ミニミニ受難曲を聴いてみましょう~カンタータ名曲名盤聴き比べ・BWV127概要とCD補遺
この前の日曜日、3月28日は、棕櫚の日曜日でした。
その後、聖週間に入って、明日、4月2日が聖金曜日、そして、今度の日曜日から3日間、4月4日~6日がいよいよ復活節となります。
本来なら、マタイ受難曲のことなどを書くべきところなのでしょうけど、マタイは長くて重くてたいへんなので、
今年もまた、ちがう記事でお茶を濁します。
なお、これまで、幻のマルコ受難曲やヨハネ受難曲については、けっこう書いてきたので、以下にあげておきます。 よろしかったら、ごらんください。
<受難曲関連の記事>
バッハの源流への旅・その7~聖週間・幻のエレミヤ哀歌
マルコ受難曲~哀悼頌歌~そして、幻の、真・ルカ受難曲
NEC古楽レクチャー 「ヨハネ受難曲」・作品と資料について(小林義武先生)
受難曲の記事のご紹介+バッハのコラールについて~新しいリンクページのご案内
ヨハネ受難曲 「コラールの王冠」の帰還
さて、今日は、よくあるCD名曲名盤聴きくらべ。わたしも、久しぶりにやってみます。
曲目は、カンタータ127番 BWV127。
いったいどれほどの需要があるのか、甚だ心もとなくはありますけれど、BWV127のCD大特集です。
これまでほとんど誰もやったことないと思うので、それなりに意味はあると思うのですが・・・・。
このBWV127については、曲目、演奏についての過去記事があります。
この記事はその補遺ということになりますので、、まだそちらの記事を読んでらっしゃらない方、BWV127について知りたい方は、まずそちらをご覧ください。
その1、その2、その3
上の記事を書いてからすでに3年ほどがたち、その間、何枚かのすばらしいCDがリリースされ、その都度記事にしてきましたが、この記事はそのまとめ、ということで。
自分でもあまりにもしつこいと思うので、ここでは、曲についてはなるべくふれないようにしようと思いますが、
冒頭に書いたように、折りしもちょうど受難週に入ったところ。
受難曲が好き、と言う方は、大勢いらっしゃると思うので、ちょっとだけ、宣伝。
このBWV127、簡単に言うと、ミニ受難曲、と言ってもいいような作品になっているのです。
今日、この曲を取り上げたのも、そのために他なりません。
まず、この前ご紹介したBWV159と同じく、レントをはさんで直接受難週と向き合う祭日のためのカンタータなので、内容自体が密接に受難と直結しています。
(具体的には、棕櫚の日曜日用と言ってよい内容)
また、バッハの受難曲は、
1、レチタティーボや合唱(出来事の提示)
2、アリア(その出来事に対する個人的感情の表出)
3、コラール(出来事の意味の確認)
というユニットが、延々と繰り返されることによって、全曲がなりたっているわけですが、
このBWV127、涙のアリアや極めて劇的なレチタティーヴォなど、そのユニットの部品が明確に際立っていて、形の上でもまったくスキのないミニ受難曲というべき体裁が整っている。
(ある意味、カンタータはみんなそうなのですが、特にその傾向が顕著)
さらに、ダメ押しとして、このBWV127の冒頭合唱は、
実際に、バッハのいずれかの失われた受難曲の合唱として、使用されていた可能性もあります。
すなわち、バッハが晩年に演奏した受難曲パスティッチョに、他の作曲家の「受難曲」楽章とともに、この音楽が使われているのです。
受難週。
マタイ、ヨハネの両受難曲もいいですが、
あなたも、バッハの「失われた受難曲」、聴いてみませんか。
そして、
何だ?受難曲の割には、妙に冒頭合唱が明るいな・・・・、と不審に思われた方、ぜひ、過去記事をご覧ください。
・・・・結局、けっこう書いてしまった。止まらなくなるといけないので、曲の大まかな概要と、CDのご紹介にうつります。
なお、この曲のCDは、ほとんど全集や選集の一部と言う形でしかリリ-スされていませんので、それぞれの全集や選集の雰囲気をつかむヒントにもなれば、と思います。
