ケーテン侯レーオポルトのための葬送音楽BWV244aのことを中心に~最近聴いたCDバッハ&古楽特別編

 たまには、バッハ・バースデイスペシャル。
 マタイ受難曲に哀悼頌歌、誰もが知っている音楽によって構成されていながら、1729年のケーテンの人たち以外には誰一人聴いたことが無い「幻の超名曲」、ケーテン侯のための葬送音楽 BWV244a、その魅力的なCDについて。


 バッハ ケーテン侯レーオポルトのための葬送音楽 BWV224a
     (モーガン・ジュルダン&ラファエル・ピションによる復元バージョン)

  ラファエル・ピション指揮、アンサンブル・ピグマリオン


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 まずは、曲の概要のことから書いてゆきましょう。


 ケーテン侯レーオポルトのための葬送音楽 BWV224a

 1727年、それは、バッハにとって(そしてわたしたちにとっても)、特別な年でした。
 マタイ受難曲(初稿)哀悼頌歌という、バッハの最高傑作の双璧と賞される2大名曲が誕生した年だからです。(ちなみにBWV82の年でもあるが、ここでは直接は関係無い)
 正に、コラール・カンタータ年巻の年に続くバッハの創作の絶頂期ですが、その翌1728年の晩秋、バッハのかつての大恩人でその最大の理解者だったケーテン侯レーオポルトが、34歳の若さで亡くなってしまいます。
 バッハは、ケーテン侯のために贈る最後の音楽として(それまでに贈られた夥しい数の音楽の何と豊穣なことか!)、とっておきの音楽を用意します。
 年が明けた1729年の3月、埋葬の翌日に、ケーテンの改革派市立教会で行われた追悼礼拝において演奏された追悼音楽、それが、このBWV244aです。

 残念ながら、この曲、きちんとした形で伝承していません。
 例によって、台本はピカンダー。そのピカンダーによるテキストのみは現存しているのですが(ピカンダーの詩集にしっかりのっている)、かんじんの楽譜は完全に失われてしまっています。
 従って、現在はその音楽を実際に耳にすることはできませんが、テキストから、その音楽の大部分が、哀悼頌歌BWV198とマタイ受難曲BWV244b(初稿)からのパロディによって構成されていたということを、ある程度推測することができます。
 旧バッハ全集の校訂で知られるルストは、マタイからの9曲のパロディ関係を指摘しており、さらにスメントは、哀悼頌歌から2曲、マタイから10曲が使用されているとしています。
 (このため、BWVナンバーも、BWV244の異稿あつかい?で、BWV244aとなっています)
 つまりバッハは、書き上げたばかりの、自身の生涯の最高傑作というべき2大作品の楽章を惜しげも無く投入して、大恩人の追悼のための音楽をまとめあげたのでした。

 ただ、どんなにすごいと言っても、結局音楽そのものはパロディなので、よく考えると、例によってピカンダーの仕事がすごいのでは、とも思えてきますが、かけがえのない特別な作品からパロディを行っていること自体が、ケーテン侯へのバッハ自身の強い思いをあらわしているような気がします。(ちょっとただ事では無い選曲からもそれはうかがえます)
 バッハのパロディは、世俗的な機会音楽から教会カンタータへ、教会カンタータからさらにはオラトリオやミサ曲へ(もちろん世俗的な機会音楽からオラトリオ等へ、というのもありますね)、というように、より演奏機会の多い形へ、より普遍的で後世に残りやすい形へ、という順序で行われるのが常でした。
 巨大オラトリオから一個人の追悼のための機会音楽へのパロディというのは、ふだんのバッハにはありえないことで、バッハの並々ならぬ思い入れが感じられます。
 ケーテン侯が亡くなった直後にはすでに、ケーテンで楽譜の写譜が始まっているらしいので、音楽は編曲されずにマタイや哀悼頌歌の総譜がそのまま基になったというのが通説のようですが、
 実際の演奏は上記したように何か月も後のこと(しかも、この頃のバッハ、意外とヒマなのです)、もしかしたら、バッハ先生、他ならぬケーテン侯、様々なミサ曲、オラトリオ等で見せたような熟練の作曲技法による渾身の再創造を行ったのでは??などと想像はふくらみます。


