たる力強い演奏で、最も「バッハ」を感じさせてくれた。

 ラフマニノフのシンフォニーも、いかにも北米大陸の指揮者の演奏らしく、楽しめた。



 時々、世界の有名オーケストラも、登場。


 ☆ ヤンソンス&バイエルンRSOベートーヴェン交響曲全曲演奏会より


 ベートーヴェン 交響曲第3番、5番、4番

  ヤンソンス指揮、バイエルン放送交響楽団


 以前、プレミアムシアターで、全9曲の連続演奏会を、全部放送したが、今回あらためて聴いてみて、どの曲の演奏も余計な思い入れを排した純粋に音楽的な表現ながら、かえってそのことによって、各曲の全く異なる個性が浮かび上がってきて、この指揮者の才能を実感。



 たまにはこんなのも。


 ☆ NHK バレエの饗宴 2013


 「コンチェルト」、「春の祭典」、「白鳥の湖」、「ラプソディ」ほか

 (演奏)大井剛史指揮、東京フィルハーモニー交響楽団


 毎年、楽しみにしているが、今年も見応えがあった。

 ただ、クラシックな昔ながらの演目は、どれも皆華やかで魅力的なのだが、
 「コンチェルト」(ショスタコーヴィチのピアノ・コンチェルトに振付けたもの)、「春の祭典」など、モダンな作品は、せっかくのモダン・ダンスなのに、振付け自体は、昔の大振付師の古いものをそのまま使っている。
 名振付は、それ自体「作品」で、それにチャレンジするのも決して悪くはないのだけれど。



 最後に、とびっきりモニュメンタルな演奏を、もう一つ。


 ☆ MUZAリニューアル・オープン・コンサート


 ブルックナー 第9番、テ・デウム

  スダーン指揮、東京SO


 リニューアル記念コンサートで9番、って、何となく、思いっきりしんみり黄昏てしまいそうじゃ??と、心配するなかれ。

 その点、続けて能天気なまでに明るく力強いお祭り楽曲、テ・デウムを演奏するので、だいじょうぶ。

 しかも、準古典的なアプローチで心をこめて、しかし、力強く演奏された9番は、さまざまな伝説や固定観念に隠れてしまいがちな、この曲の持っている、ブルックナー特有の楽しい部分、わくわくするような部分が、見事に浮かび上がって、それだけで、祝祭感満点でした。

 大きな感動とともに、へんに深刻に、思わせぶりに、もったいぶって演奏してしまっては、この曲の一面しか伝わってはこない、ということが、あらためて実感されました。

 特に、2楽章が楽しかった!
 ブルックナーが書いた最も「ステキな」音楽だろう。
 


 さて、この「クラシック音楽館」の時間帯、月一度、最後の日曜日は、「古典芸能への招待」と題して、日本のさまざまな伝統芸能をたっぷりと放送してくれるのもうれしい。

 4月放送の歌舞伎座新開場柿葺落四月大歌舞伎は、現在の日本を代表する歌舞伎役者のみなさんが、それこそ歌舞伎を代表するような有名演目を気合いっぱいに演じるのを、少しづつけれど観ることができて、よかった。

 特に、坂東玉三郎さんが演じた「忍夜恋曲者」(しのびよるこいはくせもの)は、さまざまな浮世絵の展覧会等でおなじみの、お江戸の怪奇ヒーロー(ヒロイン)の代表格、将門公の娘、滝夜叉姫の大活躍、怪しいまでの美しさを、初めて観ることができて、とてもよかった。



 おまけに、これまで通リ放送している、BSプレミアムのクラシック倶楽部、およびプレミアムシアターからも、最も印象に残ったプログラムを。



 クラシック倶楽部


 毎朝6時からやっているクラシック倶楽部は、引き続き放送しているけれど、最近再放送が多く観たんだか観てないんだかわからずに困る。
 しかし、その中でも、たまに最新の貴重なライブをやってくれるので、チェックはかかせない。

 最近も、あのBCJのいろいろな意味で記念碑的な演奏会、第100回定期をいきなり放送してくれた。(記事こちら)
 コンサート全体でないのが残念。
 いつか全体をクラシック倶楽部等でやってくれるのを期待したい。

 上記のとおり、クラシック音楽館では、モニュメンタルな演奏会をノーカットで放送してくれている。
 単に日本人で初めて、というだけでなく、世界でも何番目か、しかも、全体を通して極めて高水準な内容を貫き通しての全集完結、というのは、何物にも負けずモニュメンタルだと思うのだが。



 プレミアム・シアター


 何と言っても、最近放映したばかりの、ラトル指揮ベルリン・フィルのヨーロッパコンサート2013のライブ

 プラハのどこかの古城におけるライブ。
 会場の大広間からして、まばゆい金色を基調にした豪華絢爛な装飾にあふれていて美しさの極みなのだが、ずらりと並ぶ窓の外が、その輝かしささえもいっぺんで吹き飛ばしてしまうほどの、きらめきに満ちた緑、緑、緑!