なお、各CDのデータとして、
・ 冒頭合唱および第3曲ソプラノ・アリアの演奏時間
・ ソプラノ歌手およびバス歌手
を記載します。CDを選ぶ際の参考になさってください。
まず、曲のあらましから。
かんたんに、必要最小限なことだけ。
カンタータ第127番 「真の人にして神、主イエス・キリストよ」 BWV127
冒頭大合唱
イエスの最後の旅、そして、イスラエル入城を描く一大音画。
歌詞でなく、音楽そのものによってその内容が描かれた、バッハの本領発揮の音楽。
詳細については上記過去記事をご覧ください。
第2曲 レチタティーボ(テノール)
緊迫感に満ちた、今後の展開を予告するようなテノールのレチタティーヴォ。
第3曲 ソプラノ・アリア
しんしんと降り積もる雪のように、トラヴェルソによって無常の時が刻まれる中、オーボエとソプラノが、涙がしたたり落ちるような2重唱を繰広げます。
中間部では、時を刻む音は、はっとするような弦の鐘の音に変わりますが、やがてまた静かな時が訪れる。
心の底にしみわたる、バッハが書いた最も美しい短調の子守歌。
第4曲 レチタティーボとアリア(バス)
トランペットとストリングスが駆けめぐる緊張感あふれるレチタティーボと、ゆるやかで力強いアリアが交錯する劇的楽章。
レチタティーヴォは世界が崩れゆく様を、アリアはイエスの言葉(このコラール・カンタータ本来のコラールであるエーバーのコラール等に基づく)を歌います。
後半登場する「私は死の鎖を断ち切る」の部分の旋律は、マタイでも使われているもの。(とのこと)
第5曲 コラール斉唱
エーバーのコラールが力強く斉唱され、短いが緊張感あふれる全曲が閉じられます。
<CDのご紹介>
。。。。はじめにレオンハルト&リリングありき。
一番はじめにこの曲を聴いたのは、やはりレンハルト盤とリリング盤だったと思います。
というより、ほかにCDが無かった。
(ともに全集盤)
そして、音楽と正面から向き合いたい時に、結局最後に戻っていく、最もスタンダードなCDだと思います。
レオンハルト盤
冒頭合唱 6:08 第3曲 7:47
ソプラノ-セバスチャン・ヘニッヒ(ハノーファー少年合唱団員)
バス-マックス・ファン・エグモント
テルデック全集のレオンハルト担当の演奏は、ちょっと聴くとまったく何でもないようでいて、実は恐るべき名演が揃っているのですが、その中でもこのBWV127は、特に優れた演奏だと思います。
上記演奏時間からもわかるように、悠然としたテンポの中で、ていねいにアーティキュレーション処理を施された、実に折り目正しく格調高い演奏。
レオンハルトの絶好調の演奏がたいていそうであるように(その最たる例があの記念碑的なロ短調ミサ)、聴いているうちに、あらゆるものがポッカーンと突き抜けて、雲ひとつ無い青空の中に、自分がいるような気がしてきます。
ソプラノは、時には足をひっぱることのあるボーイ・ソプラノですが、その点、ここでのセバスチャン君(今ではりっぱなおっさんなのでしょうけれど)はまったく非の打ち所が無い。
むしろ一部の女声ソプラノのように、感情過多に陥ることなく、清らかで凛とした美しさを感じさせてくれます。
合唱担当は、もちろんヘレヴェッヘ。
ここでの経験が、この後最後にご紹介する最新の名演につながっているのでしょう。
リリング盤
冒頭合唱 5:55 第3曲 7:26
ソプラノ-アイリーン・オジェー
バス-ウォルフガング・シェーン
リリングの指揮にも、レオンハルトとちょっと似たところがあります。
やはり何でもないんですが、時々とんでもない深みがのぞく、というか。バッハの楽譜を誠実に表現している結果なのでしょうけど。
リリングの演奏にケチをつける、ということは、バッハの音楽そのものにケチをつけることです。
そして、リリング全集最大の醍醐味は、何と言っても、決して派手ではないけれど、東欧を代表するようないぶし銀の名演奏家、名歌手の共演なのですが、
この曲の場合、第3曲のオジェーの歌う子守歌を聴くだけでも、何物にもかえがたい価値が
あります。(オジェー、アメリカ人だけど)
。。。。古楽新時代の到来。
コープマン全集盤 10巻(エラート盤)
冒頭合唱 5:44 第3曲 8:22
ソプラノ-シビラ・ルーベンス
バス-クラウス・メルテンス
そこに現れた、とびっきり新鮮で美しい演奏が、コープマン盤。
まず、演奏時間を見ていただければわかるように、早い楽章は早く、遅い楽章はより遅くて、鮮烈な印象。
冒頭合唱、きらきらと光きらめく、大気の澄み切った雪解けの山野を思わせるかのような演奏は、あまりにも美しく屈託が無いだけに、その背後に隠された悲しみがひしひしと伝わってくるような気がしました。
その美しさの一端を担ってるのが、リュートのbc。
コープマン全集は、全体的にリュートが多用されていて、その音色を聴いているだけでも楽しい。
なお、このBWV127の第3曲においては、オルガンのbc(自分で弾いてる?)が実に印象的です。
。。。。そして、ついに音楽がその恐るべき全容を現す。
ガーディナーSDG巡礼シリーズ盤
冒頭合唱 5:37 第3曲 8:20
ソプラノ-ルース・ホルトン
バス-ペーター・ハーヴェイ
ガーディナー盤を聴き、この曲の真の姿を知り、さらにガーディナーの巡礼の旅のすさまじさを目の当たりにしたした衝撃から、上記過去記事を書いたようなところがあるので、詳細については、ぜひ上記過去記事をご覧になってください。
この巡礼シリーズ、どれも皆すごいのですが、このBWV127は、そのクライマックスの一つではないでしょうか。
過去記事において、BWV127の冒頭合唱について、巨大な壁画のような音楽だ、ということを書いてますが、
その壮大でモニュメンタルな雰囲気は、ガーディナー盤に最も強く感じられるものです。
ガーディナーというと、過去のおびただしい録音から、何でも器用にこなし、上品で格調高いけれど、ちょっとおとなしいかな、というイメージを持つ方が多いと思いますが、そういう方は、ぜひ一度、このSDG巡礼シリーズ、真の巨匠の白熱のドキュメントに触れてみてください。
なお、種明かしをすると、このガーディナー番の一番すごいところは、冒頭合唱において、器楽で奏されるコラール(「神の子羊」)を実際に力いっぱい歌ってしまってるところなのですが、
葛の葉さんが、小ミサ曲ヘ長調 BWV233で器楽で奏される「神の子羊」の旋律が、初期稿 BWV233aにおいては実際に歌われている、とご指摘なさっていて、興味深い。
こちらのNo.2282
。。。。音楽はどこまでも静謐に、透きとおってゆき、
BCJ全集盤 第34巻
冒頭合唱 5:20 第3曲 7:48
ソプラノ-キャロリン・サンプソン
バス-ペーター・コーイ
恐るべき静謐さをたたえた演奏。さらに、言葉を丁寧に発音しているせいか、超然とした厳しさも全体にみなぎっている。
鈴木さんのチェンバロのbcも、雄弁ですばらしい。
カップリングが名曲BWV1だということもあり、この巻は、BCJ全集前半の最高峰と言っていいのではないか。
第3曲において、サンプソンの名唱を、たっぷりと楽しめるのも、魅力。
詳細は、こちらの記事参照。
。。。。やがて不思議な光彩を帯び始める。
ヘレヴェッヘ盤
冒頭合唱 5:15 第3曲 7:26
ソプラノ-ドロシー・ミールズ
バス-ペーター・コーイ
ヘレヴェッヘ選集の最新盤。
月並みだが、古楽演奏の行きついた究極形のひとつではないか。
合唱指揮で参加したレオンハルト盤で始まったこの曲の演奏史が、自らの指揮するこの演奏で、とりあえず完結した感さえあり、大きな歴史のドラマを感じます。
エストミヒのカンタータ集で、タイトルも、”Jesu,deine,Passion”。
BWV159等も収録されていて、正に、ミニ受難曲。
詳細は、こちらの記事参照。
なお、先週お知らせした、ヘレヴェッヘカンタータ廉価シリーズにも、早くも収録されている。
よほど、売れなかったか・・・・。
。。。。そして、孤高の一つ星?
リヒター盤
冒頭合唱 7:07 第3曲 9:48
ソプラノ-アントニー・ファーベルグ
バス-キート・エンゲン
最後に、リヒター盤についても、一言。
リヒターもこの曲を録音してますが、晩年の有名なカンタータ選集においてではなく、ごくごく初期の単発CDとしての録音。
しかも、あの歴史的名盤、マタイの第1回目の録音と同じ年、歌手もマタイ参加メンバー。
クレジットは、合唱はすでにミュンヘン・バッハになってますが、オケはまだミュンヘン・シュターツオーパーメンバーとなってます。
折り目正しく、厳粛。あたりを振り払うかのような、毅然とした表現です。
録音時間を見ると驚かれると思いますが、すさまじいスローペース。
しかし、鋼のようなリズムに全体が貫かれ、緊張感が決して緩むことないのはさすが。
やはりこの人は、大指揮者です。
かつてインタビュー記事で、もっとも影響を受けた指揮者は、同じミュンヘンにいたクナッパーツブッシュです、というようなことを言ってるのを読んだ時は、
「何で??」
と思ったが、こういう演奏を聴くと、なんとなく納得できる。
そういう意味で、これまで見てきた、BWV127の演奏史みたいなものからは完全に飛びぬけている、孤高の演奏なんだけど、
逆に、その実、バッハ直系のトマスカントルの影響を最も色濃く反映している、という面も持っている。
リヒターの演奏は、どれも、そういうところがあるのだ。
その後、聖週間に入って、明日、4月2日が聖金曜日、そして、今度の日曜日から3日間、4月4日~6日がいよいよ復活節となります。
本来なら、マタイ受難曲のことなどを書くべきところなのでしょうけど、マタイは長くて重くてたいへんなので、
今年もまた、ちがう記事でお茶を濁します。
なお、これまで、幻のマルコ受難曲やヨハネ受難曲については、けっこう書いてきたので、以下にあげておきます。 よろしかったら、ごらんください。
<受難曲関連の記事>
バッハの源流への旅・その7~聖週間・幻のエレミヤ哀歌
マルコ受難曲~哀悼頌歌~そして、幻の、真・ルカ受難曲
NEC古楽レクチャー 「ヨハネ受難曲」・作品と資料について(小林義武先生)
受難曲の記事のご紹介+バッハのコラールについて~新しいリンクページのご案内
ヨハネ受難曲 「コラールの王冠」の帰還
さて、今日は、よくあるCD名曲名盤聴きくらべ。わたしも、久しぶりにやってみます。
曲目は、カンタータ127番 BWV127。
いったいどれほどの需要があるのか、甚だ心もとなくはありますけれど、BWV127のCD大特集です。
これまでほとんど誰もやったことないと思うので、それなりに意味はあると思うのですが・・・・。
このBWV127については、曲目、演奏についての過去記事があります。
この記事はその補遺ということになりますので、、まだそちらの記事を読んでらっしゃらない方、BWV127について知りたい方は、まずそちらをご覧ください。
その1、その2、その3
上の記事を書いてからすでに3年ほどがたち、その間、何枚かのすばらしいCDがリリースされ、その都度記事にしてきましたが、この記事はそのまとめ、ということで。
自分でもあまりにもしつこいと思うので、ここでは、曲についてはなるべくふれないようにしようと思いますが、
冒頭に書いたように、折りしもちょうど受難週に入ったところ。
受難曲が好き、と言う方は、大勢いらっしゃると思うので、ちょっとだけ、宣伝。
このBWV127、簡単に言うと、ミニ受難曲、と言ってもいいような作品になっているのです。
今日、この曲を取り上げたのも、そのために他なりません。
まず、この前ご紹介したBWV159と同じく、レントをはさんで直接受難週と向き合う祭日のためのカンタータなので、内容自体が密接に受難と直結しています。
(具体的には、棕櫚の日曜日用と言ってよい内容)
また、バッハの受難曲は、
1、レチタティーボや合唱(出来事の提示)
2、アリア(その出来事に対する個人的感情の表出)
3、コラール(出来事の意味の確認)
というユニットが、延々と繰り返されることによって、全曲がなりたっているわけですが、
このBWV127、涙のアリアや極めて劇的なレチタティーヴォなど、そのユニットの部品が明確に際立っていて、形の上でもまったくスキのないミニ受難曲というべき体裁が整っている。
(ある意味、カンタータはみんなそうなのですが、特にその傾向が顕著)
さらに、ダメ押しとして、このBWV127の冒頭合唱は、
実際に、バッハのいずれかの失われた受難曲の合唱として、使用されていた可能性もあります。
すなわち、バッハが晩年に演奏した受難曲パスティッチョに、他の作曲家の「受難曲」楽章とともに、この音楽が使われているのです。
受難週。
マタイ、ヨハネの両受難曲もいいですが、
あなたも、バッハの「失われた受難曲」、聴いてみませんか。
そして、
何だ?受難曲の割には、妙に冒頭合唱が明るいな・・・・、と不審に思われた方、ぜひ、過去記事をご覧ください。
・・・・結局、けっこう書いてしまった。止まらなくなるといけないので、曲の大まかな概要と、CDのご紹介にうつります。
なお、この曲のCDは、ほとんど全集や選集の一部と言う形でしかリリ-スされていませんので、それぞれの全集や選集の雰囲気をつかむヒントにもなれば、と思います。
なお、各CDのデータとして、
・ 冒頭合唱および第3曲ソプラノ・アリアの演奏時間
・ ソプラノ歌手およびバス歌手
を記載します。CDを選ぶ際の参考になさってください。
まず、曲のあらましから。
かんたんに、必要最小限なことだけ。
カンタータ第127番 「真の人にして神、主イエス・キリストよ」 BWV127
冒頭大合唱
イエスの最後の旅、そして、イスラエル入城を描く一大音画。
歌詞でなく、音楽そのものによってその内容が描かれた、バッハの本領発揮の音楽。
詳細については上記過去記事をご覧ください。
第2曲 レチタティーボ(テノール)
緊迫感に満ちた、今後の展開を予告するようなテノールのレチタティーヴォ。
第3曲 ソプラノ・アリア
しんしんと降り積もる雪のように、トラヴェルソによって無常の時が刻まれる中、オーボエとソプラノが、涙がしたたり落ちるような2重唱を繰広げます。
中間部では、時を刻む音は、はっとするような弦の鐘の音に変わりますが、やがてまた静かな時が訪れる。
心の底にしみわたる、バッハが書いた最も美しい短調の子守歌。
第4曲 レチタティーボとアリア(バス)
トランペットとストリングスが駆けめぐる緊張感あふれるレチタティーボと、ゆるやかで力強いアリアが交錯する劇的楽章。
レチタティーヴォは世界が崩れゆく様を、アリアはイエスの言葉(このコラール・カンタータ本来のコラールであるエーバーのコラール等に基づく)を歌います。
後半登場する「私は死の鎖を断ち切る」の部分の旋律は、マタイでも使われているもの。(とのこと)
第5曲 コラール斉唱
エーバーのコラールが力強く斉唱され、短いが緊張感あふれる全曲が閉じられます。
<CDのご紹介>
。。。。はじめにレオンハルト&リリングありき。
一番はじめにこの曲を聴いたのは、やはりレンハルト盤とリリング盤だったと思います。
というより、ほかにCDが無かった。
(ともに全集盤)
そして、音楽と正面から向き合いたい時に、結局最後に戻っていく、最もスタンダードなCDだと思います。
レオンハルト盤
冒頭合唱 6:08 第3曲 7:47
ソプラノ-セバスチャン・ヘニッヒ(ハノーファー少年合唱団員)
バス-マックス・ファン・エグモント
テルデック全集のレオンハルト担当の演奏は、ちょっと聴くとまったく何でもないようでいて、実は恐るべき名演が揃っているのですが、その中でもこのBWV127は、特に優れた演奏だと思います。
上記演奏時間からもわかるように、悠然としたテンポの中で、ていねいにアーティキュレーション処理を施された、実に折り目正しく格調高い演奏。
レオンハルトの絶好調の演奏がたいていそうであるように(その最たる例があの記念碑的なロ短調ミサ)、聴いているうちに、あらゆるものがポッカーンと突き抜けて、雲ひとつ無い青空の中に、自分がいるような気がしてきます。
ソプラノは、時には足をひっぱることのあるボーイ・ソプラノですが、その点、ここでのセバスチャン君(今ではりっぱなおっさんなのでしょうけれど)はまったく非の打ち所が無い。
むしろ一部の女声ソプラノのように、感情過多に陥ることなく、清らかで凛とした美しさを感じさせてくれます。
合唱担当は、もちろんヘレヴェッヘ。
ここでの経験が、この後最後にご紹介する最新の名演につながっているのでしょう。
リリング盤
冒頭合唱 5:55 第3曲 7:26
ソプラノ-アイリーン・オジェー
バス-ウォルフガング・シェーン
リリングの指揮にも、レオンハルトとちょっと似たところがあります。
やはり何でもないんですが、時々とんでもない深みがのぞく、というか。バッハの楽譜を誠実に表現している結果なのでしょうけど。
リリングの演奏にケチをつける、ということは、バッハの音楽そのものにケチをつけることです。
そして、リリング全集最大の醍醐味は、何と言っても、決して派手ではないけれど、東欧を代表するようないぶし銀の名演奏家、名歌手の共演なのですが、
この曲の場合、第3曲のオジェーの歌う子守歌を聴くだけでも、何物にもかえがたい価値が
あります。(オジェー、アメリカ人だけど)
。。。。古楽新時代の到来。
コープマン全集盤 10巻(エラート盤)
冒頭合唱 5:44 第3曲 8:22
ソプラノ-シビラ・ルーベンス
バス-クラウス・メルテンス
そこに現れた、とびっきり新鮮で美しい演奏が、コープマン盤。
まず、演奏時間を見ていただければわかるように、早い楽章は早く、遅い楽章はより遅くて、鮮烈な印象。
冒頭合唱、きらきらと光きらめく、大気の澄み切った雪解けの山野を思わせるかのような演奏は、あまりにも美しく屈託が無いだけに、その背後に隠された悲しみがひしひしと伝わってくるような気がしました。
その美しさの一端を担ってるのが、リュートのbc。
コープマン全集は、全体的にリュートが多用されていて、その音色を聴いているだけでも楽しい。
なお、このBWV127の第3曲においては、オルガンのbc(自分で弾いてる?)が実に印象的です。
。。。。そして、ついに音楽がその恐るべき全容を現す。
ガーディナーSDG巡礼シリーズ盤
冒頭合唱 5:37 第3曲 8:20
ソプラノ-ルース・ホルトン
バス-ペーター・ハーヴェイ
ガーディナー盤を聴き、この曲の真の姿を知り、さらにガーディナーの巡礼の旅のすさまじさを目の当たりにしたした衝撃から、上記過去記事を書いたようなところがあるので、詳細については、ぜひ上記過去記事をご覧になってください。
この巡礼シリーズ、どれも皆すごいのですが、このBWV127は、そのクライマックスの一つではないでしょうか。
過去記事において、BWV127の冒頭合唱について、巨大な壁画のような音楽だ、ということを書いてますが、
その壮大でモニュメンタルな雰囲気は、ガーディナー盤に最も強く感じられるものです。
ガーディナーというと、過去のおびただしい録音から、何でも器用にこなし、上品で格調高いけれど、ちょっとおとなしいかな、というイメージを持つ方が多いと思いますが、そういう方は、ぜひ一度、このSDG巡礼シリーズ、真の巨匠の白熱のドキュメントに触れてみてください。
なお、種明かしをすると、このガーディナー番の一番すごいところは、冒頭合唱において、器楽で奏されるコラール(「神の子羊」)を実際に力いっぱい歌ってしまってるところなのですが、
葛の葉さんが、小ミサ曲ヘ長調 BWV233で器楽で奏される「神の子羊」の旋律が、初期稿 BWV233aにおいては実際に歌われている、とご指摘なさっていて、興味深い。
こちらのNo.2282
。。。。音楽はどこまでも静謐に、透きとおってゆき、
BCJ全集盤 第34巻
冒頭合唱 5:20 第3曲 7:48
ソプラノ-キャロリン・サンプソン
バス-ペーター・コーイ
恐るべき静謐さをたたえた演奏。さらに、言葉を丁寧に発音しているせいか、超然とした厳しさも全体にみなぎっている。
鈴木さんのチェンバロのbcも、雄弁ですばらしい。
カップリングが名曲BWV1だということもあり、この巻は、BCJ全集前半の最高峰と言っていいのではないか。
第3曲において、サンプソンの名唱を、たっぷりと楽しめるのも、魅力。
詳細は、こちらの記事参照。
。。。。やがて不思議な光彩を帯び始める。
ヘレヴェッヘ盤
冒頭合唱 5:15 第3曲 7:26
ソプラノ-ドロシー・ミールズ
バス-ペーター・コーイ
ヘレヴェッヘ選集の最新盤。
月並みだが、古楽演奏の行きついた究極形のひとつではないか。
合唱指揮で参加したレオンハルト盤で始まったこの曲の演奏史が、自らの指揮するこの演奏で、とりあえず完結した感さえあり、大きな歴史のドラマを感じます。
エストミヒのカンタータ集で、タイトルも、”Jesu,deine,Passion”。
BWV159等も収録されていて、正に、ミニ受難曲。
詳細は、こちらの記事参照。
なお、先週お知らせした、ヘレヴェッヘカンタータ廉価シリーズにも、早くも収録されている。
よほど、売れなかったか・・・・。
。。。。そして、孤高の一つ星?
リヒター盤
冒頭合唱 7:07 第3曲 9:48
ソプラノ-アントニー・ファーベルグ
バス-キート・エンゲン
最後に、リヒター盤についても、一言。
リヒターもこの曲を録音してますが、晩年の有名なカンタータ選集においてではなく、ごくごく初期の単発CDとしての録音。
しかも、あの歴史的名盤、マタイの第1回目の録音と同じ年、歌手もマタイ参加メンバー。
クレジットは、合唱はすでにミュンヘン・バッハになってますが、オケはまだミュンヘン・シュターツオーパーメンバーとなってます。
折り目正しく、厳粛。あたりを振り払うかのような、毅然とした表現です。
録音時間を見ると驚かれると思いますが、すさまじいスローペース。
しかし、鋼のようなリズムに全体が貫かれ、緊張感が決して緩むことないのはさすが。
やはりこの人は、大指揮者です。
かつてインタビュー記事で、もっとも影響を受けた指揮者は、同じミュンヘンにいたクナッパーツブッシュです、というようなことを言ってるのを読んだ時は、
「何で??」
と思ったが、こういう演奏を聴くと、なんとなく納得できる。
そういう意味で、これまで見てきた、BWV127の演奏史みたいなものからは完全に飛びぬけている、孤高の演奏なんだけど、
逆に、その実、バッハ直系のトマスカントルの影響を最も色濃く反映している、という面も持っている。
リヒターの演奏は、どれも、そういうところがあるのだ。
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