ホッターの82番を偲ばせる藤村さんの170番・藤村実穂子コンサート~2夜連続サントリーホール1

 2月は、サントリーホールで、2夜日続けて、モニュメンタルなコンサートがあった。
 わたしにとっても特別なものだったので、詳細を記録しておく。



 2月16日(月)


 第44回サントリー音楽賞受賞記念コンサート

 藤村実穂子

  @ サントリーホール 大ホール


 藤村実穂子(Ms) クリストフ・ウルリヒ・マイヤー指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団


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 <演奏曲>

 J.S.バッハ
  教会カンタータ第170番 「満ちたれる安らい、うれしき魂の悦びよ」 BWV170 ~ 第1曲アリア

 シューベルト
  「 魔王」

 ベートーヴェン
  祝典劇「献堂式」序曲 op.124

 ワーグナー
  ヴェーゼンドンク歌曲集(天使/止まれ!/温室で/痛み/夢)

 (休憩)

 チャイコフスキー
  オペラ 「オルレアンの少女(ジャンヌ・ダルク)」 ~ 神が望んでいる!(森よさようなら)

 サン=サーンス
  オペラ 「サムソンとデリラ」 ~ あなたの声に私の心は開く

 ワーグナー
  楽劇 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ~ 第1幕への前奏曲
  楽劇 ワルキューレ~第2幕第1場 ~ 永遠なる神々は(フリッカ)

 (アンコール)

 ビゼー
  オペラ 「カルメン」 ~ ジプシーの歌


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 ふだんなかなか聴くことができない曲目、演奏、かけがえのないコンサートだった。
 まさに、この時だけの、モニュメンタルな一夜。



 何よりもそれを象徴していたのが、わたしにとっては、他ならぬ前半冒頭に歌われたカンタータだった。


 これまで何度も何度も書いてきたが(ついこの前、マリアの潔めの祝日の記事でもご紹介したばかり)、わたしがあらゆるバッハのカンタータのCDの中でも最高のものの一つだと信じているのが、藤村さんの恩師であるハンス・ホッターの歌うBWV82だ。
 このCDのことは、HP「バッハの教会カンタータを聞く」で教えていただいた。

 その頃シューベルトなどの歌曲をほとんんど聴くことが無かったわたしにとって、ホッターと言えば何よりもワーグナーだった。
 クナッパーツブッシュの「パルシファル」、クラウスの「指輪」、
 それこそ「神々」の時代とも言える黄金時代の、歴史的名盤の中の登場人物。
 そんなヴォータンやグルネマンツそのものみたいなホッターが歌うバッハの教会カンタータ、
 はじめこのCDのことを聞いた時はどうしてもイメージがわかなかったが、実際に演奏を聴いてみて驚いた。
 威厳に満ちた輝きを放つ声、深い叡智のまなざし、それでいてそれらの圧倒的な芸術の力を決してひけらかすことなく、真摯に、ひたむきに、ただただ心からの歌を歌っている。
 錚々たる大演奏家の録音の系譜に連なる名盤中の名盤。
 記念碑的な大作ではなく、バッハが日常的に書いていたカンタータに、そんな名盤が存在していることを教えられ、カンタータの真の力を思い知った。
 

 そんなホッターの愛弟子で、しかも日本人でありながら、バイロイトの常連として師であるホッターと同じ道を歩んできた藤村さんが歌うカンタータ。
 今回は、フリッカの歌うカンタータ!
 しかも、BWV170
 特別な思いを胸に、コンサートにのぞんだ。


 さまざまな色にきらめきわたり、見渡す限り広がる波のような、モダン楽器ならではの豊饒なオブリガート、その音量に負けない圧倒的な声量、しかもそれにもかかわらずまったく無理のない余裕あふれる佇まい&美しく響く声で、必要十分な表現力をもって、心を込めて歌われるアリア。
 これだ。まごうことなき「大演奏家」によるカンタータ。
 これまで心の拠り所として聴き続けてきた歴史的名演に連なる演奏が、目の前で現実に繰り広げられている!
 タイトルどおり、「満ちたりた安らぎ、うれしい魂のよろこび」が、巨大なホール全体、すべての人の心を包み込んだ。 

 ホッターのあのカンタータのCDと同様の感動。それを現実に生で体験することができようとは!
 ヴォータンとフリッカ、この神々の世界の最高神夫婦がそれぞれ歌った、バッハのカンタータ、
 しかも、片やバッハのバス・ソロカンタータの最高峰、片やアルト・ソロカンタータの最高峰、
 この二つの演奏は、わたしの心の中の奥深いところで、いつまでも響き続けていくことだろう。