 カンタータを始めとするバッハの宗教曲は、当然その一番の目的は宗教的な内容の表現にありますから、そのため歌詞と音楽とがありとあらゆる点で極めて密接に結びついており、近年では日本でもそのような側面を深く掘り下げて聴く風潮にあります。
 確かにそうすることによってより深い感動が得られることも事実でしょう。
 しかし、一方で、このことがバッハの宗教曲の敷居を高くし、膨大な量の魅力あふれる音楽を一部の限られた世界の中に閉じ込めてしまっているような気もします。
 マタイ受難曲と言えば、バッハの宗教曲の最高峰と言われている作品。極めて高い次元で音楽そのものと歌詞や宗教的内容とが結びついており、その関係は絶対不可分であると思われがちです。
 マタイ受難曲の中でおそらく最も有名なアリア、第39曲・ペテロの否認の場面のアリア、この曲の感動は、この場面のこの歌詞あってのものだ、とおっしゃる方がほとんどでしょう。
 しかし、他ならぬバッハ自身が、この曲の音楽を、その内容・歌詞から何のためらいもなくざっくりと切離し、個人的な恩人の追悼のために使用しているのです。
 このことは、常日頃から、バッハのカンタータをもっとお気軽に聴きましょう、と言い続けているわたしを勇気づけてくれます。このBWV244aという曲の存在を初めて知った時、バッハ自身が、「宗教曲と言っても、わたしにとっては日常の当たり前の音楽なんだよ」と語りかけてくれたような気がしたものです。
 そういう意味でも、この曲は、わたしにとって大切な1曲です。


 さて、今、第39曲のパロディについて言及してしまいましたけれど、現在どの程度研究が進んでいるのかはわかりませんが、いずれにしても楽譜等が発見されない限りは(第39曲のように一部歌詞が完全に入れ替え可能でほぼ間違いないだろうという曲があるにせよ)、全曲のパロディ関係の確定はできません。
 おそらくレチタティーヴォは書き下ろされたでしょうから、それは完全に再現不可能。
 結局、この曲は、我々にとってものすごく聴きなじみのあるはずの曲のはずなのに、あいかわらず幻の作品のままなのです。

 ただ、どんな形でもいいから、聴いてみたい、というのが人情。上記したような重要な意味を持っている曲なのだから、なおさら。

 そんなつかのまの「夢」を見せてくれるのが、このCDです。 
 

 数年前、あのパロット&タヴァナーコンソートによって、自身による復元に基づく、この曲の全曲復元版の世界初録音が行われましたが、これは、それに続く、ラファエル・ピションによる全曲復元版。

 ラファエル・ピションは、最近の小ミサ曲全集において、その最後に、楽器編成やテンポを含む演奏様式等を徹底的に検証した、1733年のミサ・ブレヴィスロ短調、つまりロ短調ミサ曲のオリジナルの小ミサ曲をも付け加えたことでも知られる、「実践する研究家」。

 小ミサ曲では、誰もが居住いを正して、音楽家としての存在すべてをかけて立ち向かうような超大作、ロ短調ミサ曲の、ものすごく気軽な、しかしながら、圧倒的な音楽的充実度をもった生き生きとした姿を見せてくれたわけですが、
 ここでも、天下の「マタイ」の、あらゆる呪縛から解き放たれたような、とびっきり美しい「カタチ」をわたしたちに示してくれています。


 とにかく、ここに並べられた曲がすごい!

 すさまじいラインナップ。

 ロ短調ミサBWV106など、現実的にはあり得ない楽曲からのパロディも含まれ、上記したような状況から、さほど研究は進展していないように見受けられます。(上記内容は、20年近く前の時点でわたしが知っていたことです)
 ただ、ここに並べられた合唱とアリアの多くは、バッハ自身がケーテン侯のために選りすぐったものであるはずで、それらを、ピカンダーがつけた歌詞と極上の演奏で聴くことには、はかりしれない意味があると思います。
 現代に置き換えれば、アーティスト自身が考え抜いて構成したベスト・アルバムやカヴァー集を聴くような楽しみ。


 このバージョンの概要をかんたんに書いておきましょう。

 第1部。

 哀悼頌歌の雄大な冒頭合唱によって曲が開始され、マタイの第6曲、第8曲など、フルートのオブリガートを伴う悲しみの涙がしたたり落ちるような、情感あふれるアリアが続きます。

 第2部。

 ここがすごい!ある意味クライマックス!
 それぞれレチタティーヴォに導かれ、マタイの第39曲、そして、第49曲と、マタイ屈指の人気アリアが何と連続しています。

 第3部。

 リュート(一般的な稿ではガンバだが、初期稿ではオブリガートがリュートだった)の夢見るような響きに彩られた、陶然とした美しさの第57曲、甘い十字架のアリア、
 やさしい子守唄のような合唱を伴う、力強い決意の歌、第20曲、テノールアリアなど、
 ここも、印象的な名曲が目白押し。

 第4部。

 ここも、ある意味クライマックス!

 マタイ受難曲、御存じのように圧倒的に短調のアリアが多く、その点もわたしがこの曲が苦手な要因のひとつなのですが、それでもはじめの方と終わりの方に、他のカンタータなどの最高の長調アリアにも並ぶような飛びぬけてすばらしい長調アリアが2曲存在します。
 最後の晩餐の時の、はじけるような輝きにあふれる、2本の愛のオーボエがオブリガートの第13曲、ソプラノアリアと、
 すべてが終わった後に歌われる、オリーブの葉そよぐ夕べのシチリアーノ、この世のものならぬ清浄な気配をたたえた、こちらは2本のオーボエ・ダ・カッチャをオブリガートにした、第64曲、バス・アリア。
 何と、この2曲を続けて聴ける喜び!

 その後、マタイの終結大合唱、あの魂の子守歌で、全曲が閉じられます。

 ちなみに全体のレチタティーヴォは、基本的にマタイから代用。(一部哀悼頌歌やBWV105等より)
 前後のアリアの雰囲気にあったものが、実にていねいに選ばれていて、違和感はありません。


 演奏も、とにかく美しく、颯爽としている。それでいて、しめやかな情感にも欠けていない。
 そして、何よりも、バッハの編曲版が存在するとしたらかくや、とまで思わせてくれるような、自由さも獲得している。

 アンサンブル・ピグマリオンは、現在最も魅惑的なバロック演奏を聴かせてくれる団体なのではないでしょうか。
 

 気軽に、マタイのアリアを楽しみたい、と言う方はぜひ。
 歌詞はちがうけど。
 そして、気軽に、とは言っても葬送音楽だけど。
 個人的な恩人への哀悼の音楽なので、「マタイ」よりは、テーマが親しみやすい??


 なお、哀悼頌歌にたいへんな名演のあるパロットの盤も、ぜひ聴いてみたいと思いました。



 その他の、バッハ&古楽関係のCDも、ちょっとご紹介しておきます。



 お次は、昨年リリースされたバッハの器楽曲の中では最も気に入り、すっかり愛聴盤になっているもの。

 お正月の記事でもちらっとふれましたが、改めて記事にしておきます。


 バッハ ラウテンヴェルク名曲集 (リュート組曲他)

   オリヴィエ・ボーモン(ラウテンヴェルク)

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 オリヴィエ・ボーモンがラウテンヴェルクを弾いた、リュート組曲ほかのアルバム。

 曲が、バッハの器楽曲の最高峰の一つであるとともに、何と言っても、ボーモンの弾くラウテンヴェルクがすばらしい。
 リュートの雅な響きとチェンバロの自在さ、雄弁さを併せ持った楽器。
 ラウテンヴェルクのために書かれたと思われるBWV996はもちろん、BWV997なども、何ていい曲なんだろうとあらためて心から感じ、音楽を聴く幸福に胸がいっぱいになった。
 情感あふれる音の絡み合いにうっとりとしているうちに、時折ふっと対位法の深遠が顔をのぞかせるような、そんなバッハを聴く醍醐味を存分に味わえる。
 BWV903やBWV1067のポロネーズなどの名曲の、これまで聴いたことも無いような響きの演奏も収録されていて、楽しめます。



 長くなったので、おしまいに、古楽の名盤を2組だけ。



 「ピッファリッシモ~コンスタンツ公会議の器楽音楽」

  ボイムル&カペッラ・デ・ラ・トッレ


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 雅で美しい響きで、生き生きと奏でられる中世の歌。

 様々な楽器が登場し、様々なリズムや音階の音楽が次々と展開する。
 特に曲目等を気にせずにただ聴いていても楽しい。 
 そんな風にして聴いていると、途中で突然、中世特有の色調の響きが豊潤かつ広々とした響きに変化するところがあり、クレジットを見ると、そこの部分はヴィトリだったりデュファイだったりして、古代から中世にいたる音楽の歴史に鮮烈な新しい風が吹きこまれた瞬間を疑似体験することができて、感動的でもある。
 正に、窓を開け放った瞬間の、清新極まりない「世界の広がり」、その時に感じる「風」こそが、ヴィトリなりデュファイの魅力なのだ。
 ヨーロッパ中のさまざまな地方の人々が集まった歴史的事件をテーマにすることによって、当時の音楽の幅広さ、そして中世からルネッサンスに変わりゆく瞬間の音楽の流れをダイナミックに体感することができる、第一級のドキュメントとなっている。

 かつての「雉の祭典」他のドキュメント名盤をも彷彿とさせる、新たな歴史的名盤の誕生。



 HMF宗教音楽名演集
 

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 古代の讃美歌、聖歌、それが発展したカリクストゥス写本、アキテーヌのポリフォニー等の初期ポリフォニーから始まって、盛時ノータルダム楽派、アルス・アンティカ、アルス・ノヴァ、ルネッサンス・バロックの爛熟、おなじみモーツァルト・ベートーヴェン・ロマン派の時代を経て、近代、バーンスタインまで。

 定評のある名盤でたどる、西洋クラシック音楽の中核の歴史!

 アンサンブル・オルガヌムによる初期ポリフォニー集、
 オルランド・コンソートによるデュファイのアヴェ・レジナ・チェロールム、
 アンサンブル・オルガヌムとクレマン・ジャヌカン・アンサンブルの奇跡の共演による、ジョスカンのパンジェ・リングァ、(お正月の記事でご紹介したものです)
 ウェルガス・アンサンブルによるラッススのエレミア哀歌、などなど、
 さすがは、老舗古楽の雄、HMF、古楽の歴史的な名盤、みんな入っています。少し古いけど。
 今では単独ではなかなか入手困難なものも。(全曲でないものも含まれています)

 HMFレーベルの集成だけあって、ヘレヴェッヘが大活躍。パレストリーナのミサから、モンテヴェルディの聖母マリアの夕べの祈り、モーツァルトのレクイエム、ベートーヴェンのミサ・ソレムニス、ブラームスのドイツ・レクイエム、フォーレのレクイエム、メンデルスゾーンやブルックナーまで、みんなヘレヴェッヘ。そのほとんどが定評ある名盤なんだから、おそるべし。
 バッハは、ヤーコプスのクリスマス・オラトリオとユングヘーネルの小ミサ曲。この二人も、HMFの顔。

 常にそばにおいて、耳を傾けるべきセット。


 宗教音楽ばかり聴いていると、古楽のもう一つの柱、世俗的な音楽がまったく無いのが、やはりさびしくなってくる。
 一応、そのあたりは、上でご紹介したアルバムで。





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「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

ANNA
2015年03月22日 11:26
Noraさん、こんにちは。

昨日は、バッハの誕生日でしたね。
私は、330回目のバッハの誕生日を音楽で祝うイベント、Bach in the Subway Dayに
出掛けてバッハの音楽を聴いて過ごしました。

私が足を運んだのは、渋谷エリア。東京山手教会、表参道ヒルズ、ヒカリエで行われた
コンサートです。
岡本誠司さんのヴァイオリンで無伴奏ヴァイオリン パルティータ2番、岡本さんと
竹原奈津さんのソロで、2つのヴァイオリンのための協奏曲、藤村俊介さんによる
無伴奏チェロ組曲。イベントの最後には、オーケストラの演奏でBWV147のコラール
が演奏されました。

「こんなに美しい、心に深く寄り添ってくれる音楽を創ってくれてありがとう」
バッハの音楽を聴くとき、いつも思うのですが、昨日また改めてそう思いました。
一夜明けた今も、昨日受けた感動と余韻が心を漂っているよう。
幸せな余韻を残したまま、これからNoraさんのバッハの記事をゆっくり、じっくり拝見
しますね。
なんだか、また聴いてみたいCDのご紹介があるようですし(笑)


2015年03月24日 11:42
 ANNAさん、こんにちは。
 Bach in the Subways、日本でもだいぶ盛り上がったようですね。
 バッハ先生、330歳とのこと。けっこう節目だったようで、わたしも誕生日用の記事を書いてよかったです。
 ずいぶんたくさん回られましたね。ラフォルジュルネや東京春祭もそうですが、最近はこのような街ぐるみの気軽な音楽祭が定着してきて楽しいですよね。
 それにしても、名曲ばかり、内容も充実していたようで、うらやましいです。
 このようなライブで演奏されるバッハの曲は、たいていはケーテン時代のもの(2つのVnのための協奏曲は最近はライプツィヒ時代の書き下ろしだという説が有力ですが)、われわれもケーテン侯には感謝しないといけません。
 今回はそんなケーテン侯のためにバッハが贈った音楽の記事です。
 といっても、実体はバッハ・ファンならよくご存知の曲ばかりなので、改めて強烈にお奨めするのもどうかという気がしなくもないですが、まあ、とびっきりの名演の「マタイ」のベスト盤だと思えば十分聴く価値はあると思います。
 「マタイ」のベスト盤などというと眉をひそめる方が多いと思いますが、そのベスト盤をつくったのが他ならぬバッハ自身なのだから、誰も文句が言えません。(笑)
2015年06月20日 18:08
こんにちは。実は5年前、ドイツのケーテンの教会で「ケーテン侯レーオポルトのための葬送音楽BWV244a」を聴きました。その半年ほど前、東京の淀橋教会でマタイ受難曲を生まれて初めて聴きました。ですから、「ケーテン侯レーオポルトのための葬送音楽BWV244a」がパロディの一種だとわかったうえで聴きました。前後が逆にならなくてよかったと思います。歌詞は違うけれど、マタイ受難曲のメロディーがたくさんあり、とても素晴らしい音楽と演奏でした。マタイ受難曲では、エルバルメディヒ、アウスリーベそして最終曲は特に好きで、自分でデータを作り、ヴォーカロイドを使って演奏データも作って聴いています。また、その1年後に手に入れたバッハの登場するドイツの探偵小説を昨年の初めに翻訳・出版しました。「バッハ 死のカンタータ」セバスティアン。クナウアー著です。バッハの失われていたカンタータが200曲、そしてそのほかにもイタリア協奏曲第2番などが発見され、争奪が起こるというバッハファンにはたまらないストーリーです。ヒロインはヴィオラ奏者のマグダレーナです。映画化(笑)の時のために、イタリア協奏曲第2番も作りました。
http://www.geocities.jp/imyfujita/italianconcerto2/index.html
お聴きいただければ幸いです。
藤田伊織
2015年06月21日 22:23
 藤田伊織さん、こんにちは。
 さすが、ドイツ・ケーテンですね。教会の演奏会でBWV244aが実際に演奏されるとは。
 わたしは、この記事でとりあげた2枚のCDによって、ようやくこの幻の音楽を現実に耳にすることができました。「マタイ受難曲」の方は日本でもやたら演奏されるんですけどね。
 バッハの失われたカンタータが発見されるというのは、バッハファンにとってはほんとうに心からの夢ですよね。しかも、(200曲というのはともかくとして)失われたカンタータはけっこうあるはずなので、十分あり得る夢でもあり、心躍るロマンです。
 ただ、もし現実に、「バッハのカンタータが200曲発見された」などと言ったら、これは、(例えはおかしいかもしれませんが)ベートーヴェンの交響曲がもう10曲発見された、というのと同じくらいすごいことなのに、日本ではいまいちぴんとこないかもしれません。
 それが小説の題材になってしまうのだから、やはりドイツにおいて、バッハはとても身近で大切な存在なのでしょうね。
 リンク等、ありがとうございます。イタリア協奏曲第2番、「映画」のシーンを想像しながら、聴かせていただきました。
2015年06月23日 21:21
イタリア協奏曲第2番、お聴きいただきありがとうございました。実は小説では第3楽章はハ長調なのですが、曲はイ短調になってしまいました。もう、小説の方を変えていただくしかありません。でも、ドイツのミュールハウゼンというバッハゆかりの街の教会で、ビオラとオルガンの演奏で、世界初演がなされました。話題にはまったくなっていませんが。それから小説には、アンハールト・ケーテン協奏曲も登場するのですが、オーケストレーションは私にはちょっと無理なので、どなたかにお願いしなくてはなりません。
2015年06月25日 13:16
 ケーテン時代の失われたコンチェルト等は、実際には既存のカンタータの中にかなり転用されていると思うので、個人的には、「マリア・バルバラの音楽帖」というのが気になります。
 もしほんとうに、バッハの失われた作品が発見されるとしたら、ピカンダー年巻のうち1曲でも2曲でも出てきてくれたら、こんなにうれしいことはないのですが。
 後は、やはり受難曲ですね。

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