 その特別な美しさにふさわしい、第一級の「田園」でした。

 録画に失敗して、「田園」から観たのですが、前半の奥さん(コジェナー)をソリストに迎えたドヴォルザークの晩年の宗教曲も、聴きたかった。残念。
 鮮烈な緑あふれる古城でのドヴォルザークの声楽曲。
 これは、昨年CDがリリースされたみたい。機会があったら聴いてみよう。



▽ 懐かしのN響の名盤(古っ!)


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そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

ANNA
2013年09月12日 11:08
Noraさん、こんにちは。

この夏聴いたカンタータから... 
BWV105のカンタータが印象が強く、繰り返し聴いた作品です。
 第3曲のアリアを聴きながら、以前Noraさんが教えてくださった
通奏低音のない「バセットヒェン」という様式を思い出しました。
このバセットヒェン・アリアには、とびきりの名曲が多いと仰って
いたことも。

カンタータではないのですが、マタイ受難曲の第49曲目のアリアAus Liebe(愛により)。この曲もバセットヒェンだった?ということに、この夏遅まきながら気がつきました(笑)。こんなかんじで、相変わらずゆるゆるとしたペースですがカンタータを聴いています。

 

2013年09月12日 20:34
 ANNAさん、こんばんは。

 BWV105のアリア、すばらしいですよね。どの歌手で聴いても、真摯な美しさに心打たれます。
 ANNAさんがおっしゃられたマタイのバセットヒェン・アリア、Aus Liebeも、マタイの中で最も人気のあるアリアの一つですね。わたしも大好きです。

 バセットヒェンは、基本的に、はかない状態、頼りない状態の音楽表象なので、もともと、カンタータのストーリー上は(つまりキリスト教の教義からすると)、あまり好ましくない状態を表しています。
 それがなぜこんなにも美しいかというと、まず、bc無しの響きが透明であること、それと、やはりバロックの基本であるbcが無くてごまかしがきかないため、バッハが特別念入りに、気合を入れて作曲していること、等があげられるのですが、
 それよりも何よりも、はかないもの、か弱いものに対する、バッハの特別な愛情、慈しみのまなざし、ということが大きいのではないか、とわたしは思います。
 バセットヒェン・アリアの心震えるように清らかな響きを聴いていると、バッハは、西洋人にはめずらしく、はかないもの、無常なものに、「もののあはれ」のような美しささえ感じていたのではないかとさえ、思ってしまいます。熱心なキリスト教徒の方には怒られてしまうかもしれませんが。
 それが日本人の心情にもとてもよくマッチして、宗教を超えた人気を得ているのではないでしょうか。
ANNA
2013年09月20日 15:39
Noraさん、こんにちは。

バセットヒェンの詳しいご説明ありがとうございました。
ちょっと体調を崩していて、お礼を申し上げるのが遅くなってしまいました。
ごめんなさい。

 バセットヒェンは、「はかない状態」「頼りない状態」の音楽表現
なるほど...です。それから、バセットヒェンに込めたバッハの思い、これには心を動かされました。

マタイ受難曲のAus Liebeを聴くとき、その美しくも哀しい調べの中に何か
バッハの思い入れのようなものが込められているように感じていたので。
 バセットヒェンのこと、それが何を意味しているかということも、つい最近まで知らなかった私ですので、根拠の無い、あくまで感覚的な、なんとなくという捉えかたでしたが、今回Noraさんのお話を伺って、納得しました。

 今日は、もうひとつお尋ねしたいと思っていることがありまして
以前バセットヒェンのお話のときに、楽器表象?楽器象徴?について触れられていたように記憶しています。うろ覚えで申し訳ございませんが、お時間の
あるときに教えていただけますでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。
2013年09月25日 01:24
 ANNAさん、こんばんは。

 バッハの楽器表象というと、3本のトランペットとか(天の栄光の表象)、オーボエダモーレ(文字通り愛の表象)、マタイ等におけるキリストの弦の「光背」などがすぐに思い浮かびますが、もちろんそれらの楽器が、必ずそれらの表象として使われているわけではありませんし、バッハの場合(特にカンタータの場合)、むしろその時の周囲の環境、周りにいる演奏家などによって使用楽器を決定することが、圧倒的に多かったようです。
 バッハの音楽表象は、従って、楽器そのものというより、カノン等の音楽形式、拍子やリズム、音型など、音楽の根本的な部分に、より顕著に見られるようですね。
 バッハのすごいところは、これらの音楽表象や数学的な原理等にいくら厳格に従って作曲したとしても、音楽の流れにまったく不自然さが無い、というか、厳格になればなるほどむしろ自然さが増して、音楽的感動が高まることさえある、というところだと思います。
 ですから、キリスト教の思想も含め、詩の内容を深く掘り下げてゆきたい、という場合は別かもしれませんが、音楽として純粋に楽しむ、という点からすれば、バッハを聴く上で、必要以上に表象関係等にこだわらなくてもいいのでは、と、わたし個人としては思っています。 

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