 さて、いきなり一曲目でノックアウト状態。
 感想もずらずらと長くなってしまったが、一般的にはこの後が、メインだろう。
 実際、聴き応え満点、圧倒的充実度の演奏会だった。


 この後は、いきなり雰囲気が変わって、魔王(オーケストラ版)。
 バッハのカンタータと180度ちがう世界で、早くも藤村さんの舞台人としての表現力の一端が垣間見えた。
 自然な歌い分けが、見事。
 それにしても、あいかわらず何だかおっかない曲だ。オケ伴奏版というのは初めて聴いたが、それほど大げさではなく、ピアノ版とはちがったおもしろさがある。

 前半のメインのヴェーゼンドンク歌曲集は、さすがに堂々たる歌唱。
 と言っても、ワーグナーならではの迫力よりは、非常にデリケートな感情的な機微を、しみじみと感じさせてくれる。
 ワーグナーの音楽そのものがそういう部分を大きく内包していることは言うまでもない。
 R.シュトラウスやマーラーの管弦楽伴奏つき歌曲の元祖みたいな作品。
 ただし、この曲、昔クナッパーツブッシュ&フラグスタートの演奏でよく聴いていた頃、何だかワーグナーにしてはオケパートがへなへなしてるな、と思っていたのだが、もともとはピアノ伴奏歌曲で、オケ版は大部分が第三者による編曲だったみたい。


 続く後半は、泣く子も黙る、圧巻のオペラ名曲集。

 これは無条件で思いっきり楽しめた。
 「ジャンヌ・ダルク」と「サムソンとデリラ」、どちらも短いアリアながら、オペラの世界にどっぷりと浸かることができた。
 「ジャンヌ・ダルク」のアリアは、NHKの今年の新春オペラで予習して内容がわかっていたので、よけい主人公の感情が伝わってきた。
 行く手には逆巻く嵐が待ちかまえているのがわかっていながら、思い出でいっぱいの故郷を後に、まっすぐに進んでゆこうとする決意。
 また、「サムソンとデリラ」の有名なアリアは、誘惑の歌なのに、魂を揺さぶるような切ない思いまでを感じさせ、とにかく圧倒的だった。涙があふれてきた。

 ラストの十八番、ワーグナーは、それこそこれまで聴きなじんできた錚々たる歴史的名盤のCDそのままみたいな、すさまじい演奏だった。
 リアル・フリッカ降臨。
 途中までの冷徹な女王さながらの厳格さ、恐ろしさと、最後の、全身から滲み出るような悲しみと憐み。
 それが生で目の前で繰り広げられているんだから、たまらない。
 

 アンコールは、カルメン

 それまでの清廉で、というか、どちらかというと独墺系、北欧系なイメージとはやや異なる役どころだったが、これも意外と合っていて、華麗で楽しい雰囲気で、演奏会をしめくくってくれた。 



 ライブ全体を通して、歌手・藤村さんに接して感じたこと。

 総じて、女性歌手の場合(メゾソプラノ、アルトも含め)、歌声は美しくても生や映像で歌う姿を見るとけっこう苦しそうだったり、歌声自体も不自然でキンキンした感じが気になることがよくあるのだが、(わたしは)
 藤村さんには、そういうところがまったく無くて驚かされた。
 舞台の上の藤村さんは、とにかく無理がなくて自然体、歌う姿自体がすでに美しく、そこから響いてくる歌声も、当然のことながら美しい。さらさらと流れるシルクのヴェールのような壮麗さ。それでいて深々とした味わいがあり、いつまでもその声に包まれていたくなる。
 ハデなアクションや歌い終わった後のドヤ顔もなし。
 ただただ真摯で、それでいて必要に応じた表現力、迫力が備わっている。

 常に、余裕があるように見えながら、結果的には100パーセント以上の成果を出す、
 どこか、超一流のアスリートを思わせる凄みがある。
 これは、一瞬も気をゆるめることなく、長年続けてきたたゆまぬ努力のたまものなのだろう。


 歌っている時以外の姿も、魅力的だった。

 前半、後半でお色直し。青いシックなドレスと赤い情熱的なドレス、どちらも似合っていた。 
 ステージでの所作も、歌そのままに、誠実で上品。それでいて強烈なオーラがあって、大物感満点。

