盛岡城跡周辺および報恩寺と盛岡高等農林学校~賢治の青春の街モリーオ市再訪記2日目後篇

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 午後は、いよいよ、賢治が通った、盛岡中学校(跡地)、盛岡農林高等学校(現岩手大学)等を訪ねます。



 中津川を渡って、まず盛岡城跡周辺を散策。



 盛岡城跡 (岩手公園)


 お堀の中。お城の痕跡はほとんど残されていない。

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 お堀以外の城としての痕跡は少ないけれど、盛岡城跡には、啄木、賢治の詩碑等があるほか、
 櫻山神社(+南部稲荷神社)、もりおか歴史文化館など、見どころが多い。


 櫻山神社

 参道には、味のある店が多い。
 じゃじゃ麺の有名店・白龍(ぱいろん)もある。行列ができていた。

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 奥社の南部稲荷神社。

 たくさんの驚くばかりの巨石が祀られている。

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 もりおか歴史文化館

 見事な山車

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 チャグチャグ馬コ

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 企画展示 盛岡の指定文化財 ~未来へのおくりもの~

 企画展示は撮影禁止に付き、以下の写真はポスターを撮影したもの。

 左、甲冑のオシャレ度がハンパではない。
 右、鍛冶の神様、三宝荒神。仏像関連も充実。

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 奥州街道を西へ。


 櫻山神社の参道のすぐ前にあるのが、

 岩手県公会堂

 日比谷公会堂そっくりな昭和最初期の名建築。

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 そのすぐ西側が、岩手県庁

 岩手県庁の有名な石割桜。(左)

 岩手県庁の、裁判所前の交差点をはさんださらに西側に、岩手銀行本店があり、

 賢治が通っていた盛岡中学があったのはこのあたり。(右)

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 今回は行かなかったが、さらに岩手県庁と岩手銀行本店の間の通りを少し北に行くと、岩手医大病院がある。

 盛岡中学卒業後、賢治が入院し、看護婦さんに恋したのはよく知られた話。少年賢治のロマンスの舞台。

 岩手医大病院前には賢治の詩碑がある。


 さらにその北は、盛岡中学時代に賢治が下宿していた寺町、北山

 北山には魅力的なお寺が多い。

 盛岡中学校は現存しないので、そのかわり、ゆかりの地、ということで、この後、北山には改めて訪れます。


 一方、盛岡中学卒業後に、賢治が進学した盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)は、市街の北西側、かなり離れたところにある。

 賢治は、盛岡中学卒業後、上記したように体調を崩したり、また両親の反対等もあって、1年浪人している。
 店の手伝いをさせていたところ、進学を熱望していた賢治があまりにも腑抜けのようになっているので、両親も折れたらしい。
 進学を許可された賢治はがぜんやる気を出して首席で盛岡高等農林学校に入学、
 高等農林学校時代の賢治は、中学時代とは打って変わってすさまじいスーパー優等生となった。
 本格的な創作活動を開始するのもこの時期である。
 但し、まだこの時期は啄木の影響からか、短歌等が中心なので、盛岡には歌碑が目立つ。

 賢治と言うと、「雨にも負けず」を連想される方がほとんどだと思う。
 実際、盛岡を歩いていても、その言葉は街のいたるところにあふれ、それを見る多くの方の心を力づけていることだろう。
 しかし、実は賢治の生涯は、「雨にも負けず」に象徴される理想とそれとはかけ離れた現実との狭間での葛藤の連続だった。
 その「現実」を代表するのが自身の実家であり、この頃からすでにその前兆が見え始めている。
  
 盛岡を代表する名建築、旧盛岡高等農林学校本館にも、この後改めて訪れます。


 前回の記事のはじめにご紹介した下の橋から、盛岡中学までは、城跡をはさんですぐなので、清六さんは通学が楽だったろうが、盛岡高等農林学校まではかなり距離がある。
 賢治さん、長い通学の間に、後の心象スケッチの萌芽が芽生えたのかもしれない。



 盛岡城跡公園の西側は、盛岡一の繁華街。


 写真館

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 奥州街道から映画館通りへの入り口にあるビル(このビルも映画館)。

 1階の喫茶店で休憩。

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 盛岡には河童も多い。


 映画館通りとアーケード通り。

 映画館通りの映画館には、昔よく入り浸っていた。

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 アーケード通りのじゃじゃ麺の有名店、あきをで遅い昼食。

 しめはちーたん麺にして(左下)。

 盛岡3大麺、2つ目。

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 さて、だいぶ陽も傾いてきた。


 後は、バス&タクシーを利用し、駆け足で賢治の盛岡中学時代ゆかりの地と、さらに盛岡高等農林学校そのものズバリを訪れます。

 「賢治さんが観た仏像」と、「賢治さんが見た建物」の大トリ、見た建物、というか、生活の舞台だった建物です。



 北山・那須川寺町


 盛岡中学時代の賢治さんがしばしば参禅した禅林を訪ねたら、これまでちょっと見たことが無いような仏像空間との出会いが待っていた。
 

 明治42年、少年賢治は、名門盛岡中学校に進学、盛岡を舞台に多感な少年時代を送ることになる。
 子供の頃に「石こ賢さん」と言われたほどの「鉱物愛」をさらにエスカレートさせ、また本格的な創作活動を開始(最初は短歌中心)するなど、わたしたちのよく知っている後の「宮沢賢治」の重要な要素が着実に形成されていくのだが、
 学校の生徒としては、決してまじめな優等生とは言い難く、というか、後半は完全にぐれてしまって、寄宿していた学校の寮も追い出され、その後は北山(名須川)の寺町のいくつかの寺院に下宿した。


 多くの古寺が立ち並ぶ寺町通り、

 北山・名須川地区


 風情ある報恩寺の門前の通り。

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 中学時代の賢治がしばし参禅した。

 凛とした佇まいの禅林。


 曹洞宗 瑞鳩峰山 報恩寺

 盛岡五山と言うのがあって、その内の一つだそうだ。


 閉門時間の数十分前、何とかぎりぎり間に合った。


 三門。境内に入ったとたん、深山の趣。

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 本堂

 本堂には、もと奈良中善寺本尊と伝えられる釈迦三尊像を祀る。
 本堂の背後に、開山堂、さらにその奥に坐禅堂がある。

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 羅漢堂


 お堂からして、凛として実に美しい。

 白壁が雪に溶け込むかのようだ。

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 本堂の扉を開き、内部に入ると、左手に拝観受付がある。

 本堂内から回廊を通って、羅漢堂に入れる。


 羅漢堂内部、華厳殿を表す圧巻の仏像空間。

 本尊、盧舎那仏(華厳釈迦、宝冠釈迦)

 両脇侍、おなじみ善財童子(華厳経)と八歳竜女(法華経)
 その前にずらりと並ぶのは、十大弟子立像と十六羅漢坐像。

 見事な天井の龍。

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 華厳法界の雲上や巌上を表す周囲の檀上にびっしりと並ぶ五百羅漢に息を飲む。

 一つ一つ、観ているだけで楽しい。

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 五百羅漢の中には、マルコ・ポーロとフビライ・ハーンも並んでいると言うが、どれだかわからなかった。

 
 また、本堂から羅漢堂に続く回廊には、ズラリと彫刻が並んでいる。

 岩手で古くから盛んに造られてきた鉄器、銅器の原型(鋳金原型)を中心にしたもの。
 これもけっこうすごかった。


 夕暮れの北山寺通り

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 岩手大学(盛岡高等農林学校)


 続いては、ズバリ、賢治が通っていた盛岡高等農林学校。


 いよいよ、賢治が通っていた学校へ。
 正に、賢治の青春の舞台。

 以前の記事に書いたように、盛岡中学があった土地には現在は銀行が建っているが、
 盛岡高等農林学校は、形を変えて、当時の建物も含め現在も残っている。


 宮沢賢治は、盛岡中学卒業後、体調を崩したり、また両親の反対等もあって進学の夢がかなわず、家で店の手伝い等をやらされていた。
 しかし、賢治があまりにも腑抜けのようになっているので、両親も折れて進学を許可、
 賢治はがぜんやる気を出して首席で盛岡高等農林学校に入学した。
 高等農林学校時代の賢治は、中学時代とは打って変わってすさまじいスーパー優等生となり、地質調査等に没頭(よく考えると、結局は石こ賢さんの延長上だが)。
 保阪嘉内との出会い、同人誌「アザリア」の発行、そして法華経や哲学への傾倒等の重要な体験を経て、ここにわたしたちがよく知っている「宮沢賢治」が完成する。


 雪に覆われた森。

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 その中に佇む美しくも力強い木造建築。

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 中央に、賢治さんが立っているのが見える。

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 現岩手大学構内 農業教育資料館


 (旧盛岡高等農林学校本館)
 

 明治木造校舎の王道!

 わが国初の高等農林学校である盛岡高等農林学校の本館として、大正元年に建てられた。

 当初、1階は、事務室、校長室、会議室、2階は大講堂として使用されていた。

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 建物の向かって右側には、

 とてもよく似た小さな建物がが隣接している。


 百年記念館

 (旧同窓会事務局)。


 こちらは、盛岡高等農林学校創立25周年の際、同窓会の記念事業として建設された。

 現在の名称は、百年記念館
 「宮沢賢治センター」の札がかけられている。


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 賢治さんのオブジェ

 建物側から見ると、リアル賢治さん、反対側から建物を背景に観ると、シルエットに見える。

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 正面から観ると謎の物体。


 雪の森の中、賢治さんと二人きり。

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 夕食。


 最後は、賢治さんが食べたものをご紹介。


 フェザン本館地下にある、花巻の賢治行きつけの蕎麦屋、やぶ屋の支店。

 わたしも昔、天ぷら蕎麦にサイダーを頼んだ。

 盛岡3大麺の最後のひとつ、わんこそばが食べられるが、今回、わたしはやぶ屋には行かず。

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 フェザン地下の和食屋さんで、幅広めんマニアのわたしは、ひっつみを食べることができて、うれしかった。

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 夜は、ライトアップされている開運橋。

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 盛岡市アイスアリーナでは、1月末に、希望郷 いわて国体・冬季大会の、フィギュアスケートを始めとするスケート競技が開催された。

 右は、昼間見た桜が咲いているところ。

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