ついにネゼ=セガンのブルックナーを聴いた!伝説のサウンドで蘇る大名曲ロマンティック【三位一体後3】

画像




 まずはカンタータのお知らせから。


 今日(6月12日・三位一体節後第3日曜日)のカンタータは、

 初期の大名作、BWV21、
 2年目、コラール・カンタータ年巻の「始まりの4曲」の完結編、BWV135、
 (4曲のうちの1曲、BWV7のヨハネの祝日は、今年はこの後になります)
 の2曲です。


 過去記事は、こちら↓


 <三位一体節後第3日曜>

    始まりはいつも Overture(BWV135他)
    (参考資料) コラールカンタータ年巻 「始まりの4曲」 一覧
    三位一体節後第3日曜(BWV21、135)



 5月31日(火)


 都民劇場音楽サークル第637回定期公演 フィラデルフィア管弦楽団

 ベートーヴェン(マーラー編曲) 弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」

 ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」

  ヤニック・ネゼ=セガン指揮、フィラデルフィア管弦楽団


  @ 東京文化会館 大ホール


画像



画像
画像




 ネゼ=セガン&フィラデルフィア管の「ロマンチック」


 何年もの間ずっと念願だったネゼ=セガンのブルックナーをついに聴くことができた。
 ATMAレーベルの、グラン・モントリオール・メトロポリタン管と組んだブルックナーシリーズと出会った時の喜びは今も忘れることはできない。
 現代においてこんなブルックナーを聴かせてくれる人が存在するのか!と、うれしくてたまらなくなった。
 明朗でやさしい響き、スケール豊かなあたたかさにあふれていながら、深い呼吸に支えられたその後期シンフォニーは、わたしにとっての理想のブルックナーに限りなく近い、というか、理想をさらに上回るような包容力を持っており、日常的にブルックナーが聴きたくなった時、真っ先に取り上げる愛聴盤になっている。

 今回もグラン・モントリオール・メトロポリタン管ではなく、前回の来日ツアーで大好評を博し、今やネゼ=セガンにとって文字通りの手兵となった観のあるフィラデルフィア管との再来日ではあるが、
 曲目は、フィラデルフィア管がブルックナーをやるとしたら最もぴったりマッチしそうな「ロマンチック」、これはわたしにとってオーマンディの思い出の曲でもある。

 胸躍らせて演奏会に臨んだ。


 しなやかな肌触り、まるでシルクのような原始霧の中から、あの晴れ晴れとして爽快な第1主題が、決してもったいぶることなく極めて自然に流れ出てくる。
 第2主題も、やわらかさの極致、特徴的な対旋律がまるでダンスを踊っているかのようにくっきりと浮かび上がる。ふだんはこの旋律がこんな風に響くことは滅多にないので、思わず顔がほころぶ。
 もうこの冒頭部分だけで、この指揮者の全身にブルックナーの音楽がしっかりとしみこんでいることがわかる。
 そして、この指揮者とこの指揮者が完全に手中に収めている伝統のオケの真価が100%炸裂したのが、展開部最後のクライマックスだった。
 大地を刻むような強靭なリズムに乗って、伝説の、いや、おそらくは以前にも増してグレードアップした「フィラデルフィア・サウンド」がついに全容を現す。
 まるで風圧を感じさせるようなオケの最強奏が全身を直撃。オレンジ色に輝く夕映えが眼前に浮かび上がるかのような豪華絢爛さ!しかしそれでいて透明感抜群。さわやかに透き通っている。何と言ってもこの点がすごい。こんな響きはこれまで聴いたことが無かった。
 全身を大きく引き伸ばして力の限り指揮するネゼ=セガン、この時ばかりは小柄な彼が途方もない巨人に見えた?


 その後も、心がわくわくする瞬間が連続する。一瞬たりとも楽しくない時間が無かった。

 アダージョは、上記した大いなる中庸とでも言うべきモントリオール響との演奏を彷彿とさせる、どこまでも自然な流れの悠々たる演奏、ここではあくまでも正攻法で真摯さが伝わってくる。

 スケルツォは、打って変ってブルックナーの楽章にしてはまさかの8分切?の颯爽とした超快速調。

 そして、フィナーレは、もう怒涛の流れ。
 様々な風景が、色彩がめまぐるしく移り変わってゆく。初めて聴くようなテーマやリズムの取り扱いが続出!
 コーダは、ここでも第一楽章展開部初めて聴くような力強いリズムで開始、それに促され湧き起った低弦の合唱風モチーフがそれを飲み込んでふくれあがる。
 ここの部分、良い演奏で聴くと、ほんとうに大地の底から大勢の人間の声が響き渡るように聴こえるのだが、この日の演奏ではまるで100万人の大合唱のように聴こえた。
 そして最後は光り輝くコーダ。


 以上、全編を通じて、まばゆいばかりの金管、色彩豊かにきらめく木管、威力はあるが透き通った弦、ホール全体が振動するような圧倒的なフォルテからうっとりとしてしまうくらい繊細な弱音まで、磨き抜かれたオケの機能を最大限に生かし切った、極上のエンターティンメント、めくるめくジェットコースター的な演奏だった。
 ショーマンシップにあふれた、文字通りの「ロマンチック」。

 前回のツアー時に、このコンビは、チャイコフスキーの「悲愴」で超一流のエンターティンメントを堪能させてくれたが、それを何とブルックナーの交響曲でもやってのけたことになる。
 「ロマンチック」が大名曲に聞えた。いや、大名曲なのだろう。
 かつてフィラデルフフィア管が、その黄金時代に、ブルックナーという作曲家をわたしたちに教えてくれたのが、この曲によってだった。オーマンディは、そして当時の多くの指揮者は、名曲だからこそこの曲をブルックナーの代表曲に選んだのだ。
 そういう様々な意味での「名曲」が鮮やかによみがえった!
 そんなことを実感させてくれるすばらしい演奏だった。

 この演奏に接した方の中には、いまだに、これはブルックナーじゃない、などという感想を持たれた方がいらっしゃるかもしれない。それほどこの日の演奏は「やりたい放題」だった。
 ただ、これはこれでまちがいなく、ブルックナーの楽譜に基づく堂々たる大演奏。
 勝手に思い込んでいる「あるべき姿」と異なるというだけで、その演奏に心から耳を傾けないというのでは、あまりにももったいない。
 さまざまな、思いもしなかったような可能性を楽しむのが音楽の醍醐味であり、それを最大限に味わせてくれるのがネゼ=セガンなのだ。

 その点、これは前から言い続けていることだが、東京文化会館の都民劇場のお客さんはほんとうに気持ちが良い。ほとんどの方が純粋に音楽を楽しんで、終演後はみんなにこにこして、すばらしかったねえ、感動したねえ、と語り合っている。
 これがサントリーホールなんかだと、これみよがしに語られる小難しい「批評」の渦の中を帰らねばならず、せっかくのコンサートの余韻が台無しになってしまうことが多いのだ。
 ロマンティックの最後の和音が鳴り終わり、指揮者が手を下ろした後、さらにしばらく息を飲みこむような間があってから熱狂的な拍手&ブラボーが湧き上がったのもよい。


 それにしても、ネゼ=セガン、ブルックナーが好きで好きでたまらないんだろうな。
 あふれるようなブルックナー愛がビシビシと伝わってくる指揮姿だった。まるで大好きなおもちゃをもらった子供みたい。
 ふだんのネゼ=セガン、人物的には一見してかなりあやしげな部分が無くも無い。実際かなりのやり手なんだろう。
 このあたり、わたしの大好きなヘンゲルブロックとはかなり異なって感じられるが、演奏面での実力、そして音楽に対する無垢な愛情、真摯な姿勢に関しては、決してヘンゲルブロックにもひけをとらない気がする。
 ネゼ=セガンの演奏を聴いて、そうだよなあ、ブルックナーっていいよなあ、と、わたしも今さらながら、心の底から思ってしまった。



▽ ブルックナー、総体的な演奏時間は極めて標準的だが、
  楽章毎の演奏時間はかなり個性的な配分。

画像




 前半のベートーヴェン、セリオーソ

 Vn1、Vn2、Va、それぞれ十数人づつ。チェロ10人、ベース8人。総勢50人超え。
 この後そのまま増員することなくブルックナーをやった大編成のストリングスによる演奏。
 まるでR.シュトラウスの晩年の弦楽アンサンブル曲みたいな響きが美しかった。 


 
 そして、アンコールはまさかのバッハ・カンタータ
 ここでカンタータを聴けるとは・・・・!

 ストコフスキーの十八番だった「羊はやすらかに草を食み」
 この曲が響き出した瞬間は、ブニアティの森コン冒頭でやはりこの曲(ピアノ版)が流れてきた時を上回る衝撃だった。
 それほど美しい響きだった。

 やわらかで軽やか、決してべたっとしていない、まるで吹き抜ける風のようなオブリガート。
 その中で決然と歌われるコラール(風メロディ)。
 つまり真正バッハ、それが現代フルオーケストラのパワーを得て堂全体を満たす。

 故アーノンクールさんを始めとする偉大なる古楽の先人たちの、「幸福な開発者の共同体」の冒険。それを体験した後の、懐かしくも新しい、現代の大オーケストラによるバッハ。
 これからのバッハ!


 最近のNHKEテレのクラシック音楽館で、スラットキン&N響がバッハの編曲集をやったライブを観たが、こちらも興味深かった。
 ここでは「羊はやすらかに草を食み」が演奏されたが、バルビローリ編曲のもの。基本的には同じだが微妙に異なっていておもしろかった。これは、編曲と言うより指揮者&オケのちがいかもしれない。


 そう言えば、この「羊はやすかかに草を食み」は、先月亡くなった冨田勲さんのバッハ・アルバム、Bach Fantajyにも収録されている。
 アルバムの冒頭に、「早起き鳥」という曲名で置かれていて、とても印象深かった。
 この「早起き鳥」もそうだが、他にも「ソラリスの海」など、冨田さんのバッハはすばらしかった。冨田さんの代名詞とも言えるドビュッシーと同じくらいすばらしかった。
 現在時代劇専門チャンネルで、大河ドラマ総集編劇場というのをやっているが、「勝海舟」のテーマなど、ほんとうにかっこいい。これら冨田さんの作曲家としての仕事も決して忘れることができない。


▽ ストコフスキーの名を見て、おおっ、と懐かしそうな顔をするオールド・ファン多し。

画像




画像




画像
画像




▽ ATMAのグラン・モントリオール・メトロポリタン管とのシリーズの4番「ロマンティック」。

 最新版の3番(初稿)や6番などでは、かなり個性的な、意志の力が結晶化したような表現が特徴となっているが、この4番(2011年録音)には、それ以前の自然でのびやかな後期交響曲の演奏に通じるようなところがまだ色濃く残っている。

 従って今回のフィラデルフィア管との演奏とはかなり印象が異なるが、やはりどちらも魅力的。
 指揮者の意識の変化もあるとは思うが、やはりそれ以上にオケの違いというのが大きいのだと思う。
 こうなると、いつかはグラン・モントリオール・メトロポリタン管とのブルックナーも聴いてみたい。ネゼ=セガンのブルックナーの原点はそこにあるのだ。

 それにしてもこのジャケット写真、作りすぎ。誰?

画像




 * この演奏会の数日後、
   ネゼ=セガンのメトロポリタン歌劇場音楽監督就任決定のニュースが伝えられた。
   もともとMETとのつながりは強く、これまで映像等でも何度かその演奏に接してきて、
   もともとオペラ指揮者という印象が強かったが、やはりとんでもないやり手ということ。
   楽しみな反面、これではあまりにビックになりすぎて、
   グラン・モントリオール・メトロポリタン管との来日公演など、
   ちょっと現実的ではなくなってきた?
   



 この夜は、スーパー・マーズだった。

 この夜は曇っていて、残念ながら火星は見えず。
 下は、翌日の写真。何だがわからないな。

画像




そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

画像





この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

過去ログ

テーマ別記事