 拍手を受けている時の藤村さんは、周りを囲むすべての観客、一人一人に対し、笑顔を向け、心からの感謝の気持ちを伝えていた。
 わたしは少し離れた席にいたのだが、それでも何度も目が合ったように感じた。
 これは、フィギュアスケートのショーや競技の時の浅田真央さんの場合とまったく同じ。
 そう言えば、世界的な超一流アーティスト、ということでも二人は共通したものを持っているような気がする。


 アンコールも終わり、客席が明るくなっても拍手は鳴りやまず、何度も出てきてくれた藤村さん。
 当然、スタオベ。
 何度めかの時に、バイバイと手を振るようにして舞台を後にしたので、ようやく拍手はおさまった。



 サイン会

 長蛇の列でかなり時間がかかっており、マイヤーさんのサインもいただきたかったので、CDではなく、パンフにサインしていただいた。

 すごい人数にもかかわらず、一人一人と親しげに会話し、気軽に写真撮影に応じてくださっていた。
 時には無邪気なほどの笑顔も見せ、イメージとまったく異なり、あまりにも気さくな方なので、びっくりした。

 でも、目の前で受け答えしてくれている人が、あのアバドさんが最も信頼していた歌手、最後の演奏会で共演したばかりか、次のコンサートを約束していたその人だと思うと、舞い上がってしまって、何を言ったかほとんどおぼえていない。
 マイヤーさんや写真を撮ってくださったスタッフの方にもちゃんとお礼を言ったかどうか。
 失礼が無かったらいいのだが。


▽ 気持ちのこもったパンフ

 藤村さんが寄せた冒頭のあいさつ文を読み、的確でわかりやすい文章に驚く。
 短いながら、彼女のこれまでのヨーロッパでの戦い、芸術家としての信条、基本姿勢、かかわってきたすべての人への感謝が、実にたくさんのことがきちんと伝わってくる。

 フォトアルバムのページもあるのだが、一枚一枚の貴重な写真に、こちらも自身によるコメントがつけられている。
 ホッターさんとのツーショット写真で始まり、アバドさんとの写真で終わる、というすごさ。
 楽しいコメントがほとんどだが、時にはしんみりとさせられる。
  
 歌詞対訳も、全部ご自分で書かれたようで、さまざまなことに、「手作り」で万全の準備をしたことがうかがえる。

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 こういう点も含め、隅々まで、すべてにわたって藤村さんの気持ちが行き届いた、あたたかいコンサートだった。



 指揮のマイヤーさんについても、ちょこっと。


 マイヤーさんもバイロイト指揮者の一人。

 生き生きとしたリズムの明確な音造り、溌剌として元気いっぱいで、しっとりとした情感にもかけていない。
 バイロイト指揮者という言葉から連想されるような重量級指揮者ではなく、固定観念を持ったまま聴いてしまうと拍子抜けするところもあるかもしれないが、さすがに筋金入りの劇場指揮者、オペラのほんの一部を聴いただけでも、ドラマティックな構築性は飛びぬけているように感じられた。
 そして、何よりも音楽に誠実。
 これは、藤村さんも歌いやすいだろう、と思った。

 プログラムには、前半、後半の最後の大曲の前に、それぞれ管弦楽曲が置かれていた。

 どちらも、祝祭的な雰囲気を持った曲。
 ベートーヴェンの献堂式とワーグナーのマイスタージンガー

 献堂式は初めて生で聴いたが、第9とほとんど同じ時期の作品番号にのけぞる。
 前半は晩年のベートーヴェン特有の普遍的な力を持ったメロディが朗々と奏でられ、後半は、一見込み入った対位法が特色、バッハ顔負け?の2重フーガ炸裂する、というとんでもなくややこしい曲。

 と、いうことは、2曲とも、バッハ以降にしては飛びぬけて対位法的な曲でもあるわけだが、マイヤーさんは音楽の生命力を損なうことなくその対位法の綾を見事に浮かび上がらせていて、この特質は、BWV170の見事な伴奏でもいかんなく発揮されていたと思う。 



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▽ ここ数年の日本における歌曲の演奏を集大成した「ドイツ歌曲集」

 昨年最新の第4集を購入して愛聴していたが、今回、サイン会のために、第3集を購入した。
 どちらも、シュトラウスの歌曲がすばらしい。
 シュトラウスの歌曲集はけっこう集めているが、その中でもシュトラウスの真摯な一面をストレートに感じられる、という点において最高のものの一つ。いずれ、全部集めたい